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.社会  投稿日:2021/9/4

原爆と終戦の描かれ方 「戦争追体験」を語り継ぐ 最終回


林信吾(作家・ジャーナリスト)

「林信吾の西方見聞録」

【まとめ】

・『日本のいちばん長い日』、終戦直前の戦争指導者らを描く。

・戦時中の子供たちの困窮は『火垂るの墓』『はだしのゲン』が有名。

・『この世界の片隅に』、戦時中の暮らしのささやかな幸せや絆を描き、高評価。

 

1945(昭和21)年8月15日、大日本帝国はポツダム宣言を受諾。第二次世界大戦に終止符が打たれた。ポツダムとは、ドイツ東部ブランデンブルク州の古都で、この宣言が発せられた時点で、ソ連軍の占領統治下にあった。ちなみに欧米の歴史教科書では、戦艦「ミズーリ」の艦上で降伏文書の調印が行われた、9月2日を「終戦の日」と記載している例が少なくないと聞く。

宣言の日付は同年7月26日で、アメリカ合衆国大統領、大英帝国宰相、中華民国相当の連盟で発表され、ソ連邦書記長は後から追認し署名している。全13箇条から成るが、要は日本に対して、無条件降伏を求めたものである。

時の米国大統領フランクリン・ローズヴェルトが宣言の骨子を提案し、英国のウィンストン・チャーチルなどは、

「降伏の条件を明確にした方がより早く戦争を収束できる」

として文言の一部修正を求めたが、ローズヴェルトが譲らなかったと伝えられている。いずれにせよ日本側、とりわけ陸軍は猛反発し、政府もこれを「黙殺する」などと新聞発表することとなった。

その後、広島・長崎への原爆投下、ソ連の参戦といったように、日本はいわばとどめを刺されて、無条件降伏へと追い込まれる。

この経緯については、1967年に公開された『日本のいちばん長い日』という映画によく描かれている。原作は半藤一利氏のノンフィクション(文春文庫他)だ。

▲画像 『日本のいちばん長い日 決定版』(半藤一利、文春文庫 2006年) 出典:文藝春秋BOOKS

映画にはちらとだけ描かれているが、この年の8月に降伏することを決意せざるを得なかった最大の理由は(もちろん唯一の理由ではないが)、大凶作が予想されたからであった。天候不順に加え、農家の働き手が根こそぎ戦地に駆り出されたため、戦争が秋以降も継続された場合には、100万を超す餓死者が出るのではないか、との危惧さえあった。

「腹が減っては戦はできぬ」

とはまさしく至言で、本土決戦に備えて物資を備蓄するなど、はじめからできない相談だったのである。武器もまた然りで、核武装した軍隊を竹槍で迎え撃とうとしていた。

それでもなお、陸軍の一部が

「本土決戦をすることなく降伏することはできない」

と言い張ったのは、国体が護持される保証がないからであった。私は前々から、連合軍がせめて天皇の生命だけは保証する、という条件を示しておれば、原爆など使わなくて済んだのではないか、との思いを抱いていて、前にも紹介させていただいた戦争>に強くなる本(ちくま文庫・電子版アドレナライズ)の中でも、そうした意見を開陳した。

しかしながら、それで連合国側の国内世論が納得したであろうか、との疑問もあって、「所詮たら、ればの話」では片付かない、なかなか難しい問題になってくるのだ。

話を戻して、この『日本のいちばん長い日』は、2015年にもリメイクされている

オリジナルはモノクロ、リメイクはカラーだが、個人的には演出面など、オリジナルの方が好みに合った。ただ、あくまでも好みの問題なので、読者には、御用とお急ぎでなければ両方見ていただきたいと思う。

もっとも印象に残ったのは昭和天皇が登場するシーンで、オリジナルでは松本幸四郎(八代目。現・幸四郎の祖父)が演じたが、スクリーンでは後ろ姿しか見られなかった。やはり今上=在位中の天皇を役者が演じることには抵抗があったのだろうか。

リメイクでは本木雅弘が「顔出し」で演じ、酷評した人もいたが、私は「あり」だと思っていた。努力賞はやれる演技だったと、ブログに書いたものだ。偉そうに済みません笑。

それ以上にオリジナルで際立っていたのは、鈴木貫太郎首相を演じた笠智衆で、連合国側にポツダム宣言受諾の電報を打ち、昭和天皇の「玉音放送」を起草し……という手続きを淡々とこなしながら、側近に一言、

「大日本帝国の葬式だからね」

と呟くシーン。このように短い台詞に万感の思いを込めて見せ得たのは、さすが昭和を代表する名優だ。またまた偉そうに、と言われようが、やはり見事なものは見事なので。

▲写真 笠智衆さん 出典:玉名市ホームページ

この映画はいわば戦争を指導する立場にあった人々の物語だが、言うまでもなく敗戦は全国民に降りかかった問題であった。

空襲や原爆投下の悲劇や、戦時下の「少国民」たちの困窮ぶりは、多くの小説や漫画に描かれている。野坂昭如氏の直木賞受賞作『火垂るの墓』や、世界各国で翻訳・出版された中沢啓二氏の漫画『はだしのゲン』が有名だ。いずれもアニメ・実写版とりまぜて映画化されている。

最近では『この世界の片隅に』という漫画(こうの史代・作)の評判がよい。

▲画像 『この世界の片隅に 上』(こうの史代、双葉社 2008年) 出典:双葉社

前述の2作がいずれも、大人が引き起こした戦争のせいで悲惨な目に合う子供たちを描いたものであるのに対し、この作品の主人公は若いとは言え人妻で、戦時下の困窮と繰り返される空襲の恐怖の中、日々の暮らしの中のささやかな幸福とか、人と人との絆といったものが描かれているあたりが、好評を博したらしい。

私見これは、漫画の愛読者層の年齢が昭和の時代より高くなってきていることと、無関係ではないように思える。

こちらもアニメ版と実写版があり、2016年に公開されたアニメ映画は「のん」の声優デビュー作としても評判になった。2013年度上半期のNHK朝ドラ『あまちゃん』で大ブレイクした能年玲奈その人だ。その後、所属する芸能事務所とトラブルがあってTVから消えていたが、芸名を変えて再デビューを果たしたようだ。本名にも権利関係があるということを、この時初めて知った。

……という話ではなくて、私はアニメ版よりも、北川景子が主演した実写版TVドラマに強く印象づけられた。2008年に日本テレビ系で放送されたものだが、目に焼き付いたのは8月6日の場面。

轟音に驚いて主人公たちが庭先に出てみると、目の前に巨大なキノコ雲が……

キノコ雲の映像自体は、記録フィルムを中心に幾度となく見ているが、このように下から見上げたカットは初めてだった。

念のため述べておくが、映像美に感動したなどということではない。夏の日差しにキノコ雲が照り映えて、妙に蠱惑的な風景であったことは事実だが、そのキノコ雲の下が、どのような地獄絵図になっていたかを想えば、美しいなどとは口はさけても言えない。

阪神淡路大震災の際、当時報道番組のキャスターだった筑紫哲也氏が、いち早く被災地上空をヘリコプターから見下ろしたが、そこかしこに火災の煙が立ち上る風景を「まるで温泉街」と表現して糾弾されたことがある。同じ轍は踏むまい。

物語の舞台は、広島市に隣接する呉だが、同市出身の友人に、このシーンはリアリティがあるのか、と尋ねたことがある。

「アニメは2回見たけど、そのドラマは知らなかった」

と前置きして、主人公らの家があるのは呉市の中でも西端に近く、山ひとつ越えれば広島市というあたりなので、充分考えられる、というのが答えであった。

▲写真 灰ヶ峰から眺める呉湾 出典:呉市ホームページ

前に、戦時中に徴用された女学生たちについて、ほんの半世紀ばかり時代がずれておればJK(女子高生)と呼ばれて青春を謳歌できたはずが……と表現したが、この主人公たちもまた、20キロメートルほど西側に住んでいたら、被爆者となっていたわけだ。

これも、不幸中の幸いで済まされる話ではない。主人公はなんと戦争が終わってから、不発弾のせいで瀕死の重傷を負う。不発弾と言っても、たまたま落ちた時に信管が作動しなかった、というだけの話なので、うかつに触れると危険極まりないのである。

こうして考えてくると、1967年に『日本のいちばん長い日』が公開された際、戦争指導者たちを英雄視していないか、という批判が出たことも、理由があることだと考えられる。もっとも彼らの多くは戦後、戦勝国による極東軍事裁判(=東京裁判で厳刑を言い渡されたが。

この裁判と、戦後の日本が受けた影響については、いずれ稿を改めよう。

ここで幾度でも強調しておきたいことは、戦争を知らない世代である我々こそ、戦争についての知見を少しでも深めてゆくべきだということである。

それができてはじめて。情緒的にではなく論理的に戦争に反対することもできるようになるのだから。

トップ写真:原爆投下直後の原爆ドーム付近の様子 出典:Bettmann/Getty Images 




この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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