"Japan In-depth"[ジャパン・インデプス]

世界に台湾を「発見」させた台湾ニューシネマ  『台湾新電影時代』

野嶋剛(ジャーナリスト)

「野嶋剛のアジアウォッチ」

映画は、その国のありようを映し出す鏡のようなところがある。

台湾が、それまでの国民党の専制体制から、政治の民主化と台湾本土化に大きく舵を切り始めた1980年代項半、世界を席巻したのが台湾ニューシネマの一群の作品だった。台湾ニューシネマとは、1980年代から1990年代にかけて世界を席巻した台湾映画の総称であり、その代表格は侯孝賢(ホウ・シャオシエン)の「悲情城市」や楊德昌(エドワード・ヤン)の「恐怖分子」などだ。ヴィネチア、カンヌ、ベルリンなどの国際国際映画祭で重要な賞を取りまくった。

今月末から公開が始まる「台湾新電影(ニューシネマ)時代」は、その台湾のニューシネマに対する「世界」の見方を紹介した作品である。ヨーロッパ、日本、アジア、香港、中国の第一線の映画人たちに、インタビューを行っている。それぞれの一流が語る言葉が非常に印象深く、内容自体は淡々としたドキュメンタリーなのに、引き込まれて一気に見終わってしまった。台湾の映画だけでなく、台湾そのものへの理解につながる内容になっている。

本作の表むきのテーマは、世界の映画人たちの台湾ニューシネマに対する評価を探ろうというものなのだが、私の見たところ、もっと重要な裏の意味は「ニューシネマを通して、世界に発見された台湾」であると断言できる。

1980年代、有り体に言えば、台湾のイメージは、当時、世界には存在しなかった。あるいは、ネガティブな台湾論しかなかった。1949年に日本から台湾を接収した蒋介石・国民党政権は台湾社会と世界のつながりを情報統制によって遮断していた。同時に、中国大陸を支配する中華人民共和国の成立と台頭によって、台湾は中国の影に完全に隠れてしまった。今日のアジアの「人気者」になった台湾からは考えられない状況である。

当時、突如登場した侯孝賢、楊德昌、念真らの監督・映画人たちの作品は、世界にとっては、初めて台湾を認識するチャンスとなった。映画を見た多くの人が映画で描かれる台湾の深刻な問題に気づいた。外来の外省人と台湾本土の本省人との間の省籍対立を知り、国民党体制の専制政治を知り、中国とは何か本質的に違っているように見える台湾社会の開放性と活力も感じ取った。

何より、本作で欧米の映画人が何人かそろって語っていた「台湾が中国と違うことに気づかされた」「台湾と中国は違う(ことが映画から分かった)」という評価は、非常に象徴的であった。台湾が台湾であり、大陸の「紅い中国」とは異なる環境と価値観と歴史に生きていることを、世界ははじめて台湾映画から実感したのである。そこには2.28事件を扱った「悲情城市」などの台湾ニューシネマの功績が大きかったことは間違いない。

ニューシネマの台頭と時を同じくして台湾には李登輝という傑出した政治家が登場し、民主化を推し進めた。2000年には台湾で初の政権交代が起きることで世界はさらに詳しく台湾を知った。そのニューシネマから30年ほどが経過したいま、我々は台湾アイデンティティの隆盛によって国民党に圧勝した民進党・蔡英文政権の誕生を、間もなく目の当たりするが、考えてみれば、「すべてはニューシネマが始まりだった」と言えなくもない。

外国映画を見る人々はそれぞれの国の知識階級と言うべき人々であり、その関心は、当然、映画の世界のみにとどまらない。映画がひとつの入口となって台湾理解に外国人を駆り立てた効果は大きい。だからこそ、政治家も映画の宣伝力を重く見るし、共産圏や専制体制の国々では映画の統制は言論統制の重要な根幹である。当時、台湾ニューシネマを代表した人々が、いまも台湾社会でオピニオンリーダーであるのと同様に、台湾映画に触発された人々が、日本の是枝裕和監督をはじめ、今日の映画界を引っ張っているのは、世代を超えて受け継がれる台湾映画への敬意であることも映画では描かれている。

最近台湾で公開された「我們的那時此刻(和訳:あのときこのときの私たち)」という映画は、戦後全体の台湾映画の歩みを紹介したもので、必ずしもニューシネマだけに焦点を当てたものではない。それでもかなりの部分がニューシネマ論に割かれているので、「台湾新電影時代」を外からの視点、「我們的那時此刻」を中からの視点と、それぞれ位置づけて見比べてみることも、より重層的に映画を通して台湾社会を捉えられる方法になるかもしれない。

トップ画像:楊德昌(中央)や侯孝賢(左から2人目)ら台湾ニューシネマの代表的監督たちⓒCentral Motion Picture Corp

文中画像:映画『童年時代』よりⓒCentral Motion Picture Corp