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.社会  投稿日:2021/2/26

見方と見せ方は程度問題(上)スポーツとモラル その4


林信吾(作家・ジャーナリスト)

「林信吾の西方見聞録」

【まとめ】

・ウェアの露出度により女性アスリートが注目されることが多くあった。

・最近では性的な画像を拡散された女性アスリートから抗議も。

・アスリートを性的対象とした写真の拡散や無断販売は人権問題。

 

元ビーチバレー選手で2012年に現役引退し、現在は主婦業の傍らタレント活動を続けている浅尾美和さんには、かつてニックネームをふたつ授けられいていた。

ひとつは彼女の代名詞ともなっていた「ビーチの妖精」で、もうひとつは「3億円ボディ」である。

身長172センチでスタイル抜群だった彼女は、競技生活と並行してモデルやグラビアの仕事もこなしていたが、ヌードにならないかというオファーがあり、その際2億円のギャラが提示されたそうだ。これは彼女自身が引退後にTVで語ったことで、

「(ヌード撮影は)やりませんけど、びっくりしました」

と笑っていた。この話に尾ひれがついたのか、別の会社が、

「2億でダメなら3億出す」

と言ったとか言わなかったとかで、くだんのニックネームの由来となったものらしい。

おそらく紙の写真集ではなくDVDを念頭に置いての企画だったのだろうな、などと思った。最近は雑誌の付録にDVDが付いたりすることからもお分かりのように、紙の本よりも安い製作費で作れるからだ。もちろんコンテンツにもよるが、いわゆるVシネマと違ってギャラは一人分で済むし、ヌード画像だけなら衣装代もかからない笑。それでも常識的に考えて、2億円のギャラを提示したということは、10億円くらいの売り上げが期待できると踏んだのだろう。1本4000円として25万本、か。

あり得ない数字ではないがビミョーなところだ……という話ではなくて、やはり彼女はビーチバレーの「広告塔」だったのだな、とあらためて思わされた。五輪出場経験はなく、本人の努力と熱意を思うと、こういう言い方は心苦しいが、妖精とは呼ばれても女王とは誰も呼ばなかった。

一方で、彼女の人気のおかげで観客動員数が大いに増えた事実は争えない。増えた観客の中には、いわゆるカメラ小僧が占める比率も高かった。彼女とは別の元選手が、試合中に後ろからカシャカシャ(シャッター音が)聞こえてくるのは実に不愉快だった、と語ったことがある。

気持ちはよく分かるが、規定が規定だったという側面も指摘せねばなるまい。

どういうことかと言うと、ビーチバレーは1915年前後にハワイで生まれたスポーツで、当初から水着で行うスポーツだとのイメージがあった。1996年アトランタ五輪で初めて正式種目になったが、その後1999年に水着のサイズなどの規定が設けられた。

いわく、女子は水着を着用すること、それも背中が完全に見えるデザインに限る、と定められたのだ。必然的にビキニスタイルとなり、なおかつボトムス(アメリカ英語ではパンツはもっぱらズボンの意味になるので、こう呼ぶのだとか)の横幅は7センチ以下とされていた。 

さすがの私もパンツのデザインにまで造詣はないが、しかしながら常識で考えて、これではお尻が半分見えるようなことにならざるを得ないだろう。

今では、具体的には2004年アトランタ五輪以降、読者ご賢察の通りの理由で、この規定は廃止され、ワンピース型の水着や、ショートパンツの着用も認められている。イスラム圏では逆に、ビキニの着用を禁じていたりもする。

ただしこれは例外的な現象で、今も大半の選手がビキニを着用し続けているのだが、これは動きやすさを求めた結果であると同時に、

「水着が小さい方が強そうに見える、という共通認識がある」

からだとか。これも元選手の証言で、ここまで来ると門外漢には理解が及ばないが、と言って、あながち笑いごとでもない。

3月に中東カタールでビーチバレーW杯が開催されるのだが、ドイツ代表がボイコットを表明した。理由は前述の、ビキニ着用を禁止する規定である。当の選手は取材に答えていわく、

「私たちは仕事で行くのに、仕事着の着用を政府が禁じるなど、非難されるべき事柄です」

だったらカメラ小僧が文句を言われる筋合いもないのでは、と思われた向きもあるやも知れぬが、動きやすく「強そうに見える」水着を選ぶことと、試合中、お尻にカメラの焦点を合わせられることはまったく別の話だ。

これはビーチバレーだけの問題ではない。

体操の元日本代表(2012年ロンドン五輪に、兄二人と史上初の兄妹同時出場を果たした)である田中理恵さんは、コンビニでたまたま手に取った雑誌に、レオタード姿で大きく開脚している自分の写真が「袋とじ」で掲載されていたのを見て、愕然としたことがある、と語っていた。

▲写真 田中理恵元選手 2012年ロンドンオリンピック 出典:Cameron Spencer/Getty Images

つまりは今に始まった問題ではないのだが、最近ようやく一部の陸上選手が、性的な画像を拡散されることに抗議したのを皮切りに、多くの女子アスリートが声を上げ始めた。

ここにもいささかビミョーな問題があって、五輪のルーツである古代ギリシャのオリンピア競技会というのは、単なる競技ではなく、鍛えぬいた肉体を神にお目にかけるという行事でもあった。相撲のルーツも同様である。

このため地域や時期によって違いはあるが、全裸で競技を行うことも多かったのだ。そのためまた、女性が観戦することは認められなかったりもした。やはり異性の裸体は過度に性的な興奮をもたらすので、神もお喜びにはならないだろう、と考えられたのだ。

話を浅尾美和さんに戻すと、現役時代の彼女のビキニスタイルは、たしかにこの上もなく美しかった。しかしそれは、引き締まった長い四肢に日焼けした肌という健康美の極致であったので、個人的な感想ながら、カネを払ってでもヌードを拝みたかったかと言われると、それもまたビミョーに違うことのように思える。

そうではあるのだけれど、人間は神よりも動物に近い存在で、鍛えられた肉体を美しいと感じるのは、優秀な子孫を残したいという本能に根差している以上、肌を露出する度合いと比例して性的な興奮が呼び起されるのは、致し方ないことだろう。

さらに言えば、21世紀の今日、天上の神々もご照覧あれ、といった気構えで競技に臨むアスリートが、さほど大勢いるとは思えないが、お客様は神様という考え方は、観戦スポーツにも適用し得るのではないだろうか。

まったくの事実問題として、お金を払って見に来てくれる人たちがいるからこそ(TV放映権料も、視聴者が間接的に負担している)、競技の運営や選手の育成にお金を使うことができるのであり、これは決してプロスポーツだけに言い得ることでもない。大会を主催する側にも、美人アスリートの人気が高まれば競技自体に注目度も高まるといった「スケベ心」がないとは考えにくい。

ただし、ものには限度ということがある。選手が迷惑だと感じるなら、カメラ小僧を会場から締め出すくらいのことは、むしろ賞賛されるべき事柄ではないか。

選手にも肖像権があるし、肌を露出しているからと言って、あられもない写真を拡散されたり、まして無断で売り物にされるなど、言語道断。これはスポーツに対する冒涜を超えた、純然たる人権問題なのである。 

(続く。その1その2その3

トップ写真:FIVBビーチバレーボールワールドツアー2019東京大会 出典:Kiyoshi Ota/Getty Images




この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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