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.国際  投稿日:2022/8/12

「誓い」だけならサルでもできる 戦争と歴史問題について その1


林信吾(作家・ジャーナリスト)

林信吾の「西方見聞録

【まとめ】

・広島と長崎で開催される原爆忌・慰霊祭での「平和への誓い」が形式的な年中行事と化しているのではないか。

・日本の安全保障において核の傘が重要なのは確かだが、唯一の被爆国が核兵器禁止条約に不参加なのは看過し難い。

・平和実現の希求を行動で示し地道に努力しなければ、戦没者への慰霊の言葉も虚しく響くだけ。

 

 1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下された。人類の歴史上初めて、実戦で核兵器が使用されたのである。そして9日には長崎にも投下。8月15日、連合国が大日本帝国に対して無条件降伏を求めていたポツダム宣言を受諾し、終戦となる。

 この間の経緯はやや錯綜していて、実は無条件降伏などではない、と主張する人が今でもいるが、その議論はひとまず置こう。昭和の日本が、彼我の力量の差も顧みることなく無謀な侵略戦争を仕掛け、敗北したことは厳然たる事実なのだから。

 いずれにせよ今年、広島と長崎においては77回目の原爆忌・慰霊祭が行われた。

例年、首相が参列して「平和への誓い」を新たにするのだが、今やこれなど「お盆のお墓参り」と同様、形式的な年中行事と化しているとしか思えない。

なぜ私がそのように思うか。理由は簡単で、2017年に国連総会で採択され、昨年=2021年1月22日に発効した核兵器禁止条約(廃絶条約とも。以下、核禁止条約)に参加しないからである。

この条約は、核兵器について開発、実験、製造、備蓄、委譲、使用、そして威嚇としての使用の7項目について、禁止の具体的内容を明記したもので、前述の通り2017年7月7日に採択された。その後各国が相次いで批准し、2020年10月までに、規定上必要な50カ国を上回り、前述の通り昨年発効した。

しかしながら、核保有国である米英仏露、さらには米国の「核の傘」に入っているNATO諸国や、米国と軍事同盟を結んでいる日本、韓国、オーストラリアなどは参加していない。

とりわけ、唯一の被爆国である日本が参加しないことについては、当初より国内外から批判の声が上がっていたが、日本政府はこれまで、取り合おうともしなかった。

写真:長崎原爆犠牲者慰霊平和式典で哀悼の意を示す岸田首相(8月9日)

出典:長崎原爆犠牲者慰霊平和式典参列等

たとえば2020年10月25日、当時の岸防衛大臣は、地元の山口県で、

「核保有国が乗れないような条約になっている部分について、有効性に疑問を感じる」

 と発言した。さらには翌26日、やはり当時の加藤官房長官は、

「わが国のアプローチとは異なるものであるから、署名は行わないという考えに変わりはない」

 と明言している。わが国アプローチというのは、加藤長官自身の言葉を借りれば、

「現実の安全保障上の脅威に適切に対処しながら、同時に地道に核軍縮を前進させる道筋を追求してゆくことが適切だ」

 ということになるらしい。ご高説まことにごもっとも……と私が言うとでも思ったら大きな間違いで、具体的な行動指針をなにひとつ示さないまま、地道な道筋もないものである。

 しかも、この続きがひどい。

「現状で核兵器保有国のみならず、非核兵器保有国からも必ずしも支持を得ている状況ではない」

 この部分は、当時マスメディアでもかなり批判的な声が多かった。くどいようだが唯一の被爆国である日本が核禁止条約に参加しないことが、被爆者や参加国の人々をどれほど失望させたか。

 しかし一方、日本もNATO諸国と同様、米国の核の傘によって安全を担保されている以上、核禁止条約など現実的でない、と考える人が相当数いることも、また事実である。

 実際問題として、署名・批准した国々はアフリカや中南米諸国が大半を占め、中国、ロシア、北朝鮮などの核の脅威に直面してなどいない。同列に論じられるわけがないではないか、というわけだ。

 こうした人たちが核禁止条約のどこに引っかかるのかと言うと、威嚇としての使用をも禁じている点であるらしい。

 日本に先制攻撃を仕掛ければ、米国が核による報復も辞さないぞ、というのが「核の傘」の具体的な意味なのだが、これは(少なくとも相手方にとっては)威嚇に該当しかねない。

 これを「禁じ手」にされてしまっては、日本の安全保障政策の根幹が揺らぎかねない、というわけで、在野の言論界でも、この主張は結構ポピュラーだ。

前述の岸(元)防衛大臣の発言などは、米国がへそを曲げて、日本に核の傘を提供することを考え直す、などと言われては困るから「忖度」しなければ、という判断であることを正直に述べたものだろうが。

さらに言えば、わが国が反日的でなおかつ核武装した国々に取り巻かれている以上、こちらも核武装しなければならない、と主張する人も、少なからずいる。

酷暑の折、なかなか難しい注文かも知れないが、ひとまず頭を冷やして考え直していただきたい。

 今次ロシアによる侵攻に際し、ウクライナの人々は、

「わが国に核兵器があったなら、侵攻はなかった」

 と考えている、と喧伝された。英国在住の知人からは、かの国では反核運動がすっかりなりを潜めている、とも聞かされている。わが国は核武装していてよかったね、ということか。

 これは「本末転倒」の典型例として、教科書に載せてもよいような話だと私は思う。

 プーチン大統領が武力侵攻を決意したのは、ウクライナがNATOに加盟し、米軍基地が設置され、核弾頭搭載可能なミサイルが配備される事態を怖れたからで、ロシア政府もこのことは否定していない。この戦争の大義名分は「ウクライナが〈ファシスト国家化〉することを阻止する」ことであるというのは、具体的にはそういうことだ。

 さらに言えば、侵攻開始からすでに4ヶ月以上が経っている。ロシア側の人的被害は、ウクライナ政府筋の発表では4万以上、英国国防省筋の分析では、およそ2万5000にも達する。もはや通常兵器では埒があかないと考えるのが普通だが、未だ戦術核は使用されていない。

 もちろん、過去100日間安全だったからと言って、101日目も大丈夫だという保証はないのだが、少なくとも現時点での戦況を冷静に見る限り、ロシアによる「核の脅威」も、米国による「核の傘」も、実効性はきわめて疑わしいのだ。

 このように述べたなら、反論もあり得よう。核禁止条約こそ、実効性を持つのか、と。

 世の中それほど甘くないということくらい、私とて承知している。しかしながら、なにもしなければなにも始まらない、という格言は、永遠の真理ではあるまいか。

 ところが現実は、真逆の方向を向いたまま、核禁止条約に署名しようという動きは見られない。国連の関係者からも、失望どころか匙を投げたという声まで聞かれるほどだ。

 8月15日の戦没者慰霊祭にしても同様で、真に世界平和を望むならば、まずは世界中の人々によく分かる形で、行動で示さなければならない。一方で非戦を誓い、他方では物価上昇に苦しむ国民を尻目に防衛費を増額し続けるのでは、戦没者への慰霊の言葉も虚しく響くだけではないだろうか。

写真:広島原爆死没者慰霊式並びに平和記念式で挨拶する岸田首相(8月6日)

出典:広島原爆死没者慰霊式並びに平和記念式参列等




この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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