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.経済  投稿日:2021/9/17

改めて「老後2000万円問題」を振り返る


野尻哲史(合同会社フィンウェル研究所代表)

【まとめ】

・東京都特別区からの高齢者の転出者数は3万人弱

・生活コストの削減や夢の実現が移住の理由でもある。

・地方都市移住は生活費下げつつ生活水準は引き下げないで暮らす退職後生活対策のひとつ

 

「老後2000万円問題」

2019年6月に提出された金融審議会市場ワーキング・グループの報告書が大きな話題となりました。正式なタイトルは「高齢社会における資産形成・管理」だったのですが、その前段で「収入と支出の不足額約5万円が毎月発生する場合には、(中略)30年で約2000万円の取り崩しが必要になる」と記載されていたことで、「金融庁の正式な報告書が老後に2000万円も金額が不足すると指摘した」と国会やメディアを中心に批判が持ち上がることになりました。いつのまにかこの報告書は「老後2000万円問題の報告書」と呼ばれるようになりました。このグループの委員の一人としてこの報告書の作成に関与してきた筆者としては、本旨とは違うところでの批判続出に驚くばかりでした。

誤解を恐れずに言えば、この2000万円の「赤字」を含む前段は、老後の生活資金の規模感を知ってもらう程度の意味で、報告書の本旨は「超高齢社会において金融サービスはどうあるべきか、国民はそれをどう考えるべきか」の議論でした。

黒字になった高齢世帯!?

ところでこの計算の根拠となったのが、総務省が発表する家計調査の高齢夫婦無職世帯の月次収支でした。報告書に使われたのが2017年のデータで、収入は年金受給を中心とした社会保障給付19万円強を中心に実収入は21万円ほど。これに対して消費支出が23.5万円、税金や社会保険料などの非消費支出が3万円弱で、合計支出は26万円強。この収支が5.5万円くらいの赤字という計算です。

しかしこのデータ、直近の2020年の家計調査では、「赤字」ではなく「黒字」に転じています。実収入のうち「その他の収入」が定額給付金で大きく増え、巣籠もり生活のために「教養娯楽費」と「その他の消費支出」が減っていることが、黒字化に寄与しています。これはコロナ禍の影響です。

家計調査はアンケートに基づく統計データなので、こうした環境の変化を如実に反映する一方で、ブレが大きいデータでもあります。繰り返しますが、こうしたデータはあくまでも規模感を知る程度に見ておくことが大切だと思います。

▲表 高齢夫婦のみの無職世帯の月次収支の推移 ※注 家計調査 家計収支編 二人以上の世帯、65歳以上の夫婦のみの無職世帯(夫婦高齢者無職世帯、夫65歳以上、妻60歳以上)

「老後2000万円問題」の本当の問題

この収支が「赤字」か「黒字」か、という問題は老後資金の必要額を考える上では本質ではありません。それよりも、2019年当時の批判の論調のなかで、「退職後のお金との向き合い方」に関して間違った見方をしていることが明らかになった点の方が重要に思います。ここで、その誤解のポイントから本質的な課題をみていきます。

この2000万円を「赤字」と強調したコメントが多かったことが課題です。敢えて、このコラムでも「赤字」と括弧書きで表示していますが、そもそも「赤字」ではないと考えているからです。退職後の生活資金は、主に年金収入、勤労収入そして資産収入で賄われます。この2000万円は退職後の生活費と年金収入の差額を示してだけです。言い換えれば、勤労収入と資産収入でカバーすべき金額を示しているだけのものです。

高齢無職の夫婦2人の世帯が対象となっている統計ですから、勤労収入がないことを前提にしていますので、すべて資産収入が頼りになります。資産収入はそもそも退職後の生活のために、現役時代に作り上げてきた資金です。資産収入は「赤字」補填用ではありませんし、「赤字」を出しているというイメージも「悪い」感じを植え付けてしまいます。しかし、退職後の生活を充実させるための資金ですから、赤字でもなんでもなく必要資金をどこから調達するかという資金源の議論に過ぎないのです。言い換えると、この「赤字」議論は「高齢者はすべて年金で生活を賄うべきだ」というかなり強引な考え方を前提にしているように思われます。

さらに、だれもが「老後に2000万円不足する」といった一律化された議論になった点も、違和感が募りました。退職後の生活はひとそれぞれ違っていますし、現役時代の延長線上にあるものとして、現役世代の生活費水準が大きく影響すると考えています。現役時代の生活水準が高い人は、資産収入から賄う分は「2000万円では足りない」でしょうし、現役時代の生活水準を抑制してきた人にとっては、「2000万円も必要ない」という可能性も十分にあります。

若年層が資産形成に気づくという効用も

一方で、この問題が多くの若い人たちに「資産形成を真剣に考える必要がある」と思わせた点は、評価できるでしょう。この報告書は金融庁のホームページで最も検索されたレポートだったようで、マスコミでの騒動が若年層の資産形成にプラスの効果をもたらしたのかもしれません。NISA(少額投資非課税制度)、つみたてNISA、iDeCo(個人型確定拠出年金)などが充実されてきたところで、資産形成の重要さに気づく良いきっかけが持ち上がったとみることもできるでしょう。

トップ画像:日本の高齢者 出典:Photo by Yamaguchi Haruyoshi/Corbis via Getty Images




この記事を書いた人
野尻哲史合同会社フィンウェル研究所代表

国内外証券会社、大手外資系運用会社を経て、2019年5月に現職。資産の取り崩し、地方都市移住、雇用継続などの退職後の生活に関して提言。行動経済学会、日本FP学会などの会員などの他、2018年9月から金融審議会市場ワーキング・グループ委員。著書に『IFAとは何者か』(一般社団法人金融財政事情研究会)、『老後の資産形成をゼッタイ始める!と思える本』(扶桑社)、『定年後のお金』(講談社+α新書)、『脱老後難民「英国流」資産形成アイデアに学ぶ』(日本経済新聞出版社)など多数。

野尻哲史

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