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.国際  投稿日:2021/2/17

NY地下鉄、突き落とし多発


柏原雅弘(ニューヨーク在住フリービデオグラファー)

【まとめ】

・NY地下鉄ホームで突き落とし事件が多発、死者も出ている。

・突き落とし犯は精神的疾患を抱えているケースが多い。

・コロナ禍で治療・投薬が受けられない患者が増加しているのは問題。

 

昨年末以来、ニューヨークの地下鉄のホームで、電車を待っている間、突然線路に突き落とされる事件が多発している。今年に入ってからだけでも、すくなくとも5件のケースが発生しており、死者も出ている。 

コロナ禍になって地下鉄の利用者はコロナ禍以前(1日550万人)とくらべ半分以下に落ち込んでおり、利用者が少なくなった結果、強盗も含む犯罪率は全体では大幅に減少しているとのことだが、統計によれば暴行、殺人などはむしろ増加しているという。

2021年2月9日の朝8時ころ、ニューヨーク・ブロンクス区のホームで電車を待っていた54歳の女性は、派手な黄色のズボンを履いた女に突如、線路に突き落とされた。女性は大声で助けを求め、ホームにいた男性に助けられた。怪我を負って病院にはこばれたが、犯人は女性を突き落としたあと、しばし成り行きを見守ったあと立ち去ったという。現時点で犯人の身柄は確保されていない。

また、2月2日、午後4時前、マンハッタンの地下鉄ホームでヘッドホンで音楽を聞いていた26歳の男性は突如背後から来た男に突き飛ばされ、線路に転落した。運良く比較的軽症ですんだが、落ちた場所は電車に電力を供給する第三軌条(サード・レール)と呼ばれる、625ボルトの電流が流れるレールまでわずか1メートルあまりの場所であった。

写真)ニューヨークの地下鉄はパンタグラフ式ではなく、サードレールと呼ばれるレールからの電源供給方式。写真右の白い板の下の部分。625ボルトの直流電流が流れる。
撮影)著者

犯人は逮捕されたが、逮捕歴と精神疾患による通院歴があり、過去に地下鉄の車内で生活していたとして、警察が数回、ホームレス用のシェルターに連れて行ったこともあるという。

1月中旬に起きた別の突き落とし事件は世間に衝撃を与えた。

1月16日午後4時ころ、セントラルパーク・ノースの地下鉄のホームに突如、全裸の男が現れ、狂ったように踊り始めた。構内とは言え、真冬のニューヨークである。

写真)人気の少ない地下鉄のホーム。コロナ禍で広告の出稿が少なく、ポスターを掲示する場所には空きスペースも
撮影)著者

全裸で踊りながら男はホームにいた人々を挑発し、挑発を受けたひとりの男性が身構えると男は男性を殴り始め、男性はバランスを崩し、線路に転落した。男性は転落の衝撃で失神し、事態を目撃した退役軍人の男性が、転落した男性を助けようとホームから線路に飛び降りた。
一旦現場を去った全裸の男は、その様子を確認するや現場に戻り、自分も線路に飛び降りた。その時、列車が侵入、急ブレーキでそこからわずか10メートルの位置で停車した。
全裸の男は男性の救助を妨害しようと襲いかかろうとしたが、退役軍人の男性が男を振り払ったはずみで、男は転んで、625ボルトの電流が流れるレールに接触し、全裸男は感電、即死した。
625ボルトの直流電流の衝撃は凄まじく、退役軍人の男性もその場に倒れ込んだという。男の体は焼け焦げ、煙が出始めた。

救助にあたったこの男性、タイラー・ホレルさん(55)は近くの青少年の更生施設で働いていた。実はホレルさんはこの全裸の男、マリク・ジャクソン(35)のことを以前から知っていた。「彼が通りを歩く時、歩道ではなく、道路のセンターラインを歩いていた。いつも行動は奇妙だったが、暴力を振るったことはなかった」という。マリクは近くのホームレスのシェルターに住んでいた。
線路に転落した男性はその後回復し、世間はホレルさんを「ヒーロー」と呼んだが、「私はヒーローなどではない。(行動は)神に与えられた責任。困っている人を助けるのは神に与えられた責任だ」と言い切る。ホレルさんは他の対応を出来ていれば、彼は死ななくて済んだのではないかと深く思い悩んでいる。
マリクは17歳のときから精神疾患に苦しんでいた。母親によれば薬を服用してるときは「普通に親切で思いやりのある子だった」という。


一連の地下鉄突き落とし事件のほとんどに共通するのは、突き落された人と、突き落とした側にはなんの面識もなく、事件の殆どは昼間の時間帯に起きている。突き落とし犯はすべて、以前から精神的な疾患を抱えている。

先週の地下鉄ではさらに凄惨な事件が起きた。
週末の14時間の間に、地下鉄の構内で4人のホームレスがめった刺しにされ、その内2人が死亡、市民を恐怖に陥れた。
ニューヨーク市警は厳戒態勢を敷き、半日後に21歳の男が逮捕されたが、やはり精神疾患を抱えており、4回の逮捕歴があった。被害者のホームレス4人のうち、身元がわかったひとりも精神病棟に入院していたことがわかった。

90年代まで「汚い」「時間通りに来ない」「危険」「サービスが悪い」と散々の評判だったニューヨークの地下鉄はその後の社会の治安回復や、経済の活況などの後押しを受けて、少なくとも「危険」と「汚い」は大幅に状況が’改善されたはずであった。

写真)コロナ禍でラッシュ時以外は地下鉄の利用客は少ない
撮影)著者

ところがコロナ禍以降、通勤通学客がいなくなり、人のいなくなった車内は深夜を中心に激増するホームレスの人々の受け皿とも言うべく「走るシェルター」と化した。たまりかねた地下鉄当局は地下鉄の歴史上初めて、24時間の営業をとりやめ、夜は駅構内を閉鎖し、ホームレスの人々を締め出した。
加えて、レストラン、バーなどの深夜営業施設の営業も禁止になり、これによって、深夜の時間帯は人々の姿や、街の灯は消え、かつて「眠らない街」と言われたニューヨークは不気味な暗闇と静寂が支配する街になった。


地下鉄を運営するニューヨーク州都市交通局(MTA)が毎年10月に行う利用者の意識調査で「ニューヨークの地下鉄は安全と感じる」と答えた利用者は、2019年は67%だったのに対し、2020年は42%と大幅に低下した。その後、目立つ事件が多発しているので、現在調査を行えば、この数字はさらに悪いものになると予想される。

多発する事件を受けて、ニューヨーク市警は急遽、地下鉄構内に1000人の警察官を配備するとの発表を行った。この中には75人の覆面警察官が含まれる。


しかし、交通局はこういったニューヨーク市の対応は不十分、と批判的だ。事件を起こした人々全員が精神的な問題を抱えていたことが明らかになり、事件を根本的に防止するには警察力による対応だけではなく、現場には訓練を受けた精神疾患の専門家の派遣が必要だという立場だ。警察力で対応できるのは重犯罪に限られ、重犯罪以外で拘束された人々はすぐに釈放され、精神的なケアを受けることなく、また同じ事件をおこす予備軍として地下鉄に戻る。


急増する地下鉄突き落とし事件や暴力犯罪はコロナ禍と無関係ではない。もともと精神疾患を抱えていた人が、コロナ禍によって、適切な治療が受けられなくなってしまったケースがある。

全裸で事件を起こしたマリク・ジャクソンはその典型だ。事件を起こしたこれらの人々のことをニューヨーク市警では「EDP’s (Emotionally Disturbed Persons 情緒障害者)」という警察用語で呼んでいる。
マリクの母親によるとコロナ禍以前、マリクは精神衛生の専門家の訪問による投薬治療を受けていた。しかし、パンデミックにより専門家の訪問を受けられる機会が大幅に減り、マリクは薬を飲むのを止めてしまった。長い時間、薬を飲まなかったのが奇行の原因と思う、と母親は地元紙に語っている。

 

一連の事件を調べている司法精神科医は、総合失調症の状態にある人が適切なケアを受けられない場合、自ら薬を手に入れたり飲んだりすることができないと言う。
MTAのスポークスマンは「これら精神衛生上の危機は、地下鉄に限ったものではなく、メンタルヘルスのケアが制限されている状況は市全体の危機」と語る。この問題に取り組むことなく、事件を取り締まるだけでは問題の根本的な解決にはつながらない。
とは言え、日常的に地下鉄を使わざるを得ない自分などは、他の移動手段を持たない以上、これからも起きかもしれない事件に備えて、ホームの隅に立たないなど、簡単な自衛をこころがけるしか防ぐ手段がない。また人が突き落とされたり、暴行を受けた場合に、自分がどういう行動に出るか、わからない。

 

線路に落とされた人を助けた、先のホレルさんは言う。
「彼(マリク)が男性を突き落とした時、ホームにいた人たちは他に助けを求めるよりインスタへの投稿に興味を持っているように見えた。私が助けを必要としている人を見たら助けるのが私の道徳や価値観でありそれが神に与えられた責任。私が助けを必要としていたら助けてもらいたいし(実際に最後には自分が)助けてもらった
ホレルさんは両膝と背中に障害を持っていた。しかし、飛び降りた線路から助け上げられ、病院で診察を受けた時に初めて痛みと傷に気がついたという。
ホレルさんの人としての道徳心、気概には心より敬意を表するが、自分がその場にいたら何ができるだろうか。地下鉄利用者の一人として事件はとても身近な問題だ。目撃者になるかもしれないし、運が悪ければ自分が被害者にもなりえる。

写真)乗り降りする人々
撮影)著者

地下鉄は深夜の運行停止時間を今までの午前1時終電、午前5時始発のシフトから、午前2時を終電の時間とし、始発も4時からに改めた。利用者の増加が見込まれるがこれらの問題が早く改善に向かうよう、願わずにはいられない。

トップ写真)NY、ホームで電車を待つ人々
撮影)著者


▲頻発するNY「地下鉄突き落とし」(Japan In-depth Youtubeより)




この記事を書いた人
柏原雅弘ニューヨーク在住フリービデオグラファー

1962年東京生まれ。業務映画制作会社撮影部勤務の後、1989年渡米。日系プロダクション勤務後、1997年に独立。以降フリー。在京各局のバラエティー番組の撮影からスポーツの中継、ニュース、ドキュメンタリーの撮影をこなす。小学生の男児と2歳の女児がいる。

柏原雅弘

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