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スポーツ  投稿日:2018/4/20

自由とは覚悟のいる孤独な道


為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)

【まとめ】

・自由には責任が伴い、自分の人生で責任をとるということを自覚するというのが自由な社会。

個人として自由に生きるということは愚痴を言わずに選択の責任を取り続けること。

自由とは覚悟で決まる、苦しい孤独な道。

 

【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て表示されず、写真説明と出典のみ記されていることがあります。その場合はJapan In-depthのサイトhttp://japan-indepth.jp/?p=39551でお読み下さい。】

 

昨日は全社会議だったのですが、月次の報告も一瞬で終わってしまうので、毎回自分の考えを発表することにしました。今回は、自由についてです。

自由な社会を作りたいというのが私の考えですが、表面は偏見のない、誰もが自分らしい表現をできる社会をということになりますが、裏面は少し残酷な側面があります。自由には責任が伴い、そして好むと好まざると関わらず自分の人生で責任をとるということを自覚するというのが私の考える自由な社会です。

人生はそもそも不公平で、どのような人生に生まれつくか、どのようなことに遭遇するかを自分では選べません。その点で人生は思い通りにはならないのかもしれません。一方で、どのような局面においてもどのように生きるかという選択は残されています。フランクルによれば、アウシュビッツの中でも、自らのパンを分け与えるかどうかの選択肢は残されていたと言います。

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▲写真 ヴィクトール・フランクル(オーストリアの精神科医、心理学者) 出典 Prof. Dr. Franz Vesely

私の家は、本当に何をするかどこへ進むかに関し、全く自分の自由にさせてくれました。一度もこうした方がいいと言われたことがありません。ただ、一方で進んだ大学で悩んだり、自らの選択を悔やんだりしても、話を聞いてもらえません。したところで、静かに聴き終わってからでもあなたが選んだことでしょうと言われるだけです。

同じように、私が誰かを選んだ時、うまくいってもいかなくても、それはその人ではなくちゃんと適任の人かどうかを見抜けなかった私の責任だと考えます。人には性質があり向き不向きがあります。それを見抜けなかったのは他ならぬ自分であろうという前提に立ちます。

同じように相手が自分を選ぶ際にも、仮に予想と違ってもそれは選んだあなたの責任ですよねという立場をとります。もちろん人並みになんとかうまくやろうとしますし、せっかくだから仲良く楽しくやろうと頑張ります。けれども、根底には人間は個人であり、個人として自由に生きるということは愚痴を言わずに選択の責任を取り続けるということだと考えています。そういう意味で、選べるにもかかわらず選びもせず、現状に拗ねてばかりいる人間を軽蔑します。

日本においては相当に選択の自由が許されていますから、進学、就職、住む場所、恋愛相手、かなり自由が利きます。自由が利き自ら選べるということは結果どうなるかも含め、自分の選択にかかっています。

自由とは覚悟の話だと私は考えています。自由は苦しい孤独な道です。エーリッヒフロムは、孤独に耐えきれず人は自由から逃走し、隷属と依存の道を歩むと言っています。

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▲写真 エーリッヒフロム 1974年 Photo by Müller-May

孤独に耐えきれず人は、何者かの下に入ることで、または何かの私物化をすることで、自らの選択を放棄し、結果責任から免れようとします。言われた通りにしている限り、言った側の責任になるからです。ハサミが何かを傷つけた時、責任はハサミを使った側にあります。

けれども、私の考えでは、それでもなお人生をトータルして人は責任をとるということだと思っています。つまり自由から逃走した人生では、自らの人生の手綱を持っていないわけです。ある日、自らが所属する組織やコミュニティが崩壊した時、人が放り出されるとします。困ったなんとかならないかと、彷徨う人に自由な社会はこう突きつけます。

だってこうなるように生きてきたのはあなたじゃないですか”と。

今どのような人生を生きているかは、今までどのように生きてきたかで決まっていて、明日どのように生きるかが未来を決めるわけです。極めてシンプルで、人生は美しいと私は思っています。それを残酷だと感じる人もいますが、少し寂しいながらもホッとしている人もいます。私は後者の人間となるべく仕事をしたいと思っています。

自由とは覚悟で決まります。自由になるということを覚悟を持って受け入れられない人は生涯にわたり何かに依存し隷属する道を歩みます。自由な社会とは大人の社会です。私は私がどのように生きてきたかの結果でできているということを受け入れる社会です。そしてその覚悟が決まった時、今この瞬間に私は新しい自分になれるのだという希望が湧き出てくると私は信じています。

(この記事は2017年9月1日に為末大HPに掲載されたものです)

トップ画像:イメージ図 出典 Pixabay photo by geralt


この記事を書いた人
為末大スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役

1978年5月3日、広島県生まれ。『侍ハードラー』の異名で知られ、未だに破られていない男子400mハードルの日本 記録保持者2005年ヘルシンキ世界選手権で初めて日本人が世界大会トラック種目 で2度メダルを獲得するという快挙を達成。オリンピックはシドニー、アテネ、北京の3 大会に出場。2010年、アスリートの社会的自立を支援する「一般社団法人アスリート・ソサエティ」 を設立。現在、代表理事を務めている。さらに、2011年、地元広島で自身のランニン グクラブ「CHASKI(チャスキ)」を立ち上げ、子どもたちに運動と学習能力をアップす る陸上教室も開催している。また、東日本大震災発生直後、自身の公式サイトを通じ て「TEAM JAPAN」を立ち上げ、競技の枠を超えた多くのアスリートに参加を呼びか けるなど、幅広く活動している。 今後は「スポーツを通じて社会に貢献したい」と次なる目標に向かってスタートを切る。

為末大

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