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.社会  投稿日:2014/9/26

[木村映里]【視野の狭い正義感は刃物と一緒】~“善意”は人を傷つけることがある~


木村映里(一般社団法人GrowAsPeole広報)

執筆記事プロフィール

 

「実家暮らしだけど母親とは1~2週間に1回しか会いません。母が寝てから私は家に帰るし、母が仕事に行ってから起きます。でも仲は良いと思います。夜の仕事をしていることは話していません。」先日10歳くらい歳の離れた知り合いの医師にそんな話をしたところ、ひどく悲しそうな顔をされてしまいました。

私と母親は昔からちょうど良い距離が上手く掴めないのか、なにかにつけて傷つけ合っていました。私は甘え方が分からず、母は叱り方が分からず、気付いた時には私が心療内科に通うようになっており、パニック障害であることと、自信の無さ…自尊感情の欠落は一生治ることはないと知らされました。

「1週間に5時間なら母は私に苛立たないで過ごせる。同じように1週間に5時間なら私は母と上手くやっていける。」20歳の時にそう気付いてから、母親とお互い不必要に干渉することが無くなり、パニック発作は面白いくらい起こらなくなり、ようやく母と楽しく会話ができるようになりました。そんな経緯だったため、私はポジティブな意味合いで知り合いに対して上記の発言をしたのですが、その医師からの反応は私が思ったのとは全く違うものでした。

「それってすごく悲しくない?」「お母さんに抱きしめられた経験少ないでしょう?」「子どもが深夜に帰ってくるのを心配しないお母さんなんていないよ」「もう少し時間が経ったら姉妹みたいに話せる日がくるから」と、空虚な綺麗事を並べられて反応に困っていたところ、最終的には「何か辛いことがあったら相談してね!」で締め括られて、唖然。向こうが善意で言ってくださっているのが分かっているからこそ、「そうじゃない」と言えなくなってしまうのだと痛感しました。

理想の家族の形、とか、あるべき家族の会話、とか並べ立てるのは簡単です。でも、親だって子どもだって人間。家族によって関わり方が違うのは本来当たり前のことで、型に無理にはめ込んだって、幸せになれるわけではない筈です。

それに対して振りかざされる、「こうあるべき」という価値観は、仮に善意から生まれたものであっても、受け手によっては“刃物”にしか見えないことがあるのです。

そしてそれは決して家族という話題に限ったことではありません。例えば私が現在関わっている性風俗産業において、ブラック企業で精神を病んで辞めざるを得なくなった女性が性風俗で働くことで自己肯定感を取り戻しているケースがあります。

彼女たちを簡単に「搾取されている」「かわいそう」「勘違いしているだけ」なんていう、「とりあえず夜の世界だから悪いものだろう」というステレオタイプな価値観に詰め込んで、当事者にとって何の利益にもならない善悪論を振り回している人だって同じことだし、日常の中でも「こうあるべき」という無意識の思い込みに縛られていることって、多々あると思うのです。

つまるところ、人と関わる上で大切なことは、自分の持っている「善悪の判断基準」から離れ、相手の話をひとまず受け入れてみることだと思います。もし本当に誰かの力になりたいのであれば、一瞬立ち止まって、自分の考えは“単なる綺麗事”なのではないか、もしくは、“善意の押し付け”なのではないか、と考えてみることが重要なのではないでしょうか。

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