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.国際  投稿日:2018/4/29

憲法改正プロセス日米比較 野党の無責任


島田洋一(福井県立大学教授)

「島田洋一の国際政治力」

【まとめ】

・安倍政権下で憲法改正論議はできないとの意見は憲法の基本認識が誤っている。

・米では議会が動かぬ場合、地方から中央に対し憲法改正を迫るルートがある。

・憲法改正発議の議論から野党議員はいつまで逃げ続けるのか。

 

【注:この記事には複数の写真が含まれます。サイトによっては全て掲載されず写真説明と出典のみ記されていることがあります。その場合はJapan In-depthのサイトhttp://japan-indepth.jp/?p=39673でお読みください。】

 

安倍晋三政権下では憲法改正の論議はできないとの認識が野党側からしばしば示される。例えば立憲民主党の枝野幸男代表は、「公文書を改竄する政権を信用できるはずがない。憲法を議論できる前提を壊したのは、安倍首相本人だ」と主張している(3月24日、仙台市内で)。

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▲写真 立憲民主党 枝野幸男代表 出典 photo by KYJOON

また安倍首相を支持する側からも、改憲案が国民投票で否決された場合、内閣は総辞職せざるを得ず、世論の動向を見つつ慎重に対処すべきだといった議論が聞かれる。しかしいずれもまず、憲法を読んだことがあるのかと疑問になるほど、基本認識が誤っている

憲法96条が明記する如く、改正は「国会がこれを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない」。すなわち、発議主体はあくまで国会であり、内閣ではない。首相が賛成しようが反対しようが、国会の責任で発議できるのであり、国民投票に向けて有権者を説得するのも一義的に国会議員の仕事である。「首相が憲法を議論できる前提を壊した」という枝野氏の言い分は「親が勉強できる前提を壊した」とふてくされる怠慢な子供と変わらない。

なお、日本国憲法は、様々な点で米国憲法をモデルとした(させられた)が、本家のアメリカでは、憲法修正案が過去に33回発議され、その内27回が成立。すなわち、残る6回(約5分の1)については連邦議会が発議しながら、結局不承認に終わった(米国では、国民投票ではなく、4分の3以上の州議会が賛成した段階で改正承認となる)。不承認に終わったから大統領の責任が追及されたといった例はもちろんない。

次に、「憲法改正などに時間を取られている場合ではない」という類の議論も見られる。例えば枝野氏は、「憲法改正より保育士の給与を上げることの方が優先する」といった発言を繰り返している。呆れた認識という他ない。同時並行で進めればよいだけの話だ。しかも保育士の待遇改善は、国会が「寝ている」間も、地方自治体レベルで種々の措置を講じうるが、改憲の発議は国会議員にしかできない

この点米国憲法の改正規定には、日本国憲法にはない一節がある。「連邦議会は、両院の3分の2が必要と認めるときは、この憲法に対する修正を発議し」とここまでは日米ほぼ同じだが、その後に、「または3分の2の州の立法部(議会)が請求するときは、修正を発議するための憲法会議を召集しなければならない」と続くのである。

つまり、議会がいつまでも動かない場合、地方から中央に対して憲法改正を迫る第2ルートが確保されている。国会を通ずる1ルートしかない日本国憲法の下では、国会議員の責任はより重大と言わねばならない。

憲法改正をめぐる日本の議員の主体性欠如は、他の面にも窺える。例えばアメリカでは、連邦最高裁の違憲立法審査権を制限すべきだとの議論が特に保守派の間で根強くあり、賛同する議員も多い。

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▲写真 両院合同会議の開かれる下院本会議場 (アメリカ合衆国ワシントンD.C) 出典 photo by Lawrence Jackson

そもそも米国憲法には、日本国憲法と違い、違憲立法審査の明文規定はなく、最高裁が判例を通じて自己付与してきた経緯がある。しかし、議会の上下両院を通過し大統領が署名して成立した法律を、選挙を経ない9人の裁判官が、その多数決(すなわち5人)で無効化できるのはおかしいとの議論はかねてよりあった。

そこで、最高裁がある法令に違憲判断を下しても、「連邦議会が両院の5分の3以上で再可決、あるいは州議会の5分の3以上が再可決した場合、最高裁の決定を覆せる」といった憲法修正案が提示されている。5分の3という数字は、過半数ではハードルがやや低いが、一方、最高裁が過半数で決定を下せるのに、議会や州に3分の2ないし4分の3といったハードルを課すのは余りにバランスを失するという判断に基づく。

国政レベルにおける、立法・行政・司法三権のチェック・アンド・バランス(相互の抑制と均衡)に加え、連邦と州の権限分割による縦のチェック・アンド・バランスも働かせるというリパブリカニズム(共和主義)の理念に照らせば、連邦の司法部(最高裁)に違憲・合憲の最終決定権という並外れた力を与える制度は正当化されないというのが改革論者の主張である。

日本国憲法第81は、「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」と規定する。すなわち国会が衆参両院において圧倒的多数で議決した法律であっても、最高裁の過半数(すなわち8人)が違憲と言えば、その瞬間に無効になる。

およそ議会人としての誇りを持つ者であれば、憲法のこの規定に疑問を覚えねばならないはずだ。占領期ににわか造りされた現行憲法には他にも多くの問題点がある。国会にしかできない憲法改正の発議、そのための踏み込んだ論議という重大な責務から日本の議員特に野党議員たちはいつまで逃げ続けるつもりであろうか。

トップ画像:国会議事堂 出典 photo by Wiiii


この記事を書いた人
島田洋一福井県立大学教授

福井県立大学教授、国家基本問題研究所(櫻井よしこ理事長)評議員・企画委員、拉致被害者を救う会全国協議会副会長。1957年大阪府生まれ。京都大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程修了。著書に『アメリカ・北朝鮮抗争史』など多数。月刊正論に「アメリカの深層」、月刊WILLに「天下の大道」連載中。産経新聞「正論」執筆メンバー。

島田洋一

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