無料会員募集中
.国際  投稿日:2021/5/7

モンデール元副大統領と日本(下)尖閣問題での大失言?


古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)

「古森義久の内外透視」

【まとめ】

・モンデール氏が「尖閣は日米安保条約の適用外」と爆弾発言。

・日本国内で猛反発。その後のブッシュ政権は氏の発言を否定。

・「日本が尖閣を断固守る姿勢みせないことが米のあいまい対応招いた」との指摘。

 

 ウォルター・モンデール氏に関して私が忘れられない事例の第二は尖閣諸島に関連しての同氏の発言だった。この問題発言は日米同盟の根幹までも複雑な形で揺るがす衝撃的な影響を数年にわたり残す結果となった。しかも日本にとっての悪影響だった。

 すでに述べたようにモンデール氏は1993年に民主党のビル・クリントン大統領に日本駐在の大使に任命され、その年の9月には東京に赴任した。日本では当初から温かく迎えられた。なにしろ副大統領を務め、大統領選挙でも候補だった有名な政治家なのだ。

 日本では官民ともにアメリカ大使となると、いわゆる大物が好きである。古い話とはなるが、1970年代の民主党クリントン政権時代、上院の院内総務だったマイク・マンスフィールド氏が駐日大使に選ばれた。

アメリカ政界では上院議員というだけでも国政の高位である。ましてその上院議員を束ねる院内総務というのは、いわゆる大物だった。マンスフィールド大使は結局、共和党のレーガン政権でもそのまま留任ということになり、10年ほども東京に勤めて、日本の各界から人気を集めた。

私も東京に戻った際にはマンスフィールド大使へのインタビューの機会を何回か得た。そのたびに大使は執務室に私を招きいれて、「まずコーヒーはいかがですか」と問い、自分自身でワイシャツの腕をまくり、コーヒーをカップに注いでくれたものだった。大物大使のそんな気さくな動作にすっかり魅せられたことを覚えている。

 大物といえば、モンデール大使のすぐ後任には下院議長を務めたトーマス・フォーレイ氏が任命されて、これまた日本では大歓迎された。そんな時代にくらべると、近年のアメリカの駐日大使はやや軽量級という感じもする。いずれにしてもモンデール大使は元副大統領という経歴だけでも、日本では厚遇されたわけだ。

 モンデール氏が赴任した当時の日本は総理大臣が細川護熙、羽田孜、村山富市と、くるくる変わり、政局は混迷した。そのうえ、クリントン政権は対日貿易赤字の問題を重視し、日本に対しては経済面で大幅な市場開放や一定量のアメリカ製品の輸入を義務づける「管理貿易」の押しつけなどで、摩擦も辞さなかった。

 そんななかでモンデール大使は副大統領の体験からか、さすがにアメリカ政府代表の役割をそつなくこなし、日本側の好評を崩すことはなかった。赴任から3年目の1996年に入ると、日本側では橋本龍太郎首相が登場して、沖縄の米軍普天間飛行場の日本への返還問題が切迫した課題となった。日米両国間のこの課題をめぐる交渉ではモンデール大使も重要な役割を果たし、1996年4月には合意を成立させた。

 それから25年、普天間飛行場返還は代替移転予定先の辺野古基地の建設が遅れたことなどにより、いまだに実現はしていない。だが当時の日米合意はモンデール大使の役割とともに、それなりに高く評価されていた。

▲写真 沖縄県宜野湾市の市街地にある普天間飛行場(2018年5月31日)。モンデール大使は返還交渉で重要な役割を担った。
出典:Carl Court/Getty Images

ところがモンデール大使はこの普天間基地返還合意が成立してまもない1996年9月、日米安全保障関係にも異色の一章を刻む爆弾発言をしたのだった。その発言とは簡単にいえば、「尖閣諸島は日米安保条約の適用範囲に入らない」という趣旨だった。つまり日本の固有の領土であり、日本の施政権はアメリカ政府も認めてきた尖閣諸島がもし第三国から軍事攻撃を受けても、アメリカはその防衛にあたる責務はない、というのである。日米安全保障にかかわってきた関係者たちにはショッキングきわまる発言だった。私もまた信じがたい思いだった。

 問題の記事はニューヨーク・タイムズの1996年9月16日付に掲載された。記事の筆者は東京支局長のニコラス・クリストフ記者だった。同記者は中国報道でも声価を高めたベテランのジャーナリストだった。その記事のなかではモンデール大使は以下のように語っていたのだ。

「もし尖閣諸島が(日米以外の)第三国の軍事攻撃を受けてもアメリカ軍は防衛の責任はない」

「日米安保条約は尖閣諸島には適用されないため、アメリカ軍は安保条約により介入する責務はない」

「アメリカにとって尖閣諸島の地位は相互防衛条約が存在しない台湾の地位と似ている」

 この記事は東京発で、尖閣諸島をめぐる日本、中国、台湾の紛争を詳しく報じていた。その紛争へのアメリカの立場についてモンデール大使は「アメリカ軍には尖閣防衛の義務はない」と言明したのだった。この言明は日本側にはまったくの驚きであり、ショックだった。それまでの日米両政府間の対話や日本側での安保条約の解釈では尖閣諸島は当然、同安保条約第5条のアメリカの日本との共同防衛の対象になると判断されてきたからだ。

▲写真 尖閣諸島の魚釣島
出典:内閣官房/外務省ホームページ


クリストフ記者の記事自体にもアメリカの立場について「日本政府当局者たちはアメリカには日米安保条約のために、尖閣諸島の日本の領有権を守るため(同諸島に第三国からの武力攻撃があった場合には)軍事力を使用する責務があると述べている」と記していた。そのうえで、モンデール大使が「アメリカはだれが尖閣諸島を領有するかについてはとくに立場をとらない」として、日米安保は尖閣には適用されないという意味の発言をしたと伝えていた。

 アメリカ政府が他国同士の領有権紛争に対してはその当事国が同盟国であっても、どちらかの主張を支持せず、中立の立場をとる、という政策は明確にしていた。しかし日米安保条約第5条では「日本の施政の下にある領土や領海への武力攻撃には日本と共同して対処する」と明記されていた。

尖閣諸島が日本の施政権下にあることは1972年の沖縄返還の際に尖閣諸島も沖縄の一部とみなして、アメリカはその施政権を日本に返還したのである。だからモンデール大使の言明は日米双方のこれまでの常識を打ち破っていたのだ。もし同大使の言明がアメリカ政府の公式政策を示すとすれば、アメリカ側からの日米安保条約の一方的な変更ということにもなる。

当時、尖閣諸島には日米両国だけでなく、国際的な注意が向けられていた。中国や台湾は1960年代後半から尖閣諸島の領有権を主張するようになったが、ちょうどモンデール発言のあった1966年に中国と台湾の両方の活動家たちが尖閣周辺の日本領海に侵入して、その一部は尖閣諸島に違法な上陸を試み始めたのだ。

日本側でも一部の政治団体が日本の領有権の明示のために、尖閣諸島に灯台を建設するという動きにも出ていた。そんな時期にアメリカが尖閣諸島を防衛しないというアメリカ大使の言明はとくに日本側にとってショックだったわけだ。

日本の政界も国会議員からその後、まもなく東京都知事となる石原慎太郎氏らがモンデール大使発言を不当だと断じ、強い抗議の声を内外であげた。

▲写真 モンデール大使の発言には石原慎太郎氏らが強く反発した。写真は東京都知事時代の石原氏(2009年1月13日 外国特派員協会)
出典:Kiyoshi Ota/Getty Images

 

私はちょうどこの時期はワシントンに駐在しての記者活動を続けていた。だがモンデール大使のこの発言にはびっくり仰天した。さっそくホワイトハウスや国務省に問いあわせた。ホワイトハウスでは外交官としてのモンデール大使の言動は国務省の管轄範囲内だと述べて、私にも国務省に質問するように告げてきた。

だから国務省の報道官に記者会見の場や電話でそれこそ合計10数回も質問をした。

「モンデール駐日大使が『尖閣諸島が攻撃されても米軍には防衛する義務はない』と述べたと報道されたが、アメリカ政府として、あるいは国務省としての見解はどうなのか」

そんな質問を自分でもいやになるほど繰り返した。なぜ繰り返したかというと、相手がきちんと答えなかったからだ。

「その件についてはいまは論評できない」

「尖閣への武力攻撃などという仮定の質問には答えられない」

こんな答えばかりが返ってくるだけだった。

そして明らかにまちがいと思われるモンデール発言は否定もされないまま、肝心の同大使がその発言から3ヵ月ほど後の1996年12月には退任し、アメリカへ戻ってしまった。さらにその後もクリントン政権のだれもモンデール発言を否定も修正もしないままに歳月が過ぎて、2001年1月には政権自体が退陣した。

ところがその直後に共和党のブッシュ政権(第2代)が登場すると、そのとたんに尖閣諸島に関する対応は変わってしまった。ブッシュ政権の高官のリチャード・アーミテージ氏らが自ら進んでのような発言で「尖閣諸島には日米安保条約が適用される」と明言するようになったのだ。

▲写真 ジョージ・W・ブッシュ大統領(中)とリチャード・アーミテージ国務副長官(左)。右はパウエル国務長官。(2003年8月6日 テキサス州クロフォード)
出典:Susan Sterner/The White House via Getty Images

 

以上が私にとって忘れられないモンデール氏の第二の政治軌跡だった。

ではなぜこんな発言が出たのか。

後にアメリカ連邦議会の議会調査局の東アジア安全保障問題専門官のラリー・ニクシュ氏がワシントンでのシンポジウムでこのモンデール発言について以下のように述べていた。

「モンデール大使がニューヨーク・タイムズに述べた見解は完全にまちがっていた。国務省や在日米大使館が事前の調査をせず、大使に正確な説明をしていなかったためだろう」

「国務省報道官も尖閣諸島に第三国から攻撃がかけられた場合、米軍に防衛の義務があるかどうかという質問に『条約をみていないからわからない』などと回答を避けたのは日本を軽視して、十分な調査や研究をしていなかったためだといえる」

「日本側が自国領土だと主張する尖閣諸島への外部からの侵入を断固、排除するという姿勢をみせなかったことがアメリカ側のあいまいな対応を招いた側面もあったように思える」

ニクシュ氏の日本に関するこうした指摘はモンデール大使発言からすでに25年が過ぎた現在にも通用する助言を含んでいるようである。

 

(終わり。)

トップ画像:ウォルター・モンデール元副大統領(1984年7月1日 米・ミネソタ州)
出典:Owen Franken/Corbis via Getty Images





この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

copyright2014-"ABE,Inc. 2014 All rights reserved.No reproduction or republication without written permission."