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.国際  投稿日:2018/1/3

本質ではない聖地の存在 エルサレム問題(下)【2018:中東】


林信吾(作家・ジャーナリスト)

「林信吾の西方見聞録」

【まとめ】

・各宗教の聖地の存在が米大使館移転の直接的原因ではない。

・国際社会がエルサレムを首都と認めないのは、大規模なユダヤ人入植や西岸の壁建設などが理由。

・日本は米国に追従しなかったが、今後も自立した外交を望む。

 

【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て表示されず、写真の説明と出典のみ記されていることがあります。その場合はhttp://japan-indepth.jp/?p=37844でお読みください。】

 

そもそもイスラエルは、どうして「首都エルサレム」に固執するのか。前項でも簡単に触れたが、この町はもともと、古代イスラエル・ユダ王国の都であり、エルサレム神殿の遺構が残されているユダヤ教の聖地だからーーこれが一番簡単な答えということになる。

しかし、それを言うなら、イスラムにとっても同様で、預言者ムハンマドがメディナから一夜にして移動し、昇天した地とされる「岩のドーム」も東エルサレムにある。

キリスト教については、あらためて言うを待たない。ナザレのイエスはユダヤ人であり、ユダヤ教の内部にあって神と人間の関係についての論争を提起し、そこからひとつの宗教改革運動が始まった。これがキリスト教の起源なのだ。昨今いささか使いにくい表現ではあるが、初期のキリスト教徒は、ユダヤ教徒からイジメを受けていたのである。

ちなみに、後に西暦1世紀とされるこの当時、パレスチナの地はローマの支配下にあり、イエスが処刑された直接の罪状は、ユダヤの民に対してローマへの納税拒否を扇動した、というものであった。その後、ローマはキリスト教化されたわけだが、ラテン語から派生した言語に、その形跡は色濃く残されている。スペイン語で「都市・都会」を意味する単語はCiudadだが、Ciudad Santa(聖なる都)と言えばエルサレムを指す。ちなみにCiudad Eterna(永遠の都)とはローマのことだ。

このように、それぞれの宗教の聖地が存在するがゆえに、この地を巡る争いが絶えないのだ、とされ、今次の大使館移転問題についても、それが原因だ、と断じた人が多かった。これは半分正しく、半分間違っている、と言わざるを得ない。聖地の存在は、中東和平を阻害する対立の「源流」であるが、直接的な原因とまでは見なしがたいのだ。

アフリカ大陸とユーラシア大陸をつなぐ回廊と言うべき地政学的条件を備えたパレスチナは、古代より幾多の民族により、争奪戦が繰り広げられてきた。

ユダヤ人は、もっとも古くからこの地に住んだ民族ではあるが、彼らが自分たちの宗教に固執したがゆえに圧迫された、という歴史は、当たり前だがキリスト生誕以前には存在しないのである。よい例がエジプトで、ユダヤ人を奴隷として連れ去りはしたが、自分たちの信仰を強要したりはしなかった。ユダヤ人=ユダヤ教徒であったがための受難は、中世以降、ヨーロッパのキリスト教社会において生じた問題である。

ひるがえってエルサレムは、7世紀に、イスラム世界における最初の世襲王国とされるウマイア朝の支配下に入った。この時期、ユダヤ人がどのような扱いを受けたかと言うと、なんと信仰の自由が保障され、ムスリムやキリスト教徒と自由に交易できたのだ。

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▲図 ウマイヤ朝の支配地域 緑部分 出典:Gabagool

理由は割合簡単で、イスラムの世界観において、エルサレムは「第3の聖地」ではあるが、メッカ、メディナという2大聖地と同格ではない。メッカとメディナは禁域と呼ばれ,異教徒の立ち入りは認められていないが、エルサレムにおいては、ユダヤ人が活発な経済活動を通じて貢献する見返りに、信仰を保つことが認められていた。

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▲写真 メッカ マスジド・ハラーム内のカアバ神殿 出典:Pixabay

つまり、ユダヤ人が有史以来、その信仰ゆえに迫害され続けてきた、というのは、イスラエルやユダヤ人協会による、誇張された歴史解釈だと言える。念のため述べておくが、私は「ホロコーストはなかった」などと主張するものではない。ユダヤ教徒、キリスト教徒、そしてムスリムが共存できた時代がちゃんとあったではないか、と述べたまでだ。

さらに言えば、1948年の第1次中東戦争により、東エルサレムがヨルダンの支配下に入った当時は、ユダヤ系住民の立ち入りが規制され、嘆きの壁に詣でることもできなかった事実はある。

その一方では、イスラエルは東西エルサレムの全域を支配したことを既成事実化するために、東エルサレムの領域に大規模なユダヤ人入植を進めたり、旧市街の城壁とは別に、アラブ系住民を市街と隔絶するための壁を築いたりしている。国際社会がエルサレムをイスラエルの首都と認めることを拒み続けてきたのは、こうした行為を理由としてのことなのである。

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▲写真 イスラエル西岸地区の分離壁 Photo by ustin McIntosh

お分かりだろうか。現在のエルサレム問題とは、紀元前の領有権がどちらにあったかとか、どちらが相手側にひどいことをしたとかいう、子供のケンカじみたことではない。パレスチナの地にどのような国家が存在すべきなのか、という、きわめて現代史的な問題であり、どちらか一方に肩入れする態度は、断じて正しくない。

トランプ大統領が、エルサレムをイスラエルの首都と認定した、との報道に接した時、私がまず考えたのは、日本はどういう態度を取るだろうか、ということであった。

米国に追従する可能性を案じていたわけだが、早い段階で河野太郎外相が「懸念」を表明し、米国を非難する内容と言って過言ではない国連安保理の決議案にも賛成票を投じた。

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▲写真 ネタニヤフ イスラエル首相と会談する河野太郎外務大臣(イスラエルにて) 2017年12月25日 出典:外務省

これは、河野太郎氏という、なかなか気骨のある政治家が外相の座にあったという要素もあるが、やはりそれ以上に、日本のような立場の国でも、異議申し立てをせざるを得なたったと考えるべきだろう。これを機に、もっと自立した外交を行える日本になってくれれば、と真剣に思う私なのだが、現時点では、残念ながら初夢のような話である。

(この記事は 誰も幸せにならぬ決定 エルサレム問題(上)【2018:中東】の続きです)

トップ画像:エルサレム 出典 Pixabay


この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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