原田まりる(哲学ナビゲーター)
人を傷つけてしまうということは、自分も傷ついてしまうことである。
仕事や恋愛など対人関係において「自分の気持ちが大切に受け取られない」と、カッとなり、相手に対してひどい言葉を投げてしまったり、拗ねて相手に気を遣わすような行動に出たり、我々はさまざまな表現で相手に「怒り」を伝えることがある。
逆に相手に対して「怒りの感情」を出さない場合は、心の中で相手を軽蔑しているか、相手を通じて何らかの利益を得ようとしているか、心底恐れているか、いずれにしても相手と「対等な立場」を築こうとしていない自分が存在することになる。
調和とは本来、自己主体性と自己主体性、自分らが持つ「主体性」と他者が持つ「主体性」が、それぞれ形を崩さずに共存していることであり、「一定の規則性を重んじる行為」ではない。つまり「私の価値観はこうだけど、あなたの価値観は、こうなのね。それもいいじゃない」と認めあいながら共存することこそ「調和」であるのだ。
ルソーという哲学者がいる。ルソーは貴婦人のヒモであり、露出狂でマゾヒストで、町娘に対し、いきなり一糸まとわぬ姿でお尻を突き出し「お尻を叩いてもらおう!」と奇行に出た末、逮捕された究極的変人哲学者であった。そのルソーが書いた「社会契約論」には「自己主体性」と「社会」の関わり方が記されている。
「自己主体性」のみを尊重するのであれば、秩序のない社会となってしまうが、「一般意志」と呼ばれる「一部の人間だけが幸せになることのない社会のルール」をそれぞれ「個人」が守ることによって安全、安心など「市民としての自由」が個人に還元されると説いている。現在の民主主義の基盤となっていると言える。
しかし、ルソーが唱えた「民主主義」は「社会の言いなりになる」ことではなく「市民自らの意思により社会をより良いものにさせていく」ということである。そこで重要となるのが「自己主体性」であるのだ。
社会において「自己主体性」をもつこと、つまり自分の意見をしっかりと持ち、主義を主張することで、上手くいかないこと、傷つくことは多々ある。しかし、我々は本来「個人」であり、個人と個人、つまり点と点のつながりにより「社会」が出来ているのだ。傷つくことを恐れ「自分」を殺してはいけない。
意志の自殺は「自分自身であることの放棄」なのである。自らの意見を殺すことよりも、活かすことが発展へと繋がっていくのだ。社会にせよ、恋愛にせよ、仕事の対人関係にせよ「自らを活かす」生き方を心がけてみてはどうだろう。
「自愛こそ愛すべきものである ジャン・ジャック・ルソー」
【執筆者紹介】
1985年2月12日、京都出身。哲学ナビゲーター。現在「哲学」に基づいた独自のアプローチで企業の人材育成の講師として活動中。勉強会、カウンセリングなどいずれも人気を博しており、今春に哲学書を出版予定。レースクイーン・オブ・ザ・イヤー2005グランプリ、元アイドルという端整な容姿からは想像出来ない「哲学」の知識を生かし、Twitter上で悩み相談「#原田流哲学」を行っている。
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