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.社会  投稿日:2022/6/28

人の姓名を笑うな 地名・人名・珍名について その5


林信吾(作家・ジャーナリスト)

林信吾の「西方見聞録

【まとめ】

・タレントでYouTuberの木下優樹菜が、本名は「朴優樹菜」という在日コリアンだという、自身の出自にまつわるネット上の噂を否定。

・大日本帝国支配下の朝鮮半島では「創氏改名」が施行された。戦後も、在日の人たちは日本風の名前を使い続けるケースが多かった。

・現在は、本名で社会的活動をする在日も増えている。名前も国籍も個性のひとつに過ぎないし、変えたければ変えればよい。

 

 タレントでYouTuberでもある木下優樹菜が先日、本名を「朴優樹菜」という在日コリアンだという、自身の出自にまつわるネット上での噂を否定した。

 タレントとして有名になる以前、アパレル業界のいわゆるカリスマ店員として雑誌に登場したことがあるのだが、その際、

「字が汚かったせいで木下が朴に見えたらしい」

 という経緯があり、雑誌にも「朴優樹菜さん」と紹介されたのだとか。その雑誌の画像は、私も見た記憶がある。

 さらにはこの、彼女は実は在日ではなく、単に字が汚くて云々という話は「業界の噂」として私の耳にも届いていたのだが、真偽のほどを詮索する気にもなれなかった。一体どういう字を書けば木下が朴と読めるのか、校正はしなかったのか、という単純な疑問もあったが、そもそも彼女が在日であろうがあるまいが、どうでもよいことだと思っていたので。

 実は私自身、SMAPが有名だった頃には、健康診断の書類などで、名前を「慎吾」と間違えられたことが複数回あった。詳しい説明は不要だろうが、当然その都度訂正させた。

「加害者側」になったこともある。

 それも業界的には深刻なミスで、ある人の本を紹介した際、著者の名前を書き間違え、そのまま活字になってしまったのだ。出版社のパーティーで会った際、当人に謝罪したところ、

「いえいえ、あれを読んで(著書を)買ってくれた人もいるでしょうし、お気になさらず」

 と言ってもらえて安堵したが、罪悪感は消え去っていない。

 木下優樹菜の場合はと言うと、当人の弁を借りれば、これまで幾度となく在日だと決めつけられてきたのだが、自身は韓国人の友人もおり、韓国の料理やエンターテインメントは大好きだと明言しつつ、在日のくせにどうのこうのと言われたとしても、

「むきになって否定するのは、韓国の人に対してめちゃくちゃ失礼だと思った」

 から黙っていたのだという。この発言は当初ネットでも賞賛されたが、やはり突然の「カミングアウト」には面食らった向きも多いと見え、数日後には、どうせ話題作りだろう、というように潮目が変わってしまった。話題作りだろうが、彼女はなにひとつ間違ったことは発信していないし、もう一度言わせていただくが、彼女が在日であとうがあるまいが、どうでもよいことではないか。

 この話で思い出されるのは、サッカー元ブラジル代表のマイコン・ダグラス・シセナンド選手のことだ。

 彼の父上が、有名な俳優カーク・ダグラスの大ファンで、息子にはマイケル・ダグラスと名づけようとしたらしい。言うまでもなくカークの実子で、やはり有名な俳優である。

 ところが出生届を出した際、名前を書き間違えてしまい、マイコンになったそうだ。

 実はこれには異説もあって、窓口の職員から「外国風の名前は認められない」と言われたため、ポルトガル語風に読み替えたマイコンにした、というもの。

 私としては、移民大国のブラジルでそんなことがあるだろうか、マイケルが駄目でダグラスはよいのか、との考えから「書き間違い説」を採るのだが、一方では、あれだけ広い国だけに地域差も大きいであろうし、詳細までは正直よく分からない。

 日本に例を取ると、西郷隆盛は幼名を吉之助と言い、元服して名を隆永(たかなが)と改めた。昔の武士階級には、元服(=成人)と同時に名前を変える習わしがあった。

 早い話が本当の名前は隆永で、幕末の動乱期にもこの名前で活躍していたのだが、1868(慶応3)年に、有名な王政復古の大号令が発せられた。これにともない、倒幕に功績のあった者には官位が授けられたが、その際、親友だった吉井友実(よしい・ともざね。後に伯爵)が、間違って父の名で届けてしまい、ここから「西郷隆盛」の名で通るようになってしまったとか。しかし当人は、

「おいは隆永じゃど」

 とだけ言って一笑に付し、訂正するどころか、なんと自分の名前を隆盛に代えてしまった。

 彼の実弟で、日本海軍の創建に大きな功績があった西郷従道(海軍大将)も、本当の読み方は「じゅうどう」なのだが、皆が「つぐみち」と読むので、それで通していたそうだ。

 これは、この兄弟の器の大きさを示すエピソードとして語られることも多いようだが、彼ら薩摩武士のおかげで、大いなる迷惑をこうむった人たちもいる。

 1609(慶弔4)年、薩摩が琉球に侵攻し、実効支配してしまった。

 それまで独自の文化を育んできた琉球諸島は、突如として「日本の一部」にされてしまい、名前の読み方まで変えさせられたのである。

 たとえば隆盛という名前は琉球にもあるのだが、一般に「たかもり」でなく「りゅうしょう」と読んでいた。

金城という姓は今もポピュラーで、これまた一般に「かねしろ」もしくは「きんじょう」と読むが、古来の読み方は「かなぐすく」である。

明治期の陸軍は、沖縄で独自の連隊を編成せず、徴兵された若者は九州の連隊に入ったが、新兵の点呼を取った際、下士官が

「かねしろ・たかもり」

 と呼んだのに返事をしない者がいた。張り倒してから問い詰めたところ(順序が逆だろう)、当人は、自分のことではないと思った、と言う。読者ご賢察の通り、彼の名は「かなぐすく・りゅうしょう」だったのである。

反対に、前田という姓は昔から琉球でポピュラーであったものが、薩摩が「大和めきたる名字の禁止」を通達したことから、真栄田と表記するようになった。

要は支配者側の都合で「改名」を強要されたようなものなのだが、朝鮮半島出身者の場合は、この問題が一層際立っている。

1910(明治43)年、大日本帝国は大韓帝国を併合。半島全域を植民地化した。

 その後1940(昭和15)年に「創氏改名」という制度が施行され、半島の人々は皆、名前を日本風に改めることとなったのである。それ以前にも、日本に出稼ぎに来たような人たちが日本笑みを名乗るケースは見られたが、創氏改名によって当人の意思とは関係なく、また法的には日本風の名前が「本名」とされたのである。

 日本の敗戦に伴い、この制度は効力を失ったわけだが、戦後も在日と呼ばれるようになった人たちは「通名」と呼ばれる日本風の名前を使い続けるケースが多かった。

 今となっては、にわかには信じがたいような話だが、1960年代になっても、在日に対しては、

「たとえ東大を出てもパチンコ業界くらいしか就職口がない」

 とまで言われるほどの差別がまかり通っていたことに、その原因が求められる。

 こうした歴史的経緯というものを知らずに(あるいは無視して)、在日が犯罪容疑者となっても通名しか報道されないのは「在日特権」だ、などという人たちがいる。

       

写真)独立から75年を迎えた韓国 2020年8月15日ソウル

出典)Photo by Chung Sung-Jun/Getty Images

 もちろん現在では、だいぶ状況が変わってきていて、本名で社会的な活動をする在日も増える一方だし、2012年には住民基本台帳法が改正され、外国人登録法が廃止されている。

 名前も国籍も個性のひとつに過ぎないし、変えたければ変えればよい。また、他人からとやかく言われる筋合いのものではない。

 こういう当たり前のことが当たり前に受け容れられる日本社会に、早くなって欲しいものだ。

(つづく。その1その2その3その4

トップ写真)新大久保駅近くに位置するコリアンタウン 2017年10月16日

出典)Photo by Smith Collection/Gado/Getty Images




この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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