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.社会  投稿日:2014/6/27

[為末大]<矜恃と意固地の差異>「プライドの高い人」がこだわっていることの違い


為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)

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感情的なものが理性よりも優先して、しかもその感情が極めて利己的な損得感情からやってくる。突き詰めると「上か下か」しか人間関係がない。

「矜恃(自信と誇り)」になると随分意味が違う。自分自身の根幹の価値観で、どんな時でもそれを守るというものが「矜恃」なんだと思う。パッと見たところ損に見えることでもその価値観に従ってやってしまう。そういうものが「矜恃の精神」だと思う。

「意固地」と「矜恃」、両方とも「プライド」という言葉を当てはめて人は話す。後者の意味(矜恃)でプライドを使う人は、それによって人は成長するし悪を行わないと言う。前者の意味(意固地)で使った人は、プライドがあるから勝ち負けや上下に拘り感情的になって厄介と言う。

「意固地」と「矜恃」の差はなんだろうか。僕は二つあると思っていて、一つは敢えて選んでいるかどうか。もう一つは損得を超えているかどうか。

「意固地」になっている人は、そのことに敢えて意固地になろうとしてなっているわけではなく、自分がそうなっていることも知らずになっている。つまり自分で選んでいない。

「矜恃」は目先の損得とぶつかる時に現れるように思う。例えば人にバカにされるかもしれない局面でも、大事だと思うことを貫けるかどうか。様々な価値観があるけれど、自分はこの価値観を一番大事にして生きていくんだと敢えて選んだものが「矜恃」だと思う。

敢えてこだわる事と、こだわることをやめられない事。さらにはこだわっている事にすら気づかない事は全然違 う。僕の意味で言う所謂「プライドの高い人」は、自分が何にこだわっているか?という事に気づかない。もしくは怖くて見ることができない人なのだろう。

 

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