観戦と応援の在り方について(上)たまには野球の話でも その4

林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・日本では高校野球でもプロでも、ブラスバンドやチアリーディングによる華やかな応援が呼び物。
・米国大リーグでは「鳴り物」禁止、日本での開幕戦ではこのルールが適用された。
・地域色を正面に出してこその高校野球の応援、杓子定規の規制はいかがなものか。
前回、DH(指名打者)制度について言及した際、セとパあるいは日米の間で野球のシステムが異なっても構わないのでは、と私見を述べた。
日本では高校野球でもプロでも、ブラスバンドやチアリーディングによる華やかな応援が呼び物となっている。
米国の大リーグでは、観客席での「鳴り物」は禁じられているそうで、昨年、大リーグの開幕戦が日本で行われた際も、このルールが適用された。
私など、ブラスバンド(マーチングバンド)もチアリーディングも向こうが本場なのに、どうして野球だけ……と首をかしげたが、中継は好評だった。年季の入った野球好きには、打撃音が聞こえるのが観戦の醍醐味であるらしく、日本(のプロ野球)でも鳴り物を禁止にしたらよいのに、との意見を開陳した著名人も複数いたほどだ。
再三述べてきたように、私は野球にそこまで造詣が深くないことを自覚しているので、本シリーズの執筆に際しては、旧い友人の知見を幾度となく参考にさせてもらった。彼は小学生時代から、小遣いを貯めては後楽園球場まで観戦に出向いたほどだが、やはり鳴り物に関しては否定的な意見で、打撃音が聞こえないのは寂しいと言う。
観戦スポーツならば、みんなで声を出して応援することこそ、本当の醍醐味ではないか、という私見に対しては、
「それも分かるけどね。プロ野球はひとつのカードで3試合あるわけだから、うち1試合くらいは鳴り物禁止にしてもよいと思う」
と語っていた。早計には言えないが、一考に値する意見ではないだろうか。
さらに言えば、たしかにブラスバンドもチアリーディングも米国が本場だが、たとえばアメリカン・フットボールの試合で披露されるのは「ハーフタイム・ショー」であって、観客席からは歓声しか聞こえない。
これに対してわが国の高校野球では、旧制中学の時代から各校に応援団が組織されており、応援歌の合唱や手拍子が主なものであったとは言え、観客席での応援は間違いなく風物詩であった。
サッカーでは、ご案内の通り観客席での合唱(チャントと呼ばれる)が一般的である。
1968年のメキシコ五輪では、サッカー日本代表が3位決定戦で地元メキシコと激突したが、その際、観客席に様々な楽器を持ち込み、
「ラララ・メヒコ、ラララ・メヒコ……」
と陽気に歌い続ける同国のサポーターたちの姿が、TV中継を通じて日本の視聴者に感銘を与えたと伝えられている。こんな応援の仕方があったのか、と。
ラテンアメリカでは伝統的な応援スタイルなのだが、これが日本の野球の応援スタイルにも影響を与えたのかどうか、残念ながらそこまで私の調べは行き届いていない。
ブラスバンドに話を戻すと、たとえば甲子園球場は以前にも述べたように西宮市の割と密集した住宅地の中にあって、騒音は深刻な問題となりかねないため、阪神が勝った時の『六甲おろし』の合掌以外は、鳴り物入りの応援は規制されているとか。地鳴りのような声援、としばしば報じられるのだが、やはり「騒音レベル」が違うのだろう。
都市部の球場は似たような立地条件である例が多く、高校野球でも大阪府大会(=予選)の段階では、やはり騒々しい応援は御法度らしい。関東のある高校など、ブラスバンド部の「爆音」を売り物にしているが、たしかに場所を間違えると近所迷惑だ。
これ以外に、高校野球ならではの(?)規制もいくつか存在する。
たとえば今年の大会で見事に優勝した沖縄尚学だが、民族衣装を着て、顔にペイントをしての応援が高野連の琴線に触れ、もとい、規制の基準に触れてしまって、決勝戦では中止になったという。
沖縄代表の応援団が決まって演奏するのは『ハイサイおじさん』で、県を代表するミュージシャンとして参議院気委員を務めたこともある喜納昌吉(きな・しょうち)の代表曲だ。
これが、一度は自主規制の対象になったことがある。
ご存じの読者も多いかと思われるが、酒飲みで怠け者の「おじさん」の遊郭好きをわらば(若者・子供。童と漢字を当てる)が笑いものにする、という歌詞なので、高校野球にはいかがなものか、ということであったらしい。
だが、沖縄の伝統舞踊であるエイサーを踊りながら盛り上がるのに、これ以上の曲はない、という県民及び出身者からの熱い支持のおかげで復活したそうだ。
顔のペイント以外に、着ぐるみも禁止されている。あの田中康夫氏が長野県知事時代、カモシカの着ぐるみを伴って応援に出向いたところ、高野連からクレームを頂戴したと聞く。
知事自ら着ぐるみで応援席に現れたら、さすがクリスタル、と賞賛されたかも……という冗談はいくらなんでも古すぎるだろうが、着ぐるみはまだしも「タオル回し」まで規制の対象になっていると聞くと、誰かに迷惑がかかるのか、と首をひねりたくなる。
いや、着ぐるみや顔ペイントにせよ、地域色を正面に出してこその高校野球の応援ではないのか、という観点からは、杓子定規の規制はいかがなものか、と言わざるを得ない。
前述の『ハイサイおじさん』の例でも分かるように、十年一日と言うか手垢がついたと言うか、現代では明らかに間尺に合わない「高校生らしさ」を正面に出し過ぎると、かえって様々な弊害が生じる、ということではないだろうか。
もうひとつ、これは伝聞であることを明記した上で述べるが、全国には、100人以上の野球部員を擁する「名門」が、いくつもある。そうした学校では(さすがに全部が全部ではないと思うが)、レギュラーになれる見込みのない部員には、もっぱら踊りの練習をさせているそうだ。
ベンチ入りできる人数が限られている以上、補欠は補欠の役割を果たせばよい、ということのようだが、これまたアマチュア・スポーツの在り方としては、いかがなものだろうか。
この点、高校サッカーのシステムは非常によくできている。正月に国立競技場で決勝戦が行われる全国大会の他に、地域のリーグ戦などがカテゴリー別に開催されるので、多くの部員を擁する高校では、2軍どころか3軍・4軍まで編成され、大半の部員に出場機会が与えられるのだ。
地域性、という話を先ほどさせていただいたが、入場行進ひとつとっても、名門・青森山田の選手たちが手に手にリンゴを持って行進したこともある。
野球とサッカーについて論じ始めると長くなり過ぎるので、このテーマは項を改めるが、次回、両者の応援の違いや、チアリーディングをめぐる問題について見てみよう。
トップ写真:MLB東京シリーズ、ロサンゼルス・ドジャース対シカゴ・カブスの試合(2025年3月18日 東京ドーム)出典:Kenta Harada/Getty Images
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。












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