"Japan In-depth"[ジャパン・インデプス]

信用の無駄遣いの怖さ

為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)

初めてアメリカで暮らし始めた時に、しきりにデポジットを入れさせられて、辟易したことがある。アメリカは金融の履歴がないとなんとも暮らしにくく、最初のあたりは自分のWikipediaを見せたりして信用をなんとか獲得し家を借りたりしたものだった。ところが一旦家を借りて、電話を借りられて、銀行を使った履歴ができると急になんでも簡単にできるようになり、この国は信用を評価する国なんだなとしみじみ感じた。

最近、会社に少しずつだけれど仕事を頼まれることが増えてきていて、信用が積み重なってきたのではないかと考えている。これまでの活動実績と、社員が頑張ってきたことにより周辺からの信用がある閾値を超えたのではないだろうか。

昔はアイデアが大事だと思っていた。いいものかどうかはともあれ、比較的アイデアを思いつく方だったから、いろんなアイデアを思いついては各方面に持ちかけたりしていたのだけれど、自分の能力不足もあってなかなか実現しなかった。実現に至らないから頼めば頼むほど信用が毀損するようで、途中から思いつきで行動をするのを極力抑えるようになった。

俺は社会にインパクトを与えるんだ!もっとでかいことをしなきゃだめなんだ!と心のうちでは思いながら、日々は地道なことの繰り返しで、正直な所最初はそれにフラストレーションを感じながらやっていた。それでも目の前のことを丁寧に繰り返していくと、ちょっとずつ頼まれることが増えてくる。あの仕事を見てお願いしようと思いましたという声や、スポーツでこういう事業をするならこの会社にと紹介されて、という話を聞くようになり、信用の威力が次第にわかるようになった。

スタートアップのように一気に駆け抜けるというスタイルもあるのかもしれないが、こうやって目の前の事を一つ一つ丁寧に仕上げるやり方もあって、どうも私はそのやり方のほうが向いているのかもしれないと感じている。こういう戦い方はとにかく信用を積み重ねるしかない。チップが信用だとすると、賭けるべきチップがないとそもそも始まらない。

ただ、若い時の自分に会ったらお前そんな夢の話ばっかりしてる暇があったら目の前の事をきちんと仕上げて信用を積み重ねろと言うのだろうけど、若い自分はきっとそんなちまちました話と聞く耳持たないのだろうなという所が難しい。金の無駄使いはまあいいが、信用の無駄使いをしたり、他人から借りた信用を散財していた時の若い自分を想像すると張り倒したくなる。

(為末HPより)