"Japan In-depth"[ジャパン・インデプス]

日銀金融政策へのマーケットの反応 なぜ批判的な声が出るのか? 

SINTRA, PORTUGAL - JUNE 19: Haruhiko Kuroda, Governor of Bank of Japan, smiles while leaving at the end of the first discussion session of the ECB Forum on Central Banking, on June 19, 2018 in Sintra, Portugal. The 2018 ECB Forum on Central Banking explore the behavior of prices and wages in advanced economies, both from a macro- and a microeconomic perspective. Changes in their behavior are currently at the core of monetary policy debates globally. (Photo by Horacio Villalobos - Corbis/Corbis via Getty Images)

神津多可思(公益社団法人 日本証券アナリスト協会専務理事)

「神津多可思の金融経済を読む」

【まとめ】

・日本銀行は賃金や企業収益の増加と並行したインフレが2%の状態を安定的に実現するまでは金融緩和スタンスを動かさない方針。

・企業が守りのときの超金融緩和の長期化は、ビジネスモデルの延命になりかねず、企業の挑戦意欲をさらに弱めることにもなりかねない。

・経営資源の投入分野の変化なくして、日本経済の潜在能力は高まらない、という不安がマーケットからの否定的コメントに繋がっている。

 

グローバル経済がインフレに見舞われる中で、欧米の中央銀行はその抑制に政策の主眼を置いている。これに対し日銀は異次元緩和を堅持し、1ミリも動く気配はない。そういう日銀の政策スタンスに対し、金融市場や経済界から批判的なコメントも寄せられる。現在の日本のインフレの主たる原因は、円安と言うよりは輸入品の価格上昇だ。さらに、世界経済は景気後退に見舞われるとの見方も出てきた。そうした状況で、まだ2%ちょっとのインフレの日本で利上げはないという日銀の判断に対し、どうしてマーケットから否定的なコメントが出てくるのだろうか。

 

■ 日本のインフレの現状

日本の6月の消費者物価(総合)の前年比は+2.4%。これは、基本的に財(=モノ)の価格上昇によるものであり、サービス価格はまだ際立って上がってはいない。サービス価格には、賃金の影響が財以上に強く出る。サービス価格が目立って上昇していないということは、まだまだインフレと賃金上昇が併存する状況ではないということだろう。2%のインフレ目標は、ホームメード、すなわち賃金や企業収益の増加と並行したインフレを念頭に置いている。そうでなくては、何のためのインフレなのかということになる。日銀は、そのホームメードの2%インフレが安定的に実現するまで、現在の金融緩和スタンスを動かさないと言っているのである。

そもそも日本では、米国のように8%、9%のインフレになっている訳ではない。かつ、今のところ近い将来そうなるとも予想されていない。さらに、国際通貨基金(IMF)や世界銀行の2022年の世界経済の成長率見通しは、徐々に低下している。インフレと景気後退が同時に起こる「スタグフレーション」という言葉も良く聞かれるようになった。そうした日本経済が置かれる現状を踏まえれば、利上げなどあり得ないという立論にも合理性はある。

にも関わらず、国債の利回り曲線(イールドカーブ)を動かさないために市場介入を強化する日銀の金融調節に対して、金融市場からは批判が寄せられる。輸入品の価格上昇を速やかに自社の製品・サービスの価格に転嫁できない産業界からも、輸入価格の上昇に対する円安の寄与がさほど大きくないにも関わらず、日銀は政策スタンスを見直した方が良いといったコメントが聞かれる。こうした批判、不満の源泉はどこにあるのだろうか。

 

■ そもそも金融政策ができること

そもそも、金融政策は景気を平準化しようとするもので、潜在成長率の上昇は、それが実現し景気の山谷が大きくない安定的な経済環境の中で達成されるというのが理論的な整理だったのではないか。もちろん、潜在成長率を引き上げるため、できるだけ緩和的な金融環境をできるだけ長く維持するという主張も、確かに正しいように聞こえる。しかしそういうやり方は、企業の姿勢が前向きで、リスクをとって自らが挑むビジネスを新しい環境にフィットしたものに変えていこうというものでないと十分効果が出ない。企業が全体として守りの姿勢にある時、超金融緩和の長期化は、長くは通用しないビジネスモデルの延命になりかねない。さらに、そうした金融緩和の継続自体が、企業の挑戦意欲をさらに弱めることにもなりかねない。

1951年10月に始まる景気の上昇局面から、2020年5月に終わる景気の下降局面まで、景気の谷から谷の一循環は全部で15回あった。一循環当たり55か月、4.6年という計算になる。平成に入った後については、これが少し長くなる。1993年以降は、全部で5循環、平均64カ月、5.3年だ。現在の日銀の異次元緩和は、そうした時間の長さを上回って強化され、持続されてきた。

景気循環が経済を鍛える面があることは、かねてより言われてきた。景気の後退があるから、ビジネスモデルがふるいにかけられ、より将来性のあるものが生き残っていく。しかし、その後退局面にあっても金融緩和が強化されたのでは、それは日本経済の弱いところに焦点を当てたマクロ的な護送船団政策になってしまう。現在、マーケットから日銀の金融政策に批判的な声が出ているのは、そういうことを直感しているからなのでないか。

このように考えると、潜在成長率が低下傾向にある中の金融政策であっても、マクロ経済の晴れの日、雨の日に合わせた強弱があっても良い気がしてくる。今の金融政策の枠組みに則して言えば、イールドカーブの一定の幅での振動を許すということだろうか。そういう振動は、利上げとか利下げとかいうこととはちょっと違う。そのような金融政策のイメージを考える際には、先月の当コラムでも述べたように、国債金利から推測される企業の資金調達コストを実質でマイナスするような金融緩和が日本経済の潜在成長率を高める上で望ましいのかという点が重要になるはずだ。

他方で、日本経済を鍛える一定の景気後退を許容するとなると、マクロ経済の安全網(セーフティネット)が重要になる。潜在成長率が傾向的に低下する下では、その重要性はなおさら増す。勤労者を新しい雇用機会へとどう円滑に動かしていくか。新しい経済環境の下で陳腐化してしまった資本設備をどう低コストで償却するか。今日、人的資本への投資あるいはリスキリングという言葉が良く聞かれるが、これらもこのマクロ経済におけるセーフティネットの議論と関係する。

様々な摩擦が不可避の経営資源の投入分野の変化なくしては、日本経済の潜在能力は高まらない。そういう直感が、なお金融・財政のマクロ安定化政策によって成長を加速させようという考え方への否定的な声に繋がっているのではないだろうか。

トップ写真:黒田日銀総裁(2018年6月19日、ポルトガル・シントラ)

出典:Photo by Horacio Villalobos – Corbis/Corbis via Getty Images