[林信吾]【英、無償の医療は当然の権利】~福祉先進国の真実 2~
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
英国の戦後史は、1945年7月5日の総選挙をもって始まる、とよく言われる。ご承知のように、日本がポツダム宣言受諾を表明し、昭和天皇がラジオで世に言う玉音放送を行い、国民が敗戦の事実を知らされたのは8月15日、戦艦「ミズーリ」の艦上で降伏文書への調印がなされたのは9月2日だ。つまり、第2次世界大戦が公式に終結したのは9月2日で、欧米の歴史教科書には、そう書かれた物も多いのだが、日本人は今に至るも8月15日を終戦記念日としている。同様に英国では、ナチス・ドイツが降伏した5月8日をVEデー=ヨーロッパ勝利の日と称しているが、祝日ではない。8月15日は一応、VJデー=対日戦勝記念日と呼ばれはするが、あまり浸透していないようだ。つまり、知らない人も結構多い。では、どうして7月5日の総選挙(伝統的に、木曜日が投票日となる。まったくもって奇妙な伝統が多い国だ)をもって、戦後史の始まりと呼ばれるのか。
この選挙だが、英国を戦勝に導いたウィンストン・チャーチル率いる保守党の圧勝が予想されていた。ところが下馬評に反して、勝利を博したのは、「過去の植民地主義は清算し、大戦で疲弊した英国を、福祉国家として再生させる」とのマニフェストを掲げた労働党であった。
日本が敗戦の結果、評価は様々であれ「平和国家」として再スタートしたように、英国の有権者はこの時、戦後のあり方として、ナチスの次はソ連の脅威に備えよ、と訴えるチャーチルではなく、福祉国家として再スタートする道を選んだわけだ。
かくして、有権者の支持を背景に、英国労働党の福祉国家路線がスタートする。
福祉国家路線というのは、どちらかと言うと後になって与えられた評価であって、当時はもっぱら社会主義路線と受け取られていた。
もう少し具体的に述べると、1946年から49年にかけて、イングランド銀行を皮切りに、鉄道、炭鉱、水道、ガス、製鉄といった基幹産業が、続々と国有化されていった。財源を確保するために、効率の累進課税と戦時中に始まった配給制度は維持され、また、「壁紙の張り替えにさえ、政府の許可が必要」とまで言われた、物資の厳しい統制も実施された。
しかしこの結果、第一次世界大戦後のドイツで見られたようなハイパー・インフレーションは回避された上、戦後の資材不足の中で、100万戸もの公営住宅が建設されたのである。そして1948年7月5日、NHS(ナショナル・ヘルス・サービス)が創設された。日本では一般に「国家医療保険制度」と訳される。ひらたく言えば、専門職として社会的地位が高く、高額所得者の多かった医師を「公務員」にしてしまうことで、医療制度を税金で維持し、国民に無償の医療を提供するシステムである。
義務教育も1年延長され、企業国営化の恩恵で失業率は大幅に減った。このように、福祉国家を実現した実績から、強気で1950年の総選挙に臨んだ(英国下院議員の任期は5年。ちなみに上院は貴族院)労働党だったが、結果は敗北。保守党に政権を奪還されてしまう。
理由のひとつは、単純小選挙区制であるため、得票率(わずかながら労働党が上回った)がそのまま議席数に反映されないことだが、なによりも、戦後の復興が軌道に乗るにつれ、「平和の配当」が不十分だと考えた中産階級が、労働党の社会主義路線にNOを突きつけたのだと言われている。
その後、英国では政権交代が繰り返され(サッチャー政権登場まで、労働党の6勝4敗)、前述の基幹産業は、民営化されたり再国営化されたり、といった事態になる。しかし、NHS( National Health Service:国民医療制度)を解体しようとした政権はなかった。
サッチャー政権の時に、危機的な状況だと言われたが、ここには別の問題があったことなどは、次回に見る。今回、重要なポイントは、英国民は無償の医療について、善政の恩恵などではなく、当然の権利だと考えている、ということである。
(この記事は、
【最後は国が本当になんとかしてくれる、のか?】~福祉先進国の真実 1~
の続きです。)