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.社会  投稿日:2014/4/29

<4月12日なみえ復興祭 > 風化を防ぐために 〜まずは足を運ぶこと。すべてはそこから始まる


佐々木瞳(元ラジオ福島・アナウンサー)

執筆記事

東日本大震災から、3年以上が経過し、皆さんは、どの位、被災地のことを思い出すだろうか。

「震災の風化」という言葉を聞くが、私は、最近それを以前より強く感じている。

例えば、福島県外に行ったときに、震災から一年目位までは、「震災で大変だったでしょう?」「福島県は今、どのような状況なの?」というようなことを頻繁に聞かれていたが、月日が経ち、最近では聞かれる頻度が低くなった。

確かに、震災直後と比べれば、がれきは撤去され、道路が直り、新しい建物が並んでいるため、復旧・復興が進んでいるように感じるかもしれない。しかし、福島県には、震災の影響で、自宅に帰れず、避難生活を余儀なくされている住民が、今もなお、県内外に14万人弱存在する。 その避難生活を余儀なくされている地域の1つが、原発から9キロ離れた浪江町である。

浪江町の多くは、5年以上の居住が制限されている帰還困難区域と、引き続き避難の継続を求める居住制限区域に指定され、避難している住民は2万1000人にも上る。 浪江町の皆さんは、幾つかの地域で避難生活を送っているが、その一つが、浪江町民200人が避難している相馬市の大野台第8応急仮設住宅である。

gazou679この仮設住宅の駐車場で、先日4月12日に、「なみえ復興祭」が開催された。 これは、仮設住宅で避難生活をしている浪江町民が、「楽しみながら地域とのつながりを感じ、希望に繋げたい」と開催している復興支援のライブイベントだ。 去年の春、秋に続き、3回目となる今年の4月も沢山の人が集まり、賑わいをみせた。

会場では、アーティストや芸人のライブパフォーマンス、食べ物の販売、フリーマーケットのほか、熊本県から復興支援で届くオレンジの配布なども行われた。

このイベントの目的の1つは、他の地域で避難生活を送っている町民が同じ場所に集まり、顔を合わせるということだ。大人も子供も、久しぶりに会う人たちと楽しそうに話しながら、パフォーマンスを見たり、支援物資の列に並んだり、思い思いの時間を過ごしていたように見えた。

40代の女性は、「人が沢山いて盛り上がって本当によかった。昔から知っている人と顔を見て話せたのも、電話で話すよりやっぱりいいですね。」と笑顔で話してくれた。

また、ステージも大変盛り上がっていた。特に、最後のステージで登場したアーティスト「励まし屋」の2人は、主に東京を拠点として活動しているが、震災後からは、被災地を訪れ、歌で被災地の人たちを励まし続けている。

gazou680震災直後から通い続けていることもあり、彼らがステージに登場すると、観客が集まり、彼らの名前を呼ぶ。彼らの歌の歌詞は、「ぜったーい!ぜったい!出来るんだ!君がキミを信じれば!」といったシンプルで、メッセージ性の強いものが多く、背中を押してくれる。彼らが歌い始めると、観客たちが、歌に合わせて手を振ったり、口ずさんだりして、さらに会場は賑やかになった。

「励まし屋」の吉野さんに、何故、被災地に通い続けるのかと聞くと、「最初は、自分たちの出来ることがないかと思ってやっていたが、今は、支援というより友達に会いに来ている感覚。一緒に楽しめたら嬉しい」と話す。

今回、イベントの設営や運営に関わった大学生や社会人のボランティアスタッフもいたが、現場で自分たちに何が出来るのかを模索しながら、取り組んでいた。

例えば、普段、東京で整体師として働く40代の男性は、自ら声をかけ、被災地の方々の体をマッサージしてコミュニケーションをとりながら、皆の疲れを癒していた。最後には「ここで開業すればいいのに~」と言われる位、気に入られていた。

このイベントを主催した大野台第8応急仮設住宅自治会長の小松さんは、「このイベントを開催することで、久しぶりに浪江町民が顔を合わせ、話せる瞬間がある。繋がりを作るのが目的であり、その光景を見るとやったかいがあったなと思うし、開催の準備や配布する物資を集めることは大変だが、力になってくれるボランティアの人たちがいる限り、続けていきたいと思う。」と話していた。

支援されるだけではなく、支援してくれることに感謝し、イベントの成功という形で返していく、そしてボランティア側も、人が笑顔になってくれること、喜んでくれることにやりがいを見つけたり、現地の人との繋がりに楽しさを感じたりと、いい連鎖が生まれているように感じた。

震災から3年以上がたち、被災地の必要なものは変化し、ボランティアに求めるニーズも変化している。物的な支援から精神的なケアへとだ。

一方で、ボランティア側の迷いもある。最近、私がよく耳にするのは、「3年たった今、何かしたくても何をしていいか分からない」という声だ。

しかし、現地で、自分の目で見て話を聞くことで、感じることは必ずあると思う。先ほどの整体師の方のように、被災地との関わり合いから、出来ることを見つける人も多くいる。被災地は、まだまだ多くのものを求めている。

これからも、一人一人が被災地に足を運び、自ら出来る事を見つけてほしい。そうした小さなアクションの積み重ねが、震災の風化を防ぐことにつながると思う。

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【執筆者紹介・佐々木瞳】

gazou6741986年、神奈川県川崎市出身。中央大学文学部卒業。

2010年7月に、福島県のラジオ福島にアナウンサーとして入社。 東日本大震災後は、震災報道に従事し、 津波の被害の大きかった浜通りを中心に県内各地を取材。

また、朝の情報番組や中高生を対象にした番組のパーソナリティー、番組企画、制作、イベントの司会なども務める。 2014年3月に退社。「福島の今を伝え続けたい」という想いから、 被災地の取材を続ける。

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