「林信吾vsアントニオ猪木」娯楽と不謹慎の線引きとは その3
林信吾(作家・ジャーナリスト)
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・円楽師匠逝去に続き、アントニオ猪木氏が亡くなった。
・アントニオ猪木氏こそは不世出のエンターテイナーであった。
・氏を送るのに、粛然と喪に服すという態度がふさわしいとは、どうしても思えない。
一体どうなっているのだ、と言いたくなる。
9月30日に六代目三遊亭円楽師匠の訃報、翌10月1日には、プロレスラーとして一世を風靡したアントニオ猪木氏が他界したとのニュースが届き、この原稿を書いている20日には、ドリフターズの仲本工事氏が交通事故で亡くなった。
ドリフターズについては項を改めるが、今回はアントニオ猪木氏にまつわる思い出を、少し語らせていただきたい。(以下、引用部分などは敬称略)。
思い出と言っても面識はないのだが、実は著作の中で、猪木に勝つ自信がある、というに近いことを書いたことがある。正気で言っているのか、という声が聞こえてくるが、いたって正気だ。本人が言うのだから間違いない笑。
いずれにせよ、今なら炎上したかも知れないが、順を追って述べると、その著作とは『我が輩は黒帯〈ブラックベルト〉である』(小学館)という本で、英国で少林寺拳法の指導と普及活動に携わった経験に基づいたもの。はじめ『会報少林寺拳法』に連載したエッセイを加筆改定し、2000年に出版していただいた。
なるほど、少林寺拳法の達人だから猪木にでも勝てる、とでも思い込んだか、などといわれそうだが、そうではない。私は文武両道に秀でており、かつ眉目秀麗な拳士だが達人ではない。本人が言うのだから間違いない。
……これ以上やると、しまいにはボツにされかねないので本題に入るが、順を追って述べると、空手(あるいは柔道・合気道)と少林寺拳法と、どちらが強いのか、などという質問を受けることがたまにあるが、そもそもナンセンスだ、と断じたのである。
その流れで、あのモハメド・アリと戦った「異種格闘技戦」(1976年)を引き合いに出し、当時私は、まだ高校生で武道の段位など持っていなかったのだが、
(そんなもん、立って殴り合えばボクサーの勝ちで、寝技に持ち込めばレスラーの勝ちに決まってるだろう)
と考えたと述べた。そして、こんなことを活字にして、もし猪木が激怒して挑戦してきたらどうするか。その時は「受けて立つ」と断言した。勝つ自信があるというのは、私と猪木が柔道で言う軽量級(61キロ以下)で戦う、というルールにしてしまえばよい。
「体重が半分になった猪木相手なら、やすやすと負けるつもりはない」
というオチをつけたのである。
猪木ファンからすれば、ふざけるな、という話かも知れない(だから、今なら炎上したかも、と述べたのだ笑)が、これは存外、真面目な話なのだ。
▲写真 アントニオ猪木とモハメド・アリの異種格闘技戦(1976年06月26日、日本・東京) 出典:Bettmann/Getty Images
技術体系が異なる武道もしくは格闘技が戦うという場合、ルール次第で有利不利が一方に傾くというのは、少なくとも経験者からすれば理の当然、なんの不思議もない。
ごく最近の例で言うと、格闘家の朝倉未来(あさくら・みくる)がボクサーのメイウェザー(55階級制覇・不敗のまま現役引退したという選手である)と戦って、KO負けを喫した。すでに45歳で現役を退いていると言っても、ボクシング・ルールで元世界チャンピオンと立ちあえば、まずこういうことになるわけだ。
前述のアリとの一戦にせよ、最初単なるエキジビション・マッチだと考えて来日したアリが猪木のスパーリングを見て、突如として関節技・頭突き・跳び蹴りなど、プロレス技のほとんどを禁じ手にするルール設定を強硬に主張したというのは今や有名な話である。
結果、猪木はリングに寝そべるような体勢から相手の脚を蹴り続けることしかできず、メディアから「世紀の凡戦」などと揶揄されてしまったし、当時の私も前述のような経緯から、それ見たことか、などと思った。
当時の、と言うのはこれも前述の通り、格闘技の実際的な知識などなかったからで、だいぶ時間が経ってから記録フィルムを見返す機会を得たが、その時はじめて、実は紙一重の勝負であったことに気づかされた次第である(試合結果は引き分け)。
その後も、極真空手の選手を含む様々な相手と「異種格闘技戦」を繰り返し行っていたが、いずれもリアルタイムでは見ていない。
意外に思われるかも知れないが、実は私は、プロレスや格闘技がさほど好きではないのだ。
小学生の頃、具体的には1960年代だが、当時は地上波でもプロレス中継があったので、たまたま見ることはあった。なにぶん半世紀以上も前のこととて詳細までは思い出せないが、よく場外乱闘が起きた。
ある時、その場外乱闘でパイプ椅子が振り下ろされたのだが、ちゃんと(?)マットの側で殴っていたのを見逃さなかったのだ。なんだ、やはりそうか、と思ったのを今でも覚えている。
当時はプロレス中継の視聴率がよかった反面、いや、だからこそ、なのだろうが、あれは台本通りにやっているだけの見世物だ、といった声もよく聞かれた。
いつの時代もアンチはいたわけだが、小中学生の頃の私は、台本の有無はともかく、あんな筋骨隆々たる大男が本気でどつきあっているのだとしたら、連日試合をするなど無理に違いない、とは考えていた。文字通り身が持たないだろう。
実際に、猪木氏の死因は心アミロイドーシスという難病であったが、11998年に現役引退を発表する直前、すでに「血糖値が正常値の5倍」であることを公表していた。
アミロイドーシスというのはアミロイドという特異なタンパクが臓器に付着して機能不全を起こさせるものだそうで、糖尿病ともども遺伝的要因と見る向きが多いものの、高カロリー・高タンパクの食事を続けたことも無視はできないらしい。専門家ではないので詳細までは分からないが。
そうまでして「プロレスこそ世界最強の格闘技である」と証明したかったという、猪木氏の熱意は賞賛するにやぶさかではないが、同時に、空手やボクシングのチャンピオンと戦って勝ったとして、一体なにが証明されるのだろう、という思いは今でもある。
前述のルールの問題もそうだが、煎じ詰めたなら、格闘スポーツと武道の価値観の違いだということになるだろう。
古来、武という漢字を分解すると「二つの戈(ほこ)を止める」なのだという教えがある。
これ自体はまあ「恋とは亦(また)も下心」みたいな言葉遊びなのかも知れないが、勝ち負けよりも精神修養に重きを置くのが本物の武道だという考え方は、普遍的なものだ。
これも前述の著作の中で引用したが、1970年代にヒットした『男組』という劇画(雁屋哲・原作、池上遼一・画、小学館)の中にさえ、
「国籍や外見でなく、精神こそが拳法の正当性を証明するものだろう」
といった台詞が出てくるくらいなものである。
だからこそ今の私は、プロレスや格闘技を見ることを至上の楽しみとする人たちを批判するつもりは毛頭ない。猪木氏の死を悼む人たちの気持ちと、前回述べた、六代目三遊亭円楽師匠の死を悼む私の気持ちは共通するものだろう。
猪木氏はまた、政治家・実業家としての顔を持っていたこともよく知られている。
北朝鮮とのパイプを維持するなどの功績はあったと私は考えるが、いずれにせよ、レスラーとしての知名度のたまものであり、また、今さらこのような表現も気が引けるが。事業の面では他人様にお金の迷惑ばかりかけていたと言われても仕方ないようだ。
亡くなって間もない人について、このような書き方は不謹慎ではないか、という声も聞こえてきそうだが、私はそうは思わない。
プロレスとは多くの人を興奮させるエンターテインメントであり、アントニオ猪木こそは不世出のエンターテイナーであったことを私は認めている。
「元気があればなんでもできる」
というのが氏の定番の名台詞であった。そのような人を送るのに、粛然と喪に服すという態度がふさわしいとは、どうしても思えないのである。
トップ写真:東京で行われたアントニオ猪木氏の通夜の様子(2022年10月13日、日本・東京) 出典:Photo by Etsuo Hara/Getty Images
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。