.国際  投稿日:2017/9/3

日米繊維交渉“善処します”誤訳伝説 その4

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檜誠司(ジャーナリスト、英日翻訳・研究家)

【まとめ】

繊維交渉の失敗は日米首脳会談における佐藤首相の発言の訳語の良し悪しとは全く無関係。

・「善処します」誤訳伝説は、沖縄返還交渉という歴史的な舞台設定がある上、佐藤・ニクソンという役者も揃っていたことで生まれた。

・繊維交渉で日本側はもともと不利な状況にあった。通訳の腕によって対米姿勢の弱みを補える余裕はなかった。

 

別の米側の公文書によれば、親書を手渡した後、マイヤー駐日大使は佐藤と会談するが、佐藤は大統領の立場を支持するために「最善の努力を尽くす(原文は make best effort )」ので大統領は安心されるよう希望すると語った。

佐藤は1969年11月のニクソンとの首脳会談で繊維問題をめぐり使った「最善をつくす」に酷似する表現をあらためて用いたが、今回は、マイヤーが “best とは業界の自主規制案の管理を意味あるものにする決意であると表明することだろうと提案し、佐藤を諫めるような発言を行った。

その年の夏に日本は2つの「ニクソンショック」に見舞われる。最初のニクソンショックは7月15日に発表された「米中接近」である。ニクソンが緊急演説で、キッシンジャーが北京を訪問し周恩来総理ら中国側との間で、翌年の1972年5月までにニクソンが訪中することで合意したと発表したのだ。

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▲写真 中国周恩来総理と会談する米キッシンジャー国務長官 出典:White House Photo by Encyclopedia Britannica

もう1つの「ニクソンショック」は8月15日の「新経済政策」の発表だった。ドルの金との交換停止、輸入課徴金の導入など、日本経済を狙い撃ちにしたものだった。

2つの「ニクソンショック」は繊維交渉決裂から米国が報復措置として取ったとも言われるが、確固たる証拠はない。だが、「新経済政策」については、キッシンジャーは「繊維紛争は、1971年8月15日にニクソンが発表した新経済政策にからみ合ってしまった。これが1971年の(私の北京隠密外交に次ぐ)第二の『ニクソン・ショック』だが、これには、それまでの日米交渉失敗の産物という面もかなりあったのである」と回想している。

加えて近年の研究で、日米繊維交渉と関係して沖縄県の一部である尖閣諸島の日本への施政権返還を留保することが米政府で検討されていたことが分かってきた。

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▲写真 尖閣諸島 出典:Al Jazeera English

1971年6月に予定されていた沖縄返還協定調印の直前、米政府は台湾とも繊維交渉を続けていたが、交渉担当者は台湾に一定の譲歩を示す必要があると判断した。米政府の公文書によれば、繊維交渉担当のデイヴィッドケネディ大使は「問題解決の『唯一の方法』は沖縄返還協定に基づき尖閣諸島を日本の施政下に置くことを留保することであると確信している」と述べていた。

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▲写真 デイヴィッド・ケネディ大使

つまり台湾への譲歩とは、尖閣諸島をめぐる台湾による主権の主張に理解を示すことだ。日本を犠牲にしているとの印象を与えて、対日繊維交渉を進める上で効果があると、ケネディは狙っていたのである。

このケネディの案は最終的にニクソン、キッシンジャーらの米政府トップの判断で葬り去られたが、繊維交渉難航の原因が「善処します」誤訳だったとしたら、その影響で尖閣諸島の日本返還が宙に浮いた可能性もあるといった指摘が出てきてもおかしくはない。もう1つの「ニクソンショック」があったかもしれないということだ。

だが、日米の公文書などを読む限り、繊維交渉の失敗は日米首脳会談における佐藤の発言の訳語の良し悪しとはまったく無関係のものである。佐藤が「約束」を実行しなかったことに起因するのである。

「善処します」という発言は訳しづらいが、貴重な米側の公文書が残っている。すなわち1回目の佐藤・ニクソン会談から3年後の1972年8月19日に行われた田中角栄総理とキッシンジャー補佐官との会談で「善処します」が使われているのである。

長野県・軽井沢町の老舗のホテルで貿易問題を話し合っている時に田中が「善処します」と発言したのである。ただし、佐藤のように曖昧な姿勢を示すためではなかった。

「率直に言えば、繊維問題をめぐる佐藤・ニクソンの会談で東洋的、日本的なある表現が前総理によって使われたと信じる。それはzen sho 。[米公文書によれば、この時通訳者は、訳しづらいが、大雑把に言えばこうなると語った:“このことを慎重に、前向きに検討する。”または“善意の精神に基づき、最大の努力を払って何ができるのか検討する。”] 誰かが国会でこの表現を使えば前向きの態度の発言だと受け止められるが、外国の政府間なら多分、だめだろう。私は誤解を避けたい。

田中は佐藤・ニクソン会談で “zen sho sru.”という東洋的で、日本的な表現が使われたと、キッシンジャーに紹介したのである。確かに通訳者が当惑する様子が読み取れ、2つの訳例を示している。

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▲写真 ニクソン大統領と握手する田中角栄首相 1973年 出典:White house Photo Office

いつから「善処します」が大きな話題なったのかは分からないが、繊維交渉での通訳をめぐる言説や研究成果が一般の関心を集めたのは事実である。沖縄返還交渉という最高の歴史的な舞台設定があるうえ、佐藤総理、ニクソン大統領という役者もそろっている。そうした中で生まれた「善処します」誤訳伝説。それだけでも話としては面白い。

さらに、すでに紹介した鳥飼、村松など「同時通訳者のスター」たちによって「善処します」の訳語の妥当性が発信されてきただけに、影響力が大きかったと言える。ただ、かねて「善処します」の部分だけに集中し、両首脳の交渉ですべてが決まったかのように論じてきた傾向にあったのではないか。

同じく「同時通訳者のスター」の西山千は「善処します」という発言の訳語として、 “I’ll see what I can do.” なら、後でどうだったのかと聞かれた時、 “I tried but I wasn’t successful.”と答えることができ、うそをついたことにもならないと指摘する。

だが、これは、2つのキーワードを踏まえていない主張である。「善処します」か「前向きに検討します」かの議論、その訳語をめぐる議論はもはやあまり意味を持たなくなったと言えるだろう。

天声人語で「善処します」が取り上げられたことを冒頭に紹介したが、天声人語の記者は筆者の指摘を受けて「善処します」発言はなかったとの差し替え記事をその後、掲載した。

そもそも、佐藤・ニクソン会談が行われたのは米ソの激しい冷戦下だった。米国依存の日本の安全保障体制、米市場重視の日本の経済構造などに代表される当時の日米の力関係を考えると、日本の対米交渉力には限界があったと言える。

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写真 ニクソン米大統領と佐藤栄作首相 1972年1月6日 米・サン・クレメンテ 出典:Richard Nixon Foundation

若泉敬は「武力によらず平和裏の外交交渉によってナショナル・インタレストに基づき定義された国家目標を達成しようとすれば、それは不可避的に相手側との“取り引き”による妥協ということにならざるをえない、という認識である。いわんや、沖縄返還交渉という、いわば“失地回復”のための外交である」と語る。

繊維交渉で日本側はもともと不利な状況に置かれていたのである。通訳の腕によって対米姿勢の弱みを補える余裕はあまりなかったのだ。

(本シリーズ了。全4回。その1その2その3も合わせてお読みください。)

※この記事には複数の写真が載っています。サイトによっては全部の写真が見ることが出来ないことがあります。その場合はhttp://japan-indepth.jp/?p=35887のサイトにて記事をお読みください

※本稿は、日本メディア英語学会東日本地区研究例会(2016年6月11日)の研究発表、同年末に日本通訳翻訳学会の学会誌「通訳翻訳研究への招待」に寄稿した論文を基に執筆した。日本メディア学会と日本通訳翻訳学会には感謝申し上げる。今回の執筆の際、論文を編集し大幅に加筆するとともに、論文中のすべての引用英文を翻訳した。 

トップ画像:佐藤栄作首相とリチャード・ニクソン米大統領(1969年11月米ホワイトハウスにて)出典/Richard Nixon Foundation HP

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この記事を書いた人
檜誠司ジャーナリスト、英日翻訳・研究家

早稲田大学大学院アジア太平洋研究科修了、修士(国際関係学)。時事通信社、米ブルームバーグ通信東京支局で日本語の記者・エディター、英語ニュースの翻訳者・エディターを担当。1992年-96年、時事通信社のニューヨーク特派員。ニュース英語・外交交渉の翻訳・通訳の実態を研究。立教大学などでニュース翻訳をテーマに講演。2017年2月にアルクより、共著で日本経済新聞社監修の「2カ月完成! 英語で学べる経済ニュース」を出版。

檜誠司

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