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.国際  投稿日:2015/10/5

[林信吾]【安倍首相、移民と難民は違いますよ!】~ヨーロッパの移民・難民事情 特別編~


林信吾(作家・ジャーナリスト)

「林信吾の西方見聞録」

執筆記事プロフィールblog

連載開始早々、読者の方から質問のメールをいただいた。有り難いことである。

移民が街の歴史に深く関わっているという点で「ロンドンは希有な例なのでしょうか」という主旨のお尋ねであったが、結論から申し上げれば、そのようなことは全然ない。

ヨーロッパの歴史は、ローマ人の足跡を抜きにして語ることはできないが、その版図はブリテン島南部から中近東・北アフリカの地中海沿岸にまで及んでいた。その後、ゲルマン民族の大移動があったり、イスラム勢力がジブラルタル海峡を越え、イベリア半島を制圧したり、キリスト教徒がその地を奪還すべくレコンキスタ(祖国回復運動)に乗り出したりと、ヨーロッパの勢力図はめまぐるしく変わっていった。

16世紀から18世紀にかけては、宗教改革の余波と言うべきか、自分が信奉する教会の勢力が強い土地に移住する人が結構いたという。しかしながら、こうして自らの意志や経済的な要請で、生活の場を移したり海を越えたりした人々が「移民」と見なされることはなかった。

なんとなれば、国民国家が成立するのは、19世紀ヨーロッパが一連の市民革命を経験して以降のことであり、逆に言えば、人、物、カネ、そして情報が国境の内側に囲い込まれるという状況は、たかだか200年の歴史しか積み上げていないのだ。

一方、戦災や迫害によって、父祖の地を離れることを余儀なくされた人々の歴史は、ずっと古い。イエス・キリストが誕生する以前から、パレスチナの地におけるユダヤ教徒は、エジプトやローマによる迫害を受けていた。

もちろん、そのような人々を「難民」と見なす考え方自体は、比較的新しいものではある。難民を国境の内側に受け容れ、救済すべきだとの理念は、ごく最近までなかった。ただ、移民と難民がまったく異なる存在であるということは、これ以上詳しく説明するまでもないことだろう。

先般、安倍首相が国連で演説を行い、安保法制が成立した結果、より積極的な国際貢献ができる、と胸を張り、今後の課題は、「エコノミクス、エコノミクス、アンド、エコノミクス」だと言った。

英国のトニー・ブレア元首相が、かの国の未来に必要なものは、「エデュケーション(教育)、エデュケーション、アンド、エデュケーション」だと言い切った、あの有名な演説に比べると、だいぶ品格に劣るなあ、と思ったが、本日の主題は、そのことではない。その後の記者会見で、シリアなど中東の紛争地域からの難民を受け容れる考えはないか、という質問に対し、「わが国は、移民を受け容れるより先に、やるべきことがある」と答えたのだ。

具体的には、女性と高齢者の活躍や少子化対策などだそうだが、案の定、日本は難民問題より国内政策を優先させる考えだ、といった批判的な記事が、ロイター通信から世界に配信されてしまった。

数年前から、少子高齢化社会に対応して、圧倒的な人手不足が見込まれる看護・介護職などは、移民労働者に頼るのが得策ではないか、という意見が強まる反面、移民が増えるとなにかと問題も増える、といった反対論も根強い。

安倍首相の今次の発言は、彼が腹の底では、移民など「美しい国」に迎え入れたくない、と考えていることを自己暴露したわけだが、そもそも、誰も移民政策についての質問などしていない。故意に話をすり替えたのでないとすれば、国際情勢に対する無知・無理解にもほどがある、と言うべきだろう。なぜこれが失言問題にならないのか。

テロや武力紛争の最大の被害者たる難民に、救いの手を差し伸べようとしない「積極的平和主義」など、聞いて呆れる。そんな首相が目指す「一億総活躍社会」も願い下げだ。

手前勝手な「大東亜共栄圏」をぶちあげて戦争を引き起こし、国土が焼け野原になったら今度は「一億層懺悔」などと、ふざけた責任逃れを試みた、あの時代の指導者の一人が、今の首相の祖父であったことを思い起こしたのは、私だけであろうか。

タグ林信吾

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