「殺人許可証を持つ男」は実在? 暗殺の世界史入門その6
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
【まとめ】
・ダイアナ元妃事故死にMI6関与疑惑。
・007の産みの親イアン・フレミングは元英国海軍情報部員。
・北朝鮮の要人警護のノウハウは海外でも売れているらしい。
1997年8月、パリにおけるダイアナ元妃の悲劇的な事故死について、英国王室が「暗殺疑惑」の対象となっていたことを、前回紹介した。
実は、直接手を下した「容疑者」も、個人ではなく組織レベルで名指しされていた。SIS(シークレット・インテリジェンス・サービス=秘密情報部)である。一般にMI6(エムアイ・シックス)という名で知られ、テムズ川南岸にある本部ビルは観光ガイドブックにまで載っている。
SISという略称自体、本当はスペシャル・インテリジェンス・サービス=特別情報部であるらしいのだが、その話はさておき、どうしてMI6という名が人口に膾炙するようになったのかを、まず見て行こう。
実は、英連邦内におけるスパイ活動に対抗するMI5という機関があるのだが、これは陸軍情報部(ミリタリー・インテリジェンス)第5課から発展したもので、おかしな言い方ではあるが「由緒正しい略称」である。ただし現在は、内務省の管轄だ。
これに対して、主に海外での諜報活動を行うのがSISで、エージェントは軍の精鋭を集めていると言われるものの、公式には外務省の管轄である。とどのつまりMI5が公式に存在するので、もう一つの情報部はMI6という名だとの誤解が広まったのであろう。
で、なぜこの組織がダイアナ元妃の死に関わっているなどと噂されたのかと言うと、これはどうやら、イアン・フレミングという作家(1908~1964)が創作した架空の諜報員によるところが大きいらしい。その名をジェームズ・ボンドと言うが、彼の認識番号は007である。この、ダブルオー(ふたつ並んだ0)というのは、任務遂行のためならば人の命を奪ってもよいという「殺人許可証」を交付された者だけに与えられる番号だというのである。
これが、あながち荒唐無稽な話だと受け取られなかったのは、作者のフレミング自身が元英国海軍情報部の幹部エージェント(中佐)で、大戦中には、スペインのフランコ政権を監視し、かつ同国内におけるサボタージュなどを扇動して政権基盤を不安定ならしめ、中立を破棄してナチス・ドイツなど枢軸側と同盟しないようにするための工作活動に従事したというキャリアを持っていたためだ。
ちなみに、原作でジェームズ・ボンドが00要員に名を連ねた「功績」とは、大戦中にスパイ活動を行っていた日本の外交官を狙撃したことだとされている。
だいぶ以前に、友人の軍事ジャーナリスト・清谷信一氏から、英国製兵器のカタログを見せてもらったことがあるのだが、「分解してアタッシュケースに収納できる消音ライフル銃」が販売されていることを知り、のけぞった。清谷氏は、「こういうの、ちゃんと商売になるんだよ。商売になれば、そりゃ売るよ」などと笑っていたが、このことから考えると、00(ダブルオー)要員のごとき存在も、フィクションだと一言で斬り捨てるべきではないのかも知れない。
昨年暮れに他界した、キューバのカストロ元議長など、米議会の公聴会で明らかになっているだけでも、8回にわたってCIA(米中央情報局)から命を狙われた。
実際には類似の事件は40回以上起きているとも、もっと多いとも言われているのだが、すべて未遂に終わったのは、CIAの側が、マフィアのヒットマンなど、アマチュアかせいぜいセミプロの手を借りたのに対し、キューバ情報部の方は、旧ソ連の対テロ特殊部隊が訓練した、筋金入りのプロ集団であったからだとされている。旧ソ連には、帝政ロシア以来の要人警護のノウハウが蓄積されていた。
フランコもヒトラーも、結局は暗殺されなかったわけだし、カストロは90歳で単寿を全うしている。アタッシュケースで消音狙撃銃が持ち運べるようになろうとも、暗殺の成功率がさほど高くなっておらず、だからこそ、たまたま成功すると世界中が大騒ぎになるわけだ。
余談だが、今では中東やアフリカの複数の国では、北朝鮮が要人警護のノウハウを当地の警察などに伝授しており、外貨獲得の手段となっているらしい。そうしたノウハウがあったからこそ、金正男暗殺を衆人環視の中で暗殺するという挙に出られたとも考えられるが、だとすれば皮肉な話である。
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。