イスラエル・イラン紛争は「宗教戦争」ではない(上)シオニズムとイスラエル その1

林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・イスラエルが「ライジング・ライオン」作戦でイランを奇襲攻撃し、軍幹部や核技術者を殺害、民間人の犠牲も多数発生。
・イランは300発以上のミサイル・ドローンで反撃し、双方に市民被害が発生。米国の関与については見方が分かれている。
・紛争の背景を「宗教対立」と単純化するのは誤りで、シオニズムと政治的利害が核心にあると指摘されている。
イスラエルとイランが、戦闘状態に入った。
戦端を開いたのはイスラエルの側で、現地時間12日夜から13日未明にかけて、イランの首都テヘランや同国西部(イラクとの国境に近い側)の軍施設に、数十発の精密爆撃を行った。イスラエル国防省が公表した作戦名は「ライジング・ライオン」。
報道によれば、イラン革命防衛隊の最高司令官であるホセイン・サラミ氏ら軍の最高幹部らと、同国の核開発をリードしていたとされるムハンマド・メフディ・テヘランチ博士ら技術者が、自宅を爆破されて死亡し、近隣住民など民間人の犠牲も200人を越えたという。
西側軍事筋によると、イスラエルも情報機関「モサド」の工作員が数ヶ月前からイラン領内に潜入し、前述の軍幹部や各技術者の自宅を特定した他、空爆直前のタイミングでイラン側の防空網(レーダー及び対空ミサイル)を無力化するための準備を行っていたという。
入念な準備が奇襲の成功に結びついた例として「教本通りの作戦」などと評価する向きもある一方、ダジャレではないが、「いらんことをやってくれた」と憂慮する向きも当然ある。
実際問題として、これは全くシャレにならない事態で、イランは直ちに反撃。
日本時間16日午後までの段階で、計300発近い巡航ミサイル及び自爆ドローンがイスラエル領内に撃ち込まれた。
イスラエル国防軍は、世界最高の防空網(アイアンドーム)によって大半を破壊したと主張しているが、逆に言えば、一定の被害は生じたことは認めた形になるわけで、テルアビブやエルサレムの市街地に複数が着弾し、一般市民の犠牲者が出たと報じられている。
米国国防省筋は、空爆の第一報が入ったのと前後して、「合衆国はこの攻撃に関与していない」との公式声明を出したが、本当のところはどうなのか。
マスメディアやネットは、ざっと見回した限りながら、
- 米国はイランとの間で続けてきた、核開発抑止に向けた交渉について、まだ妥結の望みを捨てておらず、イスラエルに対しては自制を求めてきたのだが、ネタニヤフ政権はこれを無視して攻撃に踏み切った。したがって米トランプ政権はこの問題には関わり合いになりたくないと考えているに違いない。
- イランが米国との交渉において日妥協的な姿勢を崩さないことから、イスラエルによる奇襲に対して、水面下では合意がなされていた。
……と、おおむね上記の二通りの見方が発信されていた。
まず(1)についてだが、イスラエルのネタニヤフ政権が、ガザ地区の完全制圧という戦略目標を達成できぬまま一度は停戦に合意したことや、側近の汚職疑惑などで支持率を大きく下げ、政権崩壊の瀬戸際にあったことが状況証拠としてあげられている。早い話が、追い詰められて暴走したというわけだ。暴走という表現が不適切だと言うなら、政治的名旧知を軍事行動でひっくり返そうとした、とでも表現すればよいだろうか。
一方(2)にからんでは、11日までにホワイトハウス筋が、中東諸国の外交官や駐留米軍人の家族に向けて、国外退避を勧告していたこと、その理由がまさに「緊張が高まっている」というものであったことから、こちらも早い話、イスラエルの軍事的冒険を黙認したに違いない、と考える人が多い。
これだけ見れば、どちらの文脈を前提としても話の筋が通るのだが、この数日間で(2)の見方が有力になってきているように思われる。
と言うのは、トランプ大統領がカナダで開かれていたG7(先進7カ国首脳会議)を中座して「中東の緊急事態に対処するため」帰国したことや、その直後にイランに対して「無条件降伏」を呼びかける声明を発表したからである。
無条件降伏云々は、例によっての「トランプ節」で、この人が大言壮語に実行が伴わない「言うだけ番長」であることは、これまで幾度も指摘してきたので、今さら繰り返さない。G7を中座した理由についても、18日になって突然、イスラエルとイランの問題とは関係なかった、などと言い出したが、日本時間の19日朝になっても、具体的な説明はない。
ただ、西側軍事筋の分析では、今次の奇襲攻撃でイランが推進してきた核開発には少なくとも数年の遅れが生じたとされ、それが事実であれば、イスラエルの戦略目標はおおむね達成されたと考えてよいであろう。つまり、適当なところで停戦に応じる条件は整いつつある。
一方イランだが、同じく西側軍事筋によれば、米国が軍事作戦に参加しないことを前提に、交渉に応じる用意があることを示唆しているが、反面、イスラエルとは逆に軍事的敗北を政治・外交でひっくり返すことを狙って、ホルムズ海峡封鎖などの強硬手段に出るリスクは残されている。
さらには、今次のイスラエル空軍による奇襲攻撃は、シリア、イラクの領空を侵犯して敢行され、両国はすでに、国連安保理などに抗議文を提出しているが、これ以上のやりたい放題を許しておくとは考えにくい。
話は変わるが、今次の紛争の原因について、とりわけわが国のメディアやネットでは、「ユダヤとイスラムの歴史的な確執」にあると、十年一日のごとき解説が繰り返されている。
1947年にイスラエルが建国されて以来、繰り返し言われてきたことだが、この見方は正しくない。
イランのイスラム政権にせよ、アラブ諸国にせよ、彼らが敵視しているのは、現在のイスラエルでは与党の立場にある「シオニスト」であって、ユダヤ教自体ではない。つまり、中東で繰り返されてきた戦争も今次の問題も、安易に「宗教戦争」と理解すべきではない。
世界中の耳目を集める大事件であるので、前置きのつもりの解説がかなり長くなってしまったが、本シリーズの本当のテーマは「ユダヤ教とシオニズム」「ユダヤ教徒とユダヤ人」の区別をつけないと、現在の中東情勢についても正しい理解に至るのは難しい、という話である。
次回、「イスラムとユダヤは昔から相容れなかった」という歴史認識の誤りを論証する。
【取材協力】
若林啓史(わかばやし・ひろふみ)北九州市出身、東京大学法学部卒。京都大学博士。早稲田大学・亜細亜大学講師。1986年から1019年まで外務省勤務。英国、シリア、イラク、オマーン、ヨルダンの日本大使館で勤務。現在は大学で教鞭を執る傍ら、朝日カルチャーセンター新宿校で継続的に中東問題やイスラームに関する講座を受け持つ。
トップ写真:Amir Levy by gettyimages
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。
