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「けんか山」を日本、いや世界に売り込め「高岡発ニッポン再興」その80

出町譲(高岡市議会議員・作家)

【まとめ】

・高岡市には「けんか山」の異名を持つ、勇壮な「伏木曳山祭」がある。

・「青森ねぶた祭」など、祭りは地域経済への波及効果が大きい。

・国宝「勝興寺」とセットで「けんか山」を世界に売り込むチャンスが到来した。

 

いつもはひっそりしている高岡市の港町、伏木地区。5月20日は異様なエネルギーを発散していました。「けんか山」と呼ばれる伏木曳山(ひきやま)が行われていたからです。最大の見どころは、山車が互いにぶつかり合う「かっちゃ」です。私はアフターコロナを見据えて、全国に発信できる高岡の大事な観光資源だと、改めて感じました。

目の前で、2基の山車が「イヤサー」というかけ声を出しながら動きます。数十メートルほど離れた2つの山車。「総代」の笛の合図で、若者たちは、綱を引きながら、一斉に走り出す。山車の先端につけた「付長手(つけながて)」という大木がぶつかります。ドーンという音が響き渡ります。提灯は衝撃で、大きく揺れます。時には外れることもあります。私も思わず興奮しました。

お互いが納得するまで何度もぶつかります。最終的には総代同士が見物客の前で話し合い、握手で終終わります。「付長手」は樫の大木で、直径30センチから40センチ。長さは4.7メートル。

「イヤサー」というのは、ますます栄えるという意味です。「かっちゃ」を繰り広げるのは、山車6基。それぞれおよそ360個の提灯をつけ、夜の町にくっきり浮かび上がる。この提灯山車は、重さ8トン、高さ8メートルほどです。

この提灯はいわば“戦闘服”です。山車は、昼間には別の表情を見せます。花飾りをつけた豪華絢爛な花山車です。ご神体も、供えられています。神座には大人形、前部に前人形が置かれています。ご神体、大人形、前人形ともに、提灯山車にはつけられていません。昼と夜とで全く違うのです。

けんかはしませんが、昼間の花山車もスリリングです。何度も細い道をカーブします。曳き手が声を掛け合いながら、重い山車を押します。狭い道では、あわや住宅の窓ガラスにぶつかりそうな場面にも出くわしました。ギリギリで、衝突を回避する技に感嘆しました。道路のコンクリートが削れ、山車が通った後には、関係者が掃除します。

曳き手は朝の6時から、夜の12時まで携わります。休憩はあるのですが、交代なしで18時間です。曳き手は、飲酒も御法度となっています。「けんか山」という言葉は物騒だが、節度ある祭りとなっているのです。

この祭りは、日本3大喧嘩祭りのひとつとも言われ、200年ほど続いていますが、去年時代に合わせてある「変化」を見せたのです。

開催日は5月15日と決まっていたのですが、去年から、5月の第3金曜日、土曜日にしたのです。担い手が参加しやすいようにするためです。文化の継承という点での変革と言えます。また、週末ということもあり、観光客にとっても、訪れやすいのです。

そして、私は去年、今年とこの祭りを訪れ大きな可能性があると実感しました。やり方次第では、全国から観光客が殺到するのではないか。スリリングで、エンタメ性があります。しかも、昼間の花山車と夜の提灯山車と、二面性があることも興味深いです。

うまく、全国に伝われば、「けんか山」は北陸屈指の祭りになるかもしれないと感じました。どうすればいいのか。地域の祭りはどのようすれば、全国版になったのか。そしてその経済効果はどうなのか。私は全国を調べました。

日本経済新聞は、地域経済に最も影響力のある祭りについて、「青森ねぶた祭り」と伝えています。6日間の期間に、国内外から285万人を集客します。それは、青森市の人口の10倍。経済効果は382億円で、県のGDPの1%稼いでいるといいます。ホテルや交通機関、飲食物産展などが潤っているが、それだけでない。参加型の祭りとして、衣装の販売やレンタルで、呉服店やクリーニング店などにも効果が波及しているといいます。ねぶたが全国版になったのは、1960年代に観光協会が全国にPRし、70年代に企業が続々とスポンサーについたためだとしている。

翻って我が故郷、高岡。伏木地区は、かつて北前船の寄港地として大いに繁栄したが、今や人口減に悩まされ、空き家が急増している。ちょうど、去年は勝興寺が国宝に指定され、観光客が急増しています。コロナも落ち着きを見せている今、「けんか山」とセットで、全国、いや世界に売り込むチャンスが到来しました。

トップ写真:伏木曳山(ひきやま)祭の様子(筆者撮影)