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奇跡の集落「やねだん」とは 「地域再生の神様」豊重哲郎氏 上

出町譲(経済ジャーナリスト・作家、テレビ朝日報道局勤務)

【まとめ】

・鹿屋市柳谷地区では町内会長の豊重哲郎氏の下、地域再生を実現。

・サツマイモづくりや焼酎の販売で自主財源を確保。

・地域活動では「全員野球」にこだわる。

 

■ 地域の絆を再生せよ

鹿児島空港の近くでレンタカーを借りた。2時間ほど運転し、大隅半島の付け根にある集落にたどり着いた。ここは、鹿屋(かのや)市の柳谷地区通称〈やねだんだ。人口はわずか300人の小さな集落である。この集落は、20年数前までは消滅の危機だった。若い人は離れ、急ピッチで高齢化が進展していた。

ところが、いまや再生し、「奇跡の集落」と呼ばれている。一人のリーダーが牽引した。自治公民館長、いわば町内会長の豊重哲郎だ。豊重は「地域再生の神様」ともいわれ、行政関係者らが年間5000~6000人、視察している。

▲写真 豊重哲郎 出典:著者提供

UターンやIターンが相次ぎ、高校生以下の子供は集落の人口の1割以上になった。

「人口が減るのは仕方ないが、その人口の中身を変えていくのが重要です」
 今では、こう胸を張る豊重だが、公民館長に就任した1996年当時は視界不良の中でのスタートだった。当時公民館長のポストはだいたい65歳ぐらいの人が持ち回りだったのだが、55歳の豊重に白羽の矢が立った。

就任直後に出納帳を見て愕然とした。預金1万円、現金はゼロだった。

集落を再生させるためには、まずは自主財源が必要だ」。早速着手したのは、サツマイモづくりだった。しかし、当初住民らの間では反発もあった。サツマイモは重く、高齢者にとって収穫は重労働だからだ。

そこで、実際の労働は高校生に任せることにした。「自主財源ができれば、オリックスのイチロー選手の試合を見に行けるぞ」と呼びかけた。ピアスをしたり、髪を染めたり、不良のような恰好をしていた高校生だったが、その「誘い」に飛びついた。

高校生は夕方になると、サツマイモ畑に姿を現した。ぎこちなく農作業に汗をかいていると、高齢者が吸い寄せられるように集まる。かつて培ったノウハウを教えるためだった。高校生と高齢者が交わっていると、登場するのは、高校生の親たちだ。農作業でお腹のすいた子供たちにおにぎりなどを持参する。

サツマイモ畑の畝では高校生、高校生の親たち、高齢者と「三世代」が汗を流し、談笑する場となった。

失われていた絆が徐々に回復したのだ。その結果、最初の収益は35万円となる。豊重さんが約束通り、高校生を引率して、福岡ドームで野球観戦した。鹿児島からバスで向かった。

この体験をきっかけに集落では、「稼ぐ」ことの尊さが浸透した。その後、サツマイモづくりは集落全体での作業になった。子供が動けば、大人も動く。サツマイモ生産は毎年拡大していった。一度の作業に住民100人が参加し、植え付けに3時間、収穫に4時間かかる。植え付け作業は午前7時からスタートするが、高齢者は5時からトラクターで土が乾かないよう畝づくりをやった。

崩壊しつつあった集落が息を吹き返し始めた。「集落全員はレギュラー選手で、補欠はない。全員野球の村おこしが重要だ」という豊重の思いが伝わった。

その後、加工食品が必要だと考えた豊重は焼酎の販売に踏み切った。この焼酎は大化けする。

きっかけをつくったのは、ホテルチェーンなどを展開している韓国の実業家、キム・ギファンだ。キムは2009年、たまたま滞在先のホテルのテレビで〈やねだん〉を紹介したVTRを見た。

補助金に頼らない自主自立の精神にすっかり魅入られた。韓国でも過疎化に悩まされており、〈やねだん〉の取り組みに驚いたのだ。そして、現場を実際見てみたいと思って、〈やねだん〉をお忍びで訪れた。

キムはこの焼酎を韓国に輸入することを決断。〈やねだん〉から1000本単位で焼酎を輸入し、店で販売した。韓国で日本風の居酒屋〈やねだん〉をオープンした。

▲写真 芋焼酎「やねだん」 出典:著者提供

〈やねだん〉の自主財源はみるみる増え、500万円になった。そのお金をどう使うべきか。話題となったのは、集落のすべての世帯向けのボーナスだ。新聞、テレビで大きく取り上げられた。

集落のすべての世帯に1万円のボーナスを支給した。ボーナス支給式典では、豊重は1人ひとりに熨斗袋を手渡した。なぜボーナスを支給したのか。

「ボーナスは、一緒に、汗してくれてありがとう、協力してくれてありがとう、という意味で出しました。これ以上、金を蓄財するよりも、一気に、住民に還元してあげるほうがいいと思いました

自主財源は、住民のためにさまざまな形で使われる。例えば子供たちに勉強を教える寺子屋への補助だ。豊重は非行に走る子供たちと話をすると、「勉強が理解できない」という言葉が返ってきた。それならと作ったのがこの寺小屋だ。「将来のある子供たちに〈やねだん〉に住んで良かったと思われたい」と、豊重は話す。

ある年は高齢者に感謝の意を示すため、19台の手押し車を購入した。さらに、注目すべきは、集落の古民家の再生だ。「迎賓館」と名付けられ、そこに全国から芸術家の移住者を募った

豊重はとにかく「全員野球」にこだわる。その原点となったエピソードは、公民館長就任2年目の1998年に完成した運動公園だ。自治公民館の隣という、集落のいわば「表玄関」にある。

この運動公園は、高齢者から、乳幼児、青少年まで集って、声を掛けあう集落の憩いの場となっている。心も体もわくわくする公園という意味で、豊重は「わくわく運動遊園」と名付けた。

元々は、でんぷん工場の跡地だった。2m以上の雑草が生い茂り、集落の景観を壊していた。豊重が自治公民館長就任にあたり、真っ先に考えたのは、この跡地を運動公園に整備することだ。まずは雑草の刈り取りから始めなければならない。

「みんなで集う場は、みんなでつくりたい」。豊重の呼びかけに、有志が反応した。休日のたびに、生い茂った草の刈り取りを行った。

その姿は、ほかの住民にも伝播した。この除草作業で集落内の人々の結びつきが強まった。普段あまり言葉を交わさない人同士が汗を流し、除草すると、自然に心が打ち解ける。集落全体300人が家族になる第一歩だ。ボランティアの輪がどんどん広がった。

遊具をつくるためには木材も必要だ。豊重が資材の提供を呼びかけたところ、集落の1人が「うちの山の杉の丸太、どうぞ」と応えた。杉の丸太はクレーンの重機で切り出され、しばらくは公民館の前に置かれた。

木材の切り出しや土地の造成、建物の建設などを担ったのは、ほぼすべて集落の人々だ。集落に住む大工や左官、造園の経験者らが汗を流した。業者に発注したのは、電気工事だけだ。ノコギリや金槌などはホームセンターで自主財源で購入した。労働する体力のない高齢者は寄付した。まさに住民総出だ。結局、費用は8万円しかかからなかった。

豊重は、「感動して涙が出た。そして〈やねだん〉は大きく前進していけると実感した。感動があれば、人が動く。それが地域再生の原動力になる。補助金に頼らず、1人ひとりの小さな力を結集して取り組んだ大きな村おこしだった」と語る。

▲写真 わくわく運動遊園 出典:やねだんオフィシャルWebサイト

就任2年で起こした絆再生の一大プロジェクトだったのだ。

こうした運動公園は通常、300万から500万円の経費がかかるという。さらに、運動公園は「副産物」を生み出した。

住民の健康増進だ。高齢者がこの公園の運動器具で体を動かした結果、病院へ行く回数が大幅に減ったのである。鹿屋保健所の調査によれば、〈やねだん〉の75歳以上の人の医療費は、市平均より35万円安い44万1000円。また介護給付金も40万円安い95万9000円だった。

次々にアイデアを打ち出し、それを実現していく豊重だが、それを快く思わない人もいた。「あいつは目立ったことをやり、町長選にでも出馬するのではないか」という批判の声もあった。

豊重はとにかく粘り強く説得した。そして反目する人に対して、なるべく出番を引き出すように心がけた。出稼ぎや戦争体験のある人に対しては、それを話してもらったりした。一人ひとりの住民を納得させることで、「全員野球」の地域再生に心がけた。

豊重は、こう振り返る。「地域活動では特に、不平や不満を言う人は必ずいる。とにかく粘り強く話し合うことが大事なんです。『急ぐな、慌てるな、近道するな』が最も大事だと思う」

(敬称略)

に続く。全2回)

トップ写真:唐辛子畑で笑顔を見せる住民 出典:著者提供