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共和党指名争い全国党大会にもつれ込み? 米大統領選クロニクル その5

古森義久(ジャーナリスト・国際教養大学 客員教授)

「古森義久の内外透視」

アメリカ大統領選挙予備選は共和党側の熱戦が混迷をきわめてきた。共和党主流を正面から非難するドナルド・トランプ候補を主流派がなんとか阻止しようと、本来なら予備選段階で終わる党候補の指名争いを全国大会の場にまで持ち込もうとする戦略も語られるようになった。

党全国大会はふつうそれ以前に決まった指名候補を改めて指名する儀式的な傾向が強いのだが、その大会をさらに競争の場にする、つまり「競合大会:Contested Convention」にしようという戦略である。

私が最初に足を踏み入れた1980年8月の民主党全国大会も、この「競合」に近かった。大会前の予備選段階ですでに現職のジミー・カーター大統領が指名に必要な人数の代議員を獲得したと推定されていた。ところがカーター不信を強く唱えたエドワード・ケネディ上院議員が全国大会の場で挑戦を試みたのだった。

しかし私にとって初めて実際にみる全国大会は実にカラフルだった。これが超大国アメリカの大統領候補を最終的に決める儀式なのかと感嘆するほど、陽気で喧噪で活気にあふれた集まりなのだ。テレビでみたのではわからない人間集団のものすごい熱気が満ちていた。

舞台はニューヨーク市のどまんなかのマディソン・スクエア・ガーデンだった。1万数千人を収容できる巨大な屋内スタジアムがほぼ満員、中央の1階の広大なアリーナに演壇が設置され、それに面して全米各州からの代議員がぎっしりと座る。この大会では代議員は約4千人だった。その顔ぶれが文字通り、人種のるつぼ、多民族の展示場のようなのだ。老若男女という表現もまさに適切だった。ダークスーツ姿は意外と少なく、赤青黄など鮮やかな原色の服装が目立つ。

後で知ったことだが、民主党員は共和党員よりも少数民族の比率が高く、黒人やアジア系が顕著だった。その多彩な人々が議事進行に合わせて、叫び、うなり、笑い、唄い、プラカードを打ち振り、拍手を送る、というふうなのだ。私たち報道陣が自由にそのアリーナに入り、動き回って、代議員たちに勝手に話しかけることもできた。日本人記者でも自由自在に歩き回って、代議員たちに声をかけると、誰もがうれしそうにこちらの質問に答えて、語ってくれる。このオープンさにはまだアメリカの選挙取材の経験が乏しかった私はすっかり感激してしまった。これが草の根の民主主義なのか、という感想である。

この全国大会でケネディ議員があえて現職の大統領に戦いを挑んだのは、やはりカーター大統領の一般の人気があまりに低いからだった。すでに大統領や司法長官などの政治リーダーを生み出してきたケネディ家の伝統もあったのだろう。とくにエドワード・ケネディ氏は上院ですでに実績を重ね、太く吠えるような声での演説には定評があった。

だがケネディ候補は結局、カーター大統領には勝てなかった。最終的には約2100票対1100票という大差だった。ケネディ氏には「チャパキディック事件」というスキャンダルの影がなお大きかったことも敗北の理由だとされた。この事件は1969年にケネディ氏が地元マサチューセッツ州のチャパキディック島で女性を乗せた車を飲酒運転して、川に転落し、女性を放置して、自分だけ岸に上がり、警察にも通報しなかったという内容だった。

だがこの大会ではケネディ氏はいったん自分の敗北が確実になると、カーター大統領を支持するという趣旨の名演説をして満場の喝采を浴びていた。