"Japan In-depth"[ジャパン・インデプス]

福沢諭吉の知られざる姿

古森義久(ジャーナリスト・国際教養大学 客員教授)

「古森義久の内外透視」

福沢諭吉は欧化主義者として知られるが、実は日本の伝統や価値観を重んじるナショナリストだった――こんな斬新な福沢論を展開する書が新たに刊行された。著者は「現代の日本は福沢のナショナリズムの精神からいまこそ学ぶべきだ」と強調する。

この書は「士魂―福沢諭吉の真実」(海竜社刊)と題され、アジアや日本の現代史研究でも著名な、前拓殖大学総長の渡辺利夫氏により書かれた。渡辺氏は開発経済研究の大家だが、近年は日本の政治や歴史に関しても活発な著作を発表している。

本書は一種の偶像破壊といえるかもしれない。破壊でなければ、修正だろう。

福沢諭吉は「学問のすすめ」や「西洋事情」という書で明治時代の日本人に人間が生まれながらの身分ではなく、天賦の人権平等の権利を有することや、西洋の文明や価値観の優位性を説く知的指導者として認識されてきた。とくに第二次大戦後は彼の著書の「脱亜論」が強調され、日本的な価値観や日本の民族や国家への愛着は軽視という思想傾向が福沢論解釈の主体となってきた。

しかし本書の著者の渡辺氏はこの福沢論を「実は左翼リベラリズムの時代において『造作』された、福沢思想の全体からみれば実に偏った福沢像」なのだと述べる。そしてその背景を次のように解説する。

「日本の近代史や思想史を研究する人々にとっては、左翼リベラリズムの汪溢した戦後日本において、自分の思想の淵源を福沢という権威に求めたいという願望――意識化されたものであるかどうかは別にして――があり、そういう願望が偏りをもった福沢像を生み出した要因なのだろう」

そのうえで渡辺氏は福沢諭吉があくまで日本の伝統的な価値観をも尊重していた証拠として西郷隆盛の明治政府への反乱を糾弾する論調への反論を強く述べていた事実をあげる。福沢は西郷の行動を旧社会の道徳である「士風」や「抵抗の精神」の体現者として高く評価していた、というのだ。

渡辺氏はさらに福沢が徳川幕府の高位にあったものの、明治新政府の要職に就いた勝海舟、榎本武揚の二人の出処進退を批判して、「数百千年養い得たる我が日本武士の気風を傷うたるの不利は少々ならず」と書いていたことをも強調する。

そのうえで渡辺氏は福沢の著書「痩我慢之説」からの引用に基づき、次のように述べていた。

「『痩我慢之説』の第一行目は『立国は私なり、公に非ざるなり』です。士風、士魂という『私情』を劣化させてしまえば、列強の暴力的なアジア進出に抗して日本が独立をまっとうすることはできない、それゆえ国家に対する私情、つまりはナショナリズムこそが『立国の公道』でなければならない、と福沢は説くのです」

さてこの「ナショナリスト福沢諭吉」の新提示はいまの日本にどんな波紋を描くだろうか。

トップ画像:出典 近世名士写真 其2 、国立国会図書館蔵

文中画像:士魂―福澤諭吉の真実」(海竜社)前拓殖大学総長・渡辺利夫著  2016/7

※「東アジア歴史文化研究会」による書評