2018年を占う
社会  投稿日:2017/12/25

崩壊寸前の地域医療 福島県大町病院の場合

青空会大町病院
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上昌広(医療ガバナンス研究所 理事長)

「上昌広と福島県浜通り便り」

【まとめ】

・福島県南相馬市大町病院で常勤内科医退職により診療継続が困難に。

・大町病院の危機に市内の他病院の若手医師が手を上げ始めた。

・地域医療を守るのは志のある若者。厚労省や都道府県、大学医局に依存しても何も解決しない。

【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て表示されず、写真説明と出典のみ記されていることがあります。その場合はhttp://japan-indepth.jp/?p=37556のサイトでお読みください。】

 

今回も青空会大町病院(福島県南相馬市)のことを書きたい。この病院は南相馬市内の基幹病院の一つだ。ところが、唯一の常勤内科医の退職をきっかけに診療継続が困難となっている。詳細は既報の通りだ(http://japan-indepth.jp/?p=35381)(http://japan-indepth.jp/?p=36518)。

最近になって、さらに事態は悪化した。前回もご紹介したが(http://japan-indepth.jp/?p=37215)、12月2人の非常勤の内科医が退職した。これで、内科の患者は、9月に自ら志願して、南相馬市立総合病院から異動した山本佳奈医師が一人で診ることになった。

山本医師

写真)山本佳奈医師(中央) 出典)医療法人社団青空会大町病院

外来は毎日。患者数は100名を超えることもある。これに加え、15~20人程度の入院患者を担当する。これに月に5回の当直が加わる。こんな状況は、いつまでも続けられない。

猪又義光院長をはじめ、病院幹部は必死で医師を探した。猪又院長は慈恵医大卒。震災前から、医師派遣は慈恵医大の医局に依存してきた。当然、慈恵医大に頼んだだろうが、この原稿を書いている12月20日現在、同大学からの内科医の派遣はない。

この状況をみて動いたのは、南相馬市立総合病院の消化器内科医である藤岡将医師だ。藤岡医師は2012年に東大医学部を卒業。南相馬市立総合病院で初期研修をおえ、そのまま消化器内科を専攻した。学生時代から、当研究室で学び、山本佳奈医師とは旧知だ。

「このまま放っておく訳にはいかない」と、彼は南相馬市立総合病院幹部と相談し、毎週月曜日に年休をとって、大町病院の外来を担当することになった。このような面倒くさい形式をとったのは、彼が地方公務員だからだ。病院幹部から指示されたようだ。

 

藤岡医師

(写真)大町病院で診療する藤岡将医師 ©上昌広

この話を聞いたいわき市内の病院長が「私たちもお手伝いします」と声がけしてくれた。非常勤医師を派遣すべく調整が進んでいる。

ただ、これだけで不十分だ。やはり常勤の医師がいる。この状況をみて動いたのが、同じく南相馬市立総合病院の乳腺外科医である尾崎章彦医師だ。2010年に東大医学部を卒業し、千葉県旭市、福島県会津若松市の病院で勤務後、2014年10月に南相馬市立総合病院に異動した。私たちの研究室には東大医学部在学中から出入りしている。前出の山本医師、藤岡医師とは旧知だ。

尾崎医師と山本医師

(写真)尾崎章彦医師と山本佳奈医師 東大医科学研究所の研究室にて ©上昌広

彼は、南相馬市で地域医療に従事する傍ら、多くの医学論文を発表し、日本の医学界が注目する若手医師となったhttps://career.m3.com/contents/lab/akihiko_ozaki.html?utm_source=google&utm_medium=cpc&utm_campaign=sem_adpcareer__cmr_dr-lab_cv9000089_20170703

大町病院の窮状を見た彼は「誰かが行かねばならない」と言い、南相馬市立総合病院に辞表を提出した。1月から大町病院で働く。大町病院には尾崎医師と同年配の外科医がいる。慈恵医大の医局から派遣された医師だ。

猪又院長によれば「手術は月に4件程度」で、外科医として十分な経験は積めない。車で一時間程度のところに、仙台厚生病院、宮城県立がんセンターなどの全国的に有名ながん専門病院、さらに東北大学、福島県立医大がある。胃がんや乳がんなどの患者は、このような病院に行ってしまう。外科の修練を積むという意味では、大町病院に赴任することは、尾崎医師にとってデメリットにしかならない。

なぜ、彼は大町病院に赴任するのだろうか。それは、医師としての義務感に加え、崩壊の瀬戸際にある地方病院に勤務することで、得がたい経験を積み成長することができるからだ。

2016年末、福島県広野町の唯一の病院である高野病院で、たった一人の常勤医である院長が亡くなった。この時、『高野病院を支援する会』を立ち上げ、事務局長に就いた。自らも非常勤医師として診療に従事した。その後の活躍はメディア報道の通りだ。彼自身、体験記を公開している(http://www.huffingtonpost.jp/akihiko-ozaki/takano-hospital-and-fukushima-prefecture_b_14277516.html)(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/48855)。

その後、自らの専門領域である乳がんの臨床研究不正では、中外製薬や乳癌業界の重鎮を相手に、たった一人で問題を社会に問うた(https://news.yahoo.co.jp/byline/enokieisuke/20171202-00078706/)。その勇気に敬意を表したい。一連の活動を通じて、彼は成長した。視野が拡がり、腹が据わった。

私は、尾崎医師に乳がん領域に拘らず、世界をリードする医師に成長してもらいたいと願っている。今回の件で相談を受けたときには、「病院マネジメントとは何か、地域医療とは何か、間近でみることが出来る貴重な機会だ。是非、飛び込めば」と勧めた。彼は、すでに決心していたのだろう。「外科に拘りません。内科でも事務でも雑巾がけでもなんでもします」と言ってきた。私は、彼の覚悟を猪又院長に伝えた。

大町病院の危機では、厚労省も福島県も何の役にも立っていない。飛び込んだのは山本・藤岡・尾崎という3名の若手医師だった。彼らに、このような行動を取らせたのは、南相馬という地域に対する愛着、住民への感謝、さらに苦境をともに乗り越えてきたという仲間意識だ。

最近、医師偏在を是正するために、厚労省は医師の計画配置を準備している。都道府県および日本専門医機構と連携し、専門医の研修病院の定員を決めることで、医師偏在や診療科の偏在を是正すると主張してきた。来春から開始予定だ。

12月15日、日本専門医機構が、一次募集の内定状況を公開した。この結果を仙台厚生病院の齋藤宏章医師、遠藤希之医師が分析した。その結果は凄まじいものだった。

 

図3

(図3:新専門医制度が診療科偏在に与えた影響 2018年度と2014年度の各診療科の希望者を比較)

厚労省や日本専門医機構の思惑とは反対に、診療科の偏在が加速した。内科医が激減し、麻酔科・眼科などが増加したのだ。

さらに、地域偏在も悪化した。全ての診療科で東京一極集中が加速したのだ。図4は内科の状況だ。2014年度と比較して、東京は77人も増えた。医師不足に苦しむ東京近郊の千葉、埼玉は激減した。

図4

(図4:新専門医制度が内科の地域偏在に与えた影響 2018年度と2014年度を比較)

ちなみに、来年度、福島県内で内科専門医を目指すのはわずか20人。東京(527人)の26分の1だ。この状況が続けば、福島の地域医療は崩壊する。

このような状況の中、大町病院は何とか診療が継続されている。大町病院の経験は示唆に富む。地域医療を守るのは志のある若者だ。厚労省や都道府県、大学医局に依存しても何も解決しなかった。地域医療を守りたければ、当事者が本気で考えねばならない。

トップ画像:医療法人社団青空会大町病院 出典)医療法人社団青空会大町病院HP  

 

 

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この記事を書いた人
上昌広医療ガバナンス研究所 理事長

1968年生まれ。兵庫県出身。灘中学校・高等学校を経て、1993年(平成5年)東京大学医学部医学科卒業。東京大学医学部附属病院で内科研修の後、1995年(平成7年)から東京都立駒込病院血液内科医員。1999年(平成11年)、東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。専門は血液・腫瘍内科学、真菌感染症学、メディカルネットワーク論、医療ガバナンス論。東京大学医科学研究所特任教授、帝京大学医療情報システム研究センター客員教授。2016年3月東京大学医科学研究所退任、医療ガバナンス研究所設立、理事長就任。

上昌広

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