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.政治  投稿日:2018/9/18

安倍首相「戦争手続き」をご存じですか? 昭和の戦争・平成の戦争 その5


林信吾(作家・ジャーナリスト)

林信吾の「西方見聞録」

まとめ】

・日米とも宣戦布告なき戦争は想定外、日本軍の内部においてすら「痛恨事」だった。

・安倍首相臨時国会で憲法第9条に自衛隊の存在を明記する憲法改正案を提示する構想に違和感。

・この改正案は、立憲政治に対し宣戦布告なき戦争を仕掛けるようなもの。

 

【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て見ることができません。その場合はJapan In-depthのサイトhttps://japan-indepth.jp/?p=42012でお読み下さい。】

 

1941年12月7日(ハワイ現地時間、日本時間8日)、日本軍はハワイ・オアフ島の真珠湾軍港を奇襲。米太平洋艦隊および地上基地の航空部隊に大損害を与えた。ここに日米戦争(=太平洋戦争)の幕が切って落とされたわけである。

この昭和の戦争については、様々な呼び方がなされているが、もっとも広く人口に膾炙しているのは「太平洋戦争」ではないだろうか。少なくとも私のような戦後生まれの昭和世代は、そのように聞かされて育った。

しかし最近では、太平洋戦争という呼び方だと対米戦のイメージに限定されがちであるという声が高まり、戦争の経緯から言っても「アジア太平洋戦争」を採用する人が増えてきている。厳密に言えば「第二次世界大戦におけるアジアおよび太平洋戦線」となるのであろうが、これではさすがに長すぎる。

その話はさておき、真珠湾攻撃だが、作戦計画によれば、ワシントンDCにおいて宣戦布告文を国務長官(日本の外相に当たる)に手渡し、その1時間後に攻撃開始ということになっていた。米国東部とハワイの時差まで計算し、緻密な計画が練られていたのである。

そのために、宣戦布告の文書は暗号電文でワシントンDCの日本大使館に宛てて送られ、解読した文書は、機密保持のため大使館で雇用しているタイピストではなく外交官が自らタイピングするように、との訓電まで送られていた。そもそも当日は日曜日で、特別な用事のある外交官以外は出勤していなかったのだが。

いずれにせよ、このタイピング作業に手間取るなどしたため、国務長官とのアポイントメントを遅らせねばならなくなり、結果的に、真珠湾で米太平洋艦隊が壊滅的打撃を受けた数十分後に宣戦布告、ということになってしまったのである。かくして、真珠湾攻撃は「だまし討ち」と決めつけられ、米国議会はただちに対日開戦を決議した。

▲写真 真珠湾のアメリカ艦隊の模型を使いシミュレーションする日本軍 1941年  出典:U.S. Navy National Museum

実はそれまで、米国内の世論は、第二次世界大戦に参戦することに反対であった。1939年に、ナチス・ドイツがポーランドに侵攻し、この時点ではヨーロッパ大陸の大部分を支配していたが、ユダヤ人を強制収容所に送り、ガス室で大量虐殺が行われているといったような実態は、まだよく知られていなかった。そればかりか、ヒトラーの反ユダヤ主義に同調する動きまであったのだが、この問題は稿をあらためて見ることにする。

真珠湾攻撃そのものについても、米軍はかなりの程度まで危険性を予測していたらしい。もともと米太平洋艦隊は、西海岸のサンディエゴを本拠地としていたのだが、中国大陸における日本の侵略行為に掣肘を加えるためと称して、ハワイに進出していた。その分、日本海軍が過敏に反応して攻撃を仕掛けてくる可能性がある、との声もあって、当時最新の戦略爆撃機B-17を多数配備して、上空からのパトロールを強化する算段まで整えていた。

ところが、偶然そのB-17がハワイに到着する当日、奇襲攻撃が敢行されたのである。やはり当時の最新兵器であったレーダーも配備されていたのだが、日本機の大群を補足していながら、味方のB-17だと誤認したために、警戒態勢もとれぬまま攻撃を受けることとなってしまったのだ。「だまし討ち」キャンペーンが大々的に張られたのも、日本軍を侮って油断していたのではないか、という国内世論の批判をかわす狙いもあったに違いないと、今では衆目が一致している。

いずれにせよ、日米ともに宣戦布告を行ったわけだが、米国に同調して、英仏はもとより、ギリシャやアルゼンチンなど世界40カ国以上が対日宣戦を布告したことをご存じだろうか。本シリーズにおいては、対米戦は物量の差だけではなく、情報戦でも完敗していたことを紹介させていただいたわけだが、外交戦においては完敗どころか戦う前に勝負がついていたのだ。

もうひとつ、ここで見ておかねばならないのは、日米ともに宣戦布告なき戦争という事態は想定しておらず、宣戦布告の前に真珠湾を叩いてしまったことは、日本軍の内部においてすら「痛恨事」と言われた、ということである。

10年ほど前に、なんちゃら戦争論、みたいな本がブームになったことがあるが、私は常に、たしなめる側に回っていた。「戦争と恋愛では、なにをしても自由だ」などという煽り文句を印刷した本まで出回っていたので、嘘はよくないよ、という具合に。

ストーカーも、多くの場合、主観的には恋愛行為なのだと言えば、くだくだしい説明は不要であろうが、真面目な話、戦争にも法的な手続きが必要であり、軍人には国際法とモラルの遵守が求められるのだ。

真珠湾攻撃からさかのぼること4年、1937年7月に、北京郊外の盧溝橋という場所で日中(当時は中華民国)両軍の偶発的な武力衝突が起き。以降、宣戦布告なき戦争状態が続いていた。

▲写真 盧溝橋事件 宛平県城から出動する中国兵(1937年)出典:パブリックドメイン

宣戦布告しようにも大義名分がなかったことや、国際法上の交戦国となることで貿易に支障をきたすのを避けたかった、という理由があったとされるが、この状態もやはり真珠湾攻撃によって終わりを告げる。9日、当時重慶にあった蒋介石の国民党政府は、対日宣戦布告を行った。

……この原稿を書き終えようとした矢先、安倍首相が総裁戦後の臨時国会で、いよいよ憲法第9条に自衛隊の存在を明記する憲法改正案を提示する構想であるとの報道が流れた。

もう少し状況を見てからでないと、具体的なことはまだなんとも言えないが、憲法違反の疑いをもたれたまま命がけで任務を果たせと言われては、自衛隊員が気の毒すぎる、という主張には、違和感を抱かざるを得ない、ということは明言しておく。

なぜならば、日本国憲法は「陸海空軍その他の戦力」の保持を禁じているだけではなく、宣戦布告や講和など、戦争手続きに関する規定がまったくない。永久に戦争を放棄する、と規定したのだから、これで筋は通っている。それを、自衛のための武力行使は容認されるべきである、という論理で憲法を改正しようというのであれば、戦争手続きに関する条文も追加して、9条2項を書き直すのでなければならない。そうでなければ、自衛のためという大義名分さえあれば、宣戦布告無き戦争を始めても憲法に違反しない、という解釈がまかり通るようになろう。

このような発想で憲法改正を目指すというのであれば、それこそ立憲政治に対して宣戦布告なき戦争を仕掛けるようなものではないか。

その4、のつづき。

トップ画像:開戦直前の真珠湾(1941年)出典 USN


この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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