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.国際  投稿日:2020/4/7

サプライズ無き緊急事態宣言


宮家邦彦(立命館大学 客員教授・外交政策研究所代表)

宮家邦彦の外交・安保カレンダー【速報版】 2020#15

2020年4月6-12日

 

【まとめ】

・感染者急増で医療崩壊の懸念から緊急事態宣言の決断。

・ケンタッキー州では最初の感染者発見で即、非常事態が宣言。

・日本の意思決定プロセスは「率先指導」型ではなく「状況対応」型。

 

4月7日にも日本でCOVID-19に関する緊急事態宣言が出るそうだ。オーバーシュート(感染例急増)が起きてからでは遅いので、宣言発出の判断自体は基本的に正しいと思う。だが、この宣言発出までに一体どれだけ長い時間がかかったのか。日本は本当に不思議な国なんだなあ、とつくづく思う。今週はその理由から説明しよう。

まずは事実関係から。

時事通信によると、「安倍総理は感染者急増を受け緊急事態宣言を7日にも発令する意向を固めた。特措法の要件は国民の生命と健康に著しく重大な被害を与える恐れがあること、全国的かつ急速なまん延により国民生活、国民経済に甚大な影響を及ぼす恐れがあることだが、付帯決議は国会への事前報告も求めている。

特措法では諸外国のような強制力を伴う「ロックダウン」(都市封鎖)は行えないが、東京などでは医療体制が逼迫しつつあり、都知事などからは「国家としての決断が求められる」として首相の決断を促す声も上がっていた・・・」。諸外国との法的比較はさておき、日本の緊急事態宣言をめぐる法的環境は概ねこんなところだ。

でも、これって何かおかしくはないか。 

緊急事態宣言とは、「通常とは異なる緊急かつ特別の危機に対し、緊急かつ特別な措置を発動すること」だろう。緊急事態は突然起こるからこそ緊急なのであり、基本的には宣言も突然出されるものだ。実際、筆者がケンタッキー州出張から帰国した3月6日に同州で最初の感染者が見つかり、同州知事は直ちに非常事態を宣言している。

ところが日本ではどうだ。そもそも当初はCOVID-19に関し緊急事態宣言を出す法律すらなかった。その後法改正で宣言発出は法的に可能となったが、それでも要件が厳しいためか、なかなか宣言は出ない。大都市圏の知事や医療関係者から宣言発出を再三要請された挙句、漸く決断した緊急事態宣言にはサプライズなど全くない。

写真)新型コロナウイルス感染症対策本部(第26回)

出典)首相官邸

当然だろう。日本の緊急事態宣言は、誰もが「発出はもはや仕方がない」と思うような「コンセンサス」が成立して初めて発出されるからだ。しかも、誰もがこの緊急事態宣言には強制力が殆どないことを知っている。それでも、マスコミはこうした状況をあたかも戒厳令前夜のごとく大袈裟に報じ始める。何故こんなことが起こるのだろう。

理由は簡単、日本の意思決定プロセスは常に「状況対応」型であり、「率先指導」型ではないからだ。これは黒船による明治維新の頃から殆ど変わっていない。欧米式に「率先指導」して万一失敗すれば責任が生ずる。誰もが「開国は不可避」と考えるコンセンサスが出来るまで決断を待つ「状況対応」型なら、責任問題は生じないのだ。

もうこのくらいにしておこう。日本の意思決定過程には欧米と異なるルールがある。「それで何が悪い」と開き直るしかないのだから。ところで、今週も先週と同様、世界各地の外交的動きは鈍いまま。当然だろう、各国ともCOVID-19対応で忙殺されているからだ。ウイルス関連以外のトピックスも拾ってみた。

〇アジア

朝鮮日報が、「北朝鮮には新型ウイルス感染者が1人もいない」とする労働新聞の記事を報じている。理由は「世界で最も優れた社会保険制度」だそうだ。検査もできないくせに、何故感染者ゼロなどと言えるのか?「不思議の国の金正恩」である。

〇欧州・ロシア

英首相の容態が気になる。55歳だから未だ年寄りではないが、もう若くもない。ところで英国のEU離脱騒ぎはどうなったのか。ウイルス騒ぎでそれどころではないか。

〇中東

サウジアラムコが先月に続き、月次公式販売価格(OSP)発表を延期した。原油相場急落を受けサウジとロシア間の亀裂は解決しそうにない。サウジは本気なのか?

〇南北アメリカ

米大統領選では、複数の選対幹部から民主党サンダース候補に撤退を促す声が出始め、同陣営が分裂しているそうだ。これを日本語では「弱り目に祟り目」という。

〇インド亜大陸

特記事項なし。今週はこのくらいにしておこう。いつものとおり、この続きは今週のキヤノングローバル戦略研究所のウェブサイトに掲載する。

 

トップ写真)緊急事態宣言の検討状況についての会見を行う安倍総理

出典)首相官邸

 


この記事を書いた人
宮家邦彦立命館大学 客員教授/外交政策研究所代表

1978年東大法卒、外務省入省。カイロ、バグダッド、ワシントン、北京にて大使館勤務。本省では、外務大臣秘書官、中東第二課長、中東第一課長、日米安保条約課長、中東局参事官などを歴任。

2005年退職。株式会社エー、オー、アイ代表取締役社長に就任。同時にAOI外交政策研究所(現・株式会社外交政策研究所)を設立。

2006年立命館大学客員教授。

2006-2007年安倍内閣「公邸連絡調整官」として首相夫人を補佐。

2009年4月よりキヤノングローバル戦略研究所研究主幹(外交安保)

言語:英語、中国語、アラビア語。

特技:サックス、ベースギター。

趣味:バンド活動。

各種メディアで評論活動。

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