欧州進出今昔物語(下)欧州のサッカー市場を賑わす日本人 その4

林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・2002年W杯、日韓大会を機に日本人選手の海外移籍が増加。
・「お買い得」だった日本人選手も、今や高額の移籍金が設定され慎重な評価がされるようになった。
・注目選手の相次ぐ渡欧により、日本のサッカーの質が落ちるのではという懸念も。
前回、日本人サッカー選手として初めてヨーロッパのクラブとプロ契約した、奥寺康彦氏を紹介させていただいたが、移籍を躊躇していた氏の背中を押したのは、後にJリーグの初代チェアマンとなる、川淵三郎氏であったと述べた。
これは、日本人選手が相次いで海外進出するようになる、その原動力として見逃せない。
本シリーズの中でも述べたように、ヨーロッパのサッカー界には、伝統的にクラブは選手の「保有権」を持ち、その権利が売却されてはじめて、選手の移籍が実現するという慣習があった。
1995年のボスマン判決によって、その慣習は違法とされたわけだが、多くのクラブは、有望な若手とは4年とか5年といった長期の契約を結ぶことで、移籍金を得られる道を残したのである。このことも、すでに述べた。
ところがJリーグの場合、中長期的な日本サッカーの「底上げ」を望む立場から、支配下の選手が海外のクラブから移籍のオファーを受けた際には、移籍金など金銭的な見返りを求めることをほとんどせず、移籍を後押しするスタンスをとる例が多かった。
また、2002年のワールドカップ日韓大会で、日本代表を指揮したのはフランス人のフィリップ・トルシエ監督であったが、彼は幾度も、
「日本の若手は、3部リーグでもよいからヨーロッパへ行くべき」と述べていた。
そして実際に、この日韓大会を機に、日本人選手の海外移籍はどんどん増えて行く。
それを可能にする下地が、日本のサッカー界に培われていたわけだが、実はヨーロッパの側にも、日本人選手の需要が高まる理由があった。
サッカーに限らず、プロのスポーツがどのように運営されているのかというと、まずはチケットの売り上げすなわち入場料収入、さらにはユニフォームのレプリカなどグッズの売り上げ、そしてTVなどの放映権料が主たるものだ。
特に、1990年代に衛星放送が普及してからは、収益の総額の中に放映権料が占める比率が高まっていった。
そうなると、より多くの試合を組むことが、放映権収入を増やすことに直結する。
もともとどこの国でも、リーグ戦とトーナメント戦を並行して行っていたが、これに国の枠を越えたカップ戦や代表同士の親善試合なども増えてきた。
野球の場合は、投手だけ交代すれば毎日のように試合ができるが、段違いに運動量の多いサッカーは、そういうわけに行かない。
いきおい、主力を休ませて若手をテストする、といった選手起用法が増えてきたが、よりよい方法は、いつでも主力に取って代われるレベルの選手を抱え込むことであった。
この場合、高額の移籍金を払う必要もなく、献身的にプレーしてくれる日本人は、クラブ側の目には「お買い得」と映ったに違いない。
イングランド、ドイツ、イタリア、スペインが4大リーグと称され、最近ではフランスを加えた5大リーグとされることもあるが、その中でも、とりわけ金銭に関してはシビアな、ドイツのブンデスリーガに、日本人選手が最も多く在籍していたのは、決して偶然ではなかったと私は考える。
もちろん「安かろう、悪かろう」では話にならないが、21世紀になってからの日本サッカーは進境著しいものがあった。日本サッカー界の悲願であったプロリーグの旗揚げと、各クラブが育成組織を作り上げて、小中学生の年代から本気でプロを目指す選手を育てて行くという方針が実を結んできた、とも言える。
そうした「底上げ」が結実したからこその、ワールドカップ日韓大会におけるベスト16であったと言ってよいと思うが、この大会の直後から、日本人選手が相次いで海外に移籍し始めたのも、やはり偶然ではないだろうと私は考える。
今や日本代表と言えば、大半がヨーロッパの大きなリーグで戦う選手ばかりで構成されており、その中心にいる久保建英選手など、満10歳でスペインに渡り、名門FCバルセロナの下部組織で育ったというキャリアの持ち主だ。
彼は現在、レアル・ソシエダというクラブに所属しているが、やはりシーズン終了後の移籍が取り沙汰されている。
彼に食指を動かしているクラブとして、プレミアリーグのリヴァプールやアーセナル、それに「本籍」であるレアル・マドリード(ソシエダにはレンタレウ移籍中)などの名前が挙げられていたが、5月末までに入ってきた情報を総合すると、プレミアの名門2クラブは、争奪戦から撤退する意向を、すでに固めつつあるらしい。
なにしろ彼の場合、ソシエダとの契約を解除するには、6000万ユーロ(約96億円)を支払う必要があり、レギュラーになれる保証もない選手に、この金額はいくらなんでも、ということのようだ。
とは言え、23歳とまだまだ若い選手だけに、1~2年後には再び獲得候補になる可能性があるだろう、と見る向きも多い。いずれも現地イングランドのメディアが報じた。
まことに、日本企業がスポンサーにする「ヒモつき」の移籍が問題視されたり、使い勝手がよい上に移籍金も要らない「お買い得」なので移籍が相次いだ、という時代からは、隔世の感がある。
日本人選手に高額の移籍金が設定され、その金額に見合うか否かをビッグクラブが慎重に評価する。これは市場の本来の姿ではあるのだが、世紀を超えて代表を応援し続けてきた者としては、感慨深い。
さらには、こんな話題もある。
三浦知良選手がセリエAに移籍しようとした際、スター選手の流出を嫌った読売新聞社の渡邉恒雄会長が難色を示したと述べたが、実は、2010年代にも、
「今のように、野放図に海外移籍を認めていて大丈夫か」
という議論も聞かれた。
Jリーグで注目度が高まった若手が、次から次へとヨーロッパに渡ってしまう。この結果、日本に残るのはスキルがそこまで高くない選手ばかりとなり、結果、サッカーの質もオチ、客離れを招くのでは、と。
しかしながら私は、海外移籍になんらかの規制を設けるなど愚の骨頂であると、信じて疑わない。
次回、この議論を掘り下げてシリーズを締めくくりたい。
トップ写真)レアル・マドリードCF対レアル・ソシエダのラ・リーガ試合中の久保建英 スペイン・マドリード 2025年5月24日
出典)Photo by Denis Doyle/Getty Images
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。
