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.社会  投稿日:2021/5/31

五輪損切り、消費税凍結を選択肢に(下)「コロナ敗戦」不可避か 最終回


林信吾(作家・ジャーナリスト)

「林信吾の西方見聞録」

【まとめ】

・世界中から人集めるリスクをとるよりは、経済的なダメージを甘受したほうがよいのではないか。

・消費税をひとまず凍結(税率0%)したらどうか。

・消費を刺激する効果が期待出来る。

 

夏の東京五輪 中止の決断を菅首相に求める

これは5月26日付の朝日新聞が掲載した社説のタイトルである。

日本を代表する新聞が五輪の中止を訴える記事を掲載したとして、世界中のマスメディアが注目しているが、私としては。つくづく困ったものだ、としか言いようがなかった。

まず、この連載で再三指摘しているように、菅首相には中止を決断する権限などない。東京都が開催権返上をIOCに伝えれば、自動的に中止にはなるが。

私のような昭和世代の文筆業者にとって『朝日新聞の用語の手引き』は、まさしく必携であった。その版元が、見出しの用語法からして不正確な社説を掲げるとは。

第一、オフィシャルパートナーとして60億円もの協賛金を払った会社が、パートナーを降りる気はないと言いつつ、中止を求めるというのでは、もはや日本語として成立しないのではあるまいか。

これだけではない。ワクチンの集団接種開始と前後して、具体的には20日過ぎ当たりから、東京都の感染者数について「X日連続で前の週を下回った」という報道ばかりになってきている。検査数も徐々に減ってきているのだということを、どうして報じないのか。

検査数と感染者数は分母と分子の関係だから、分母が小さくなれば、分子も絶対数としては小さくなるに決まっている。とどのつまり、現実の戦況とはかけ離れた「大本営発表」を垂れ流して国民の戦意を煽り続けた当時と、本質的なところでは変わっていないと言われても仕方ないだろう。

そうではあるのだけれど、私としては朝日新聞の姿勢以上に、五輪開催を支持し続ける人たちの議論に違和感を感じざるを得ない。

前回も触れたように、ここで開催権を返上したりすれば、IOCから莫大な賠償金を請求され、ただでさえ新型コロナ禍にあえぐ日本経済が受けるダメージは計り知れない、というのが、リスクを負ってでも開催せよ、という議論の柱である。

すでに多くの人が承知していることだが、IOCの収益の80%近くは五輪開催時のTV放映権料だ。チケットを買って会場に足を運べる人の数は、最大でも10万人程度だが、TV放送は世界で数億人が見る。放送局としては、相応の放映権料を支払っても、それだけの視聴者を釘付けにできるのなら安いと考える。

逆に言えば、中止した場合にはIOCが被る逸失利益も莫大なものとなるので、当然、日本側に損害賠償を求めてくるだろう、というわけだ。

ただ、開催都市契約2020(東京都のホームページからダウンロードできる)を読んでみた限りでは、東京の事情で中止になった場合の損害賠償について、明確な取り決めはなされていない。念のため知り合いの弁護士にも確認を求めたが、

「なにぶん前例がないことだから、そもそも本当に訴訟になるか、一体どこの裁判所に提起するのか……IOCも困るんじゃないでしょうかね」

とのことであった。こうしたイベントにはまた、各種の保険がかけてあるのが普通なので、IOCの逸失利益は本当のところいくらくらいなのか、謎も多い。

とは言え、ひとつだけはっきりしているのは、経済的な問題に限って言えば、中止はたしかに誰の利益にもならないということである。

延期で経費が膨らんだ分も含めて、すでに総額4兆円近い投資がなされているが、これは誰にも補償を求めることができないばかりか、直前の中止では混乱も大きく、さらなる追加経費が発生するだろう。

だからこそ、英米のジャーナリストが訴えたのは「損切り」であった。新型コロナ禍の収束が見えないばかりか、ワクチン接種で欧米に後れを取っている国で、選手およそ1万人。関係者を含めれば4万人を超える人数を世界中から集めるリスクをとるよりは、経済的なダメージを甘受したほうがよいのではないか、と。

▲写真 新国立競技場(2021年4月21日) 出典:Carl Court/Getty Images

もうひとつ、私はこれまで、五輪参加を目指して血のにじむような努力をしてきたアスリートたちのことを考えると、なんとか開催してほしいという考えを、包み隠さず開陳してきた。もうひとつ、昨年春に1年延期が決まった際には、おそらく多くの日本人が同じ気持ちだったと思われるが、

(1年も経てばワクチンが行き渡り、パンデミックもだいぶおさまるだろう)

と楽観的な考えでいたことを正直に記さなければならない。

事ここに至った今、日本の為政者は覚悟を持って「損切り」も選択肢としてはどうか。しつこくからむようで朝日新聞には申し訳ないが、中止する権限は日本側にはないので。

今次の開催権を返上したら、未来永劫、五輪は日本で開催できない、と考える向きもあるようだが、それこそ今そんな心配をしている場合だろうか。

1940(昭和15)年に開催される予定であった東京五輪は、中国との戦争が泥沼化しつつあったことから、世界中から後ろ指をさされつつ開催権を返上した。しかしながら敗戦から復興を果たし、24年後にはアジアで初めての開催国になり得たのだ。今次も20年くらいのスパンで見れば、充分にリベンジできる可能性はある。

経済問題に話を戻すと、もともと新型コロナ禍で日本経済は大いなるダメージを受けている。およそ20年前のリーマンショックをも超え、戦後最悪レベルに達しているとの試算も、すでに発表されている。

これは間違いなく「国難」なので、だからこそ100兆円規模の財政出動が必要だと、私は前々から訴えてきた。ところが、昨年10万円の給付金が配られた後、政府の動きはまったくもって鈍すぎる。

今年も半分過ぎようかというころになってようやく、困窮家庭を対象とした新たな給付金が検討され始めているが、それよりも来年一杯くらいまでの時限措置でよいから、消費税をひとまず凍結(税率0%)してはどうだろうか。

もともと消費税は、所得の低い人ほど負担が重いという「逆進性」が指摘されていた。ということは、これを一時凍結することにより、所得が低い人ほど恩恵が受けられることになるだろう。

もう少し具体的に、年収200万円程度の家庭では、家族構成や住居費負担などによって消費の内容は変わってくるが、どのみち貯蓄はかなり難しい。今の日本では、2人以上世帯の16.1%、単身世帯では36.2%が、運用や将来に備えるための金融資産を保有していない「貯蓄ゼロ世帯」であるという(金融広報中央委員会・2020年)。

つまり、年収200万円台の家庭では、所得のほぼすべてを消費することになり。年額20万円近い消費税を納めているわけだ。これを凍結すれば、20万円の給付金と同じ効果があるのではないか。

財政出動と考えても、消費税分を赤字国債に転化した方が財政への負担は軽い。令和元年度の我が国の税収は、およそ102兆6580億円、うち約21兆7190億円(21.2%)が消費税収入だ。

一方、昨年の一律10万円の給付金は、およそ12兆円の財政負担となった。これに、飲食業や旅行業などへの休業補償を加算すると、どのみち20兆円ほどの負担になる。今、困窮しているのは上記の業界だけではないので、平等性という観点からも、消費税を凍結してしまった方がよいのではないか。

一律10万円の給付金については、もともと税金で生活を維持できている生活保護家庭や、刑務所の受刑者にまで配るのか、という批判もよく聞かれた。個人的には、生活保護家庭については(騒ぐほど悪いことか)と思ったが、住所のないホームレスは受け取れないのに、刑務所にいればもらえるのか、という点は、たしかに納得しがたかった。

しかも、消費者物価が下がったのと同じ効果を持つわけで、経済再建のために消費を刺激する効果も期待できる。

 他に良い方法もあり得ようが、すぐにでも実行できる政策なのであり、選択肢として検討するには価すると私は信じる。

その1,その2,その3,その4,その5

トップ写真:パラリンピックまであと100日(東京 – 5月16日)東京2020大会の橋本聖子会長(右)、小池百合子東京都知事(左)、日本パラリンピック委員会の鳥原光典委員長(中央) 出典:Issei Kato-Pool/Getty Images




この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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