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.国際  投稿日:2019/6/10

メイ首相辞任後の英国の運命(上)


林信吾(作家・ジャーナリスト)

林信吾の「西方見聞録」

 

【まとめ】

・英国の「合意なき離脱」はEUにとってもリスク大。

・英連邦もつ英国の混乱が一時的なら、各国のEU離脱派の勢い増も。

・英国のEU離脱後の問題は経済・貿易面の事柄ばかりではない。

 

【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て表示されないことがあります。その場合はJapan In-depthのサイトhttps://japan-indepth.jp/?p=46184でお読みください。】

 

5月24日、英国のメイ首相は、与党・保守党の党首を辞任する意向を表明した。後任が決まるまで首相の座には留まるが、事実上辞任が予定される6月7日をもって、英国憲政史上2人目の女性首相が率いた政権は、その幕を閉じることとなる。

特に驚きはしなかったが、思ったより早かったな、というのが正直な感想であった。すでに報道されているように、EUからの脱退をめぐって彼女が提示した合意案が繰り返し議会で否決されてしまい、問題解決への道筋をつけられる見通しが、まったく立たなくなったためである。

そもそも論から言えば、彼女が首相の座に就いたこと自体が間違いであったのだ。5月にも英国のEU離脱問題について書かせていただいたが、2016年の国民投票の結果が、キャメロン前首相を含む大半の政治家の予測に反するものであったため、火中の栗を拾う役割を押しつけられ、そして拾うことができなかったと言える。

彼女はまた、「議会のクラブにたむろして人脈を作ることには関心がない」とよく自慢していた。 この点は、わが国の小泉純一郎元首相と似ているが、議会政治において派閥のしがらみなどがないということは、よい方向に作用するとは限らない

▲写真 小泉純一郎元首相(2001年4月26日)出典:首相官邸ホームページ

小泉元首相の場合は、しがらみがなかった分、「私が自民党をぶっ壊します!」と宣言して総裁選に出馬し、持論であった郵政民営化については

「殺されてもやる」と言い切って、2005年の世に言う郵政選挙で勝利を博することができた。

これに対してメイ首相の場合は、もともと消極的ながらEU残留を支持する立場であり、国民投票の結果を尊重するという大義名分だけで、なんとか落としどころを探ることしかできなかった。なおかつ、盟友も腹心も後ろ盾も無い身だったのである。

ともあれ彼女の辞意を受けて、英国民の関心はもっぱら後任の保守党党首=次期首相に集中しているが、その人物も彼女と同じジレンマに直面することを、どこまで真剣に考えているだろうか。

たとえば、6月初旬の段階で最有力候補とされているのは、強硬離脱派のジョンソン氏(元外相)だが、英国経済に大混乱をもたらすであろう「合意なき離脱」など、本当に強行できるのか。

▲写真 後継の首相有力候補のボリス・ジョンソン元外相 出典:Boris Johnson-opening bell at NASDAQ-14Sept2009-3c.jpg

キャメロン前首相辞任後の党首選で、早々と「離脱」してしまったことや、「毎週3億5000万ポンド(約56億円)の分担金が要らなくなる」という離脱キャンペーンが、とんでもない大嘘だったとして訴訟まで起こされていることなどを考えると、どうも英国政界の「言うだけ番長」で終わりそうな予感がする。

もともと、どうして彼の名が後継者に取りざたされたのかと言えば、

「雇用を守るため、関税同盟からの脱退だけは避けねばならない」とする労働党と、政策面での差別化を図りたいから、というだけの理由であると、英国のジャーナリストたちは冷めた目で見ている。

そもそも、今後のスケジュールはと言えば、7月に保守党党首選を行い、後任=次期首相を選ぶことになっているが、その後すぐ夏休みだ。私が、メイ首相の辞意発表を聞いて「思ったより早かった」と感じたというのは、話がここにつながってくる。

これもすでにご案内のことだが、数次にわたる交渉の結果、離脱の期限は今年3月末から10月末まで延長された。とは言え、夏休みを挟んで、この期限までに議会の同意と世論の支持を両方取りつけるというのはできない相談ではないだろうか。メイ首相が、二階に上げてはしごを外すような真似をした政治家たちへの腹いせに「夏休みの宿題」を押しつけた……とまでは思いたくないが。ここで見ておかなくてはならないのは、どうしてEUの側がここまで忍耐強く、離脱期限の引き延ばしに応じてきたのか、ということだ。実は「合意なき離脱」は、EUにとっても大きなリスクをともなう決定となるのである。

英国がEU側と、なにひとつ条件面での取り決めを交わさずに離脱を強行した場合、自動的に単一市場から排除されることになる。当然ながら、これは英国経済に大いなる混乱をもたらすが、しかし一方では、英国はもともと共通通貨ユーロに加盟していないし、たとえEUとの貿易額が激減したとしても、英連邦もあれば、米国のトランプ政権が強行離脱派に肩入れしているという事情もある。中国にすり寄る選択肢もある。

▲写真 米英首脳会談。トランプ大統領は英国のEU離脱後に米英FTA(自由貿易協定)締結に意欲を示した。(2019年6月4日英・ロンドン)出典:イギリス政府ホームページ

これを逆に見たならば、合意なき離脱が現実のものとなった場合、ポンドの暴落を含む経済的混乱は避けがたいとしても、一定の期間を経たならば「思ったほどではなかった」という結果に終わる可能性を排除できないのである。

そうなれば、ドイツ、フランス、イタリア、中欧諸国などで勢力を伸ばしている反EU勢力が一気に活気づき、EU統合を進めようとする勢力は、求心力を大いに削がれることとなるだろう。

▲図 今次EU議会選挙後の勢力図。欧州保守改革グループ(ECR)、民族と自由のヨーロッパ(ENF)、自由と直接民主主義のヨーロッパ(EFDD)などEU懐疑派や民族主義派などが伸長した。 出典:EU(欧州連合)ホームページ

5月末にはまた、EU議会選挙が行われたが、いわゆるEU懐疑派は勢力を伸ばしたものの、極右など過激な勢力はさほど伸びなかった。懐疑派全体としても「頭打ち」の傾向にあると、ヨーロッパのジャーナリストたちは見ているようだ。

つまり、諸国の有権者がEUを見放しつつあるとまでは言い難いのだが、日本のジャーナリストとしては、ここでまたしても、2005年の郵政選挙のことを思い出さずにはいられない

この選挙は自民党の圧勝に終わったとされているが、全国レベルで自民党と当時の民主党の得票率を比べたならば、1.3対1に過ぎなかった。つまりは「小泉劇場」ばかりが耳目を集めていた裏で、政権交代への道がすでに切り開かれつつあったのだ。

ただ、英国がEUから離脱した場合に問題とされるのは、経済・貿易面の事柄ばかりではない。いかなる問題が待ち構えているか、次稿で検証しよう。

トップ写真:保守党党首の辞任を表明したメイ英首相(2019年5月24日)出典:イギリス政府ホームページ


この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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