離脱論と「孤立主義の伝統」 EUと英国の「協議離婚」1
林信吾(作家・ジャーナリスト)
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・EU離脱期限の10月までメイ首相は持ちこたえるか?
・EU離脱に見る英国の孤立主義の伝統。
・EUにも「民主主義の赤字」と表現されるほどの問題はある。
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2016年、英国においてEU(欧州連合)からの離脱の是非を問う国民投票が実施されたが、私は、「かなりの僅差ではあろうが、最後は残留派が勝つだろう」と予測した。
結果はご案内の通りで、大恥をかいてしまったわけだが、ここへ来て、もしかすると私の予測が「周回遅れで正解」ということになるかも知れない。そんな情勢になってきた。
すでに大きく報道されているが、本来の離脱期限は3月29日であったが、離脱条件について議会の承認がどうしても得られず、まずは4月12日まで、次いで10月末までと、期限の延長が繰り返されている。
この間に欧州議会選挙があるので、英国はこのままでは、選挙への参加すなわち「加盟国の義務」を果たし続けねばならず、かと言って選挙前に各党が納得できる離脱案を政府が示し、EUがそれを受け容れる見込みはない。そもそも10月までメイ首相がその地位に留まれるだろうと考えている人は、今の英国ではごく少数になってしまっている。
▲写真 メイ首相 出典:Flickr; EU2017EE Estonian Presidency
問題は、これほどの混乱が生じることを、本当に予測できていなかったのか、ということと、そもそもどうして英国ではEUから離脱したがる人が多いのか、ということである。前段については、「遺憾ながら答えはイエスである」ということになる。
言い訳になるかも知れないが、2016年の時点で、時のキャメロン首相はじめ英国の政治かでさえ、国民投票で離脱派が勝つと思っていた人などほとんどいなかったことは事実である。
これは、強行離脱派と呼ばれる政治家たちが、具体的な離脱手続きについてプランもヴィジョンも示せなかったこと、そのため、キャメロン辞任を受けて行われた保守党党首選挙の際、相次いで「敵前逃亡」してしまったことで証明されよう。この問題は、次回もう少し詳しく見る。
今回はもっぱら後段について考察したいと思うが、これはやはり「歴史問題」として見ることが、理解に至る早道だろう。
ヨーロッパの近現代史は、英独仏という三大国の勢力のバランスの上に成り立っていた。とりわけ英国には、「ヨーロッパと共にあるが、ヨーロッパの一部ではない」という孤立主義の伝統があった。これを「島国根性」の一言で片付けるのは少々はばかられるの。なぜなら、鎖国という歴史を持つ日本などとは違い、英国は「強大なヨーロッパ大陸」が出現することは国益にそぐわないとして、大陸を武力統一せんとする勢力が台頭したような場合には、必ずこれの敵側に回って戦ってきた。具体的にはナポレオンのフランスやヒトラーのドイツで、こうした大戦争に一度も負けたことがない、ということを、この上ない誇りとしている。
ところが第二次大戦後、フランスとドイツが手を握った。後に大統領となるシャルル・ド・ゴール将軍は、ロンドンにおいて「フランス亡命政府」を名乗りつつ、ヨーロッパを戦争の恐怖から解放するためには、およ400年にわたって血で血を洗う戦いを繰り返してきた歴史に終止符を打ち、恒久的な同盟関係になるべきであると考えるに至った。
ナチス・ドイツによって国を追われた彼らが、戦後の(つまり、ナチス打倒は大前提であったわけだが)方向性としてドイツとの同盟を考えていたということは、特筆に値する。
▲写真 ドイツ連邦議会議事堂NSDAP 出典:ドイツ連邦公文書館
その後、紆余曲折を経て2002年、ユーロという統一通貨を持つに至る統合の歴史と、その動きと微妙な距離を保ち続け、ユーロにも加盟しなかった英国の内情については、拙著『国が溶けて行く ヨーロッパ統合の真実』(電子版アドレナライズ)を参照していただきたいが、ここでひとつだけ知っていただきたいのは、EUにはたしかに問題があり、それは「民主主義の赤字」と表現されている、ということだ。
EUは歴史の上でもあまり例を見ない「国境なき国家連合」であり、その統治形態も、今まで一般的に「国のかたち」と考えられてきた国民国家とは、だいぶ趣を異にしている。加盟国から人口に応じた数のEU委員が送り込まれ、彼らとスタッフから成る、いわばEU官僚と呼ぶべき人たちが、事実上、各国政府に対して上位にあるのだ。
現実には委員に選ばれるのは、閣僚や政党指導者を経験した大物政治家が多いのだが、いずれにせよ選挙で選ばれた存在ではない。そのようなブリュッセル(ベルギーの首都。EU本部の所在地)の官僚たちに。移民政策から海岸の景観、家畜の飼い方(残飯を与えた豚の肉は出荷してはならないとか)まで干渉されるのでは、選挙で選ばれた自分たちの存在価値はどこにあるのかーー英国の政治家が、全員ではないにせよ、このように言いたくなるのも、理解できないことではない。
▲写真 EU本部 出典:pxhere
そうなると、そもそもどうしてEU(厳密には前身であるEC=欧州共同体)に加盟したのか、と思われるだろうが、これは、統合された市場の魅力に他ならない。
たとえばトヨタ、日産、ホンダはいずれも英国内に工場を持っているが、ここで生産された車は「英国車」であるとして、関税を払うことなくヨーロッパ大陸諸国に輸出できる。
その一方で、加盟国の労働者は、よりよい労働条件を求めて移動する自由が保障されている。つまり英国としては、なんとか単一市場にとどまったまま、旧東欧圏からの移民を規制できないものだろうか、と考えたわけだが、そんな虫のよい話が通るはずもなかった。
これが、離脱騒ぎとその後の混乱を引き起こした原因なのである。
(2に続く)
トップ写真:Brexit抗議活動 出典:Flickr; ChiralJon
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。