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.国際  投稿日:2020/11/1

仏、「冒涜する自由」で炎上


Ulala(ライター・ブロガー)

フランスUlala の視点」

【まとめ】

・マクロン氏、表現の自由を擁護し「冒涜する権利がある」と発言。

・イスラム諸国で反フランスデモが激化。

・「表現の自由」を巡り、仏国民とムスリムの歩み寄りが必要。

新型コロナウイルスの新規患者が急増し、フランスは2度目となるロックダウン(都市封鎖)に入った。しかしながら、コロナの感染拡大も心配ではあるが、それよりも、今、一番気がかりなのが頻発するローンウルフ(一匹オオカミ)型テロだ。

パリ近郊でおきた、中学の歴史教師サミュエル・パティさん(47歳)が首を切断されて殺害された事件(参考記事:仏、18歳が中学教師の首切断)を皮切りに、ニース、アヴィニョン、リヨン、パリ15区で未遂も含む、5件の攻撃が発生している。

それらの攻撃は、「表現の自由」を擁護するフランス政府とイスラム教徒との深い溝が原因の一つになっているのはもちろんだが、さらに、ニースの事件直後に発したマクロン大統領の「フランスにおける自由には、信仰を持つ・持たないという自由も含まれる。しかし、これを冒涜的発言の権利を含む自由と区別することはできない」という発言が、イスラム諸国からの反発を過激化させた。

■ フランスとイスラム諸国のすれ違い

フランスでは、革命時に検閲など言論統制なく、自由な意見表明活動をおこなえる権利を勝ち取った。それ以来、「表現の自由」をフランス共和国の根幹としており、民主主義では当然のこととしてきたのだ。そのため、表現の自由を否定し、テロという野蛮な行為で報復することを断固として許すわけにはいかない。

しかし、イスラム諸国からしてみれば、反発しているのは表現の自由にと言うよりも、自分たちが大切に思っている信仰の対象を「侮辱」したことに怒りを募らしている。信仰の対象を侮辱することは、それを信仰する人々を侮辱することであり、人間の良識としてはおかしいだろということなのだ。

だがそれなのにもかかわらず、そこにマクロン大統領が表現の自由を擁護するために発せられた言葉が、「冒涜する権利がある」というものだから、「侮辱する権利がある」と言っていると受け止められて、フランスにさらに怒りを爆発させる人がでてくるのも当然のことだろう。

■ フランス革命後に制定された法律

フランスでは、「表現の自由」自体は1789年に出された人権宣言11条によって保障されている。

「第11条(表現の自由) 思想および意見の自由な伝達は、人の最も貴重な権利の一つである。したがって、すべての市民は、法律によって定められた場合にその自由の濫用について責任を負うほかは、自由に、話し、書き、印刷することができる。」

しかし、人権宣言で定められたのはそれだけではない。人権宣言では「宗教を冒涜する自由」も認められたのだ。

「第10条(意見の自由) 何人も、その意見の表明が法律によって定められた公の株序を乱さない限り、たとえ宗教上のものであっても、その意見について不安を持たないようにされなければならない。」

それまでは、フランスの大きな宗教であったカトリックを冒涜することは、監獄に入れられるか、死刑がまっていた。しかし、革命により、「宗教の冒涜は死に値しない」権利を勝ち取ったのだ。この結果、宗教への冒涜の罪で処刑されたのは、1766年が最後になった。

しかしその後、ナポレオン時代から検閲が再開し、王政復古の時代の1830年には出版の自由が停止されることになる歴史を乗り越え、一度廃止された「宗教を冒涜する自由」が復活して、ようやく第三共和制下の1881年に「出版は自由である」と定める法律が成立した。

これらの法律は、今も有効である。しかし、ここで間違ってはいけないのは、冒涜してもいいのは宗教や神であって、人や団体ではない。人や団体を冒涜した場合は侮辱罪になることが同時に定められた。

フランスでは、このような「表現の自由」、「出版の自由」、および「宗教冒涜の自由」を表現する方法の一つとして、風刺画が使われてきたのだ。そしてその文化は現在まで受け継がれている。

 「表現の自由」に対する問題が激化したきっかけ

しかしながら、風刺は常に行われてきたが、現在のような大きな問題になることはなかった。どの時点が大きな問題になるきっかけだったのだろうか。過去をふりかえってみると、2006年にシャルリー・エブドがデンマークの新聞に掲載された預言者ムハンマドの風刺画12点を転載するとともに、表紙にオリジナルの風刺画を載せたことが全ての発端になっているのが見えてくる。

そして、その元になったのはデンマークだった。2005年9月30日、デンマークの有力紙ユランスポステンが,週末版の文化面にムハンマドの風刺画12枚を掲載したのだ。

▲写真 ユランスポステンの看板 出典:tsca

この風刺画を載せたユランスポステン紙の当時のフレミング・ローズ文化部長は次のように説明する。

「宗教をことさら嘲笑すべきではないが,民主主義,表現の自由のもとでは,からかいやあざけりなどを受容することが必要だ。しかし一部のイスラム教徒は,近代社会,世俗社会(のこうした考え)を受け入れず,特別扱いを求めている。このため,われわれはイスラムについて自主規制という危険で際限のない坂をのぼることになった。そこで今回,デンマークの風刺画作家組合のメンバーに,彼らが考えるムハンマドを描いてくれるように依頼した…」(参考記事:ムハンマド風刺画の新聞掲載 イスラム世界に反発と混乱 | 調査・研究結果 – 放送研究と調査(月報)メディアフォーカス

それでもここに掲載された風刺画自体は、ある意味控え目で伝統的な風刺画であった。詳しく事情を知らなければ特に目をひくものでもない。イスラムに関係しない人々にはまったく問題がない風刺画であろう。しかし、イスラム教徒にとっては違った。ムハンマドの姿を視覚的に描写しないのが当然であるから、ムハンマドが描かれている自体が侮辱に相当したのである。

その上、点火された爆弾をターバンのように頭にのせた風刺画は,イスラム教徒をテロリストに結びつける偏見だと反発がでたのにもかかわらず、事はデンマークだけでは終わらなかった。ドイツ、イタリア、スペイン、オランダ、スイス、チェコが次々と掲載。そしてフランスではシャルリー・エブドが掲載したのだ。イスラム教徒反発は反発し、抗議はヨーロッパから中東、アジアへと拡大し、各国で大使館が襲われた。

そういった暴力的な反発をうけ、当時の大統領だった故ジャック・シラク氏はこのような声明を出している。

「表現の自由は、共和国の基盤の一つであるとともに、寛容とすべての信仰を尊重する理念に基づくものであることを思い出していただきたい。他者の信条、特に宗教的信念を傷つけるすべてのことを避けなければいけない。表現の自由は、責任の精神をもって使わなければならない。人々の感情を危険にあおるかもしれない、すべての明らかな挑発を非難します。また、在外国民や代表に対して行われる暴力を非難します。」(参考記事: DÉCLARATION DE M. JACQUES CHIRAC, PRÉSIDENT DE LA RÉPUBLIQUE, SUR LA LIBERTÉ DE LA PRESSE ET LE RESPECT DES CONVICTIONS RELI

これを読んでびっくりするのは、この時点まではフランスでもシラク氏によって、「表現の自由は、他者の信条を傷つけるすべてのことを避けなければいけない」と表明されていたことが見て取れる。表現の自由があっても他者を配慮する必要があるとしてたのだ。

しかしながら、これに対して、シャルリー・エブドの当時のディレクターであったフィリップ・ヴァル氏は記者会見で、「ショックを受けた。表現の自由の行使は挑発とはみなされない」と語り正当化を続けた。(参考記事: M. Chirac condamne “toute provocation”, “Charlie Hebdo” réimprime

その上、シャルリー・エブドの主張が決定づけられる出来事がおこった。2007年3月23日のパリ刑事裁判所(軽罪裁判所)の判決だ。これは、シャルリー・エブドがデンマークの新聞の風刺画を転籍し、表紙にオリジナルの風刺画を載せたことが「侮辱」にあたるかを判断する裁判であったが、判決は「無罪」。シャルリー・エブドの掲載した風刺画が、侮辱にあたらないと判決がで出たのだ。

この判決がでた主な理由は4点

1.神や宗教への侮辱や冒涜は処罰されない

2.侮辱の対象となるのは人や団体でなければいけない

3.人物が描かれている絵は、原理主義者を対象にしていて、原理主義者とイスラム教徒全体は同一視できない

4.シャルリー・エブドの新聞は風刺新聞で多くの風刺を掲載しているが、これは買うことや強制されることもなく、道に張られたポスターのように見ることが強制される絵ではない。

この判決結果を受けて、シャルリー・エブドは、何も変わることなく下半身が丸出しになった絵を含む、お下劣なタッチの風刺画を描いていったのだ。そして、2015年1月7日にあの12人が亡くなった「シャルリー・エブド襲撃事件」が起こったのである。

▲写真 12人の死を追悼し捧げられた花束(2015年1月11日) 出典:Passion Leica

その襲撃当時大統領だったオランド元大統領が、風刺について語っている番組があった。2020年の10月28日に放送された「C à Vous」という番組である。そこで、「あの風刺は人や団体を対象にしているものではない」と語っており、人や団体ではない対象に対しては侮辱にならないという法律および司法によってだされた判決に基づいで話しているのが伺える。

そして、政府は個人の権利を守るだけで、描いているのは個人や団体だという趣旨のことを語っている。同様に、現在大きく反感を買っているマクロン大統領の「冒涜する自由がある」という言葉も法律からきていることが理解できるだろう。決して、個人の感想を述べていたわけではないのだ。

しかしながら、フランス革命を経てようやく「宗教に対して冒涜することが死に値しない」権利をかちとったのにもかかわらず、そのことを理解できない人々によって、現在はテロにより「宗教を冒涜することは、死に値するもの」となった。しかも、関係がない人々にまで牙をむいている。

▲写真 「私はシャルリー」襲撃事件に抗議するパリ市民(2015年1) 出典:Olivier Ortelpa

■ そして、現在

現在、信仰の対象を侮辱された、つまりイスラム教徒自身を侮辱されたとするバングラデシュ、パキスタン、そして中東、北アフリカ、マリにて、何万人もの人々がフランスに対する反対デモを行っている。デモどころか、サウジアラビアではフランス大使館も襲撃されている。フランスのルドリアン外相が、海外に住むフランス国民に、フランスに対する攻撃がどこにおいても起こりうる状態なため、慎重になるよう呼びかけている状況だ。

そして、この記事を書いている間にも、リヨンの7区で教会を閉めようとしていた正教会の神父が銃で撃たれた事件が発生している。現時点では詳細が分からないが、おそらく今までの流れからいえば、イスラムに関連していると推測されているのだ。

そんな中、マクロン大統領は、反発を招いているイスラム諸国に理解をもとめるため、および、間違った報道による誤解を解くために、アラビア語版ニュースチャンネルであるアル・ジャジーラチャンネルで55分という長いインタビューに答えた。その中で、マクロン大統領は、

「漫画にショックを受ける可能性があることは理解していますが 、暴力を正当化できることを決して受け入れることはできません。それは絵の内容を支持しているという意味ではありません。私たちの自由、私たちの権利、私はそれらを保護することが使命としているということです」

と、フランス国民の権利をフランス大統領として守っていかなくてはいけないことを説明し、暴力を許容できないことを伝えたのである。どのぐらいの人が、ちゃんと理解するかはわからないが、言いたいことはきっちりと詰まっているインタビューであった。

しかし、このインタヴューがどこまで効果があるかは未知数だ。残念なことに、このインタヴューで単独でくるテロリストを抑制できるとは到底思えない。フランス政府とイスラム教徒との深い溝を埋めていくには、もっと時間がかかるだろう。

最終的には「表現の自由」をフランス国民がもっと節度ある使い方をし、イスラム教徒がある程度「表現の自由」を受け入れるなど、お互いが歩みよって解決していくことが必要になってくる。しかし、それが実現できる日はいつになるかは予想すらできない状況でもあるのだ。

トップ写真:仏、マクロン大統領 出典:flickr Jacques Paquier




この記事を書いた人
Ulalaライター・ブロガー

日本では大手メーカーでエンジニアとして勤務後、フランスに渡り、パリでWEB関係でプログラマー、システム管理者として勤務。現在は二人の子育ての傍ら、ブログの運営、著述家として活動中。ほとんど日本人がいない町で、フランス人社会にどっぷり入って生活している体験をふまえたフランスの生活、子育て、教育に関することを中心に書いてます。

Ulala

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