真田は「負け組のヒーロー」 ネオ階級社会と時代劇その1
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
NHK大河ドラマ『真田丸』の評判が、なかなかよい。
もともと戦国や幕末を舞台にすると当たる、と言われているそうだ。
理由はいくつか考えられるが、なんと言っても、知名度の高い登場人物が大勢いるので、オールスター・キャストが組みやすく、老若男女から幅広い支持を得られる可能性が高い、ということである。
若い女性視聴者を獲得するには、ジャニーズ系アイドルを多数出演させるのが手っ取り早いのだが、実は彼らは、みんな意外と背が低いので、大柄な俳優が多い時代劇では使いにくい、という話を聞いたこともあるが、これはまったくの余談。
戦国ものや幕末ものが人気を博しやすいのは、やはり下克上とか強大な権力を倒すといった物語が、痛快と受け取られるからであろう。
これはしばしば、判官贔屓といった日本人特有の心理だと説明されるのだが、私は少し違う見方をしている。
つい先日、サッカーのプレミアリーグ(イングランド1部リーグに相当)で、レスターが初優勝を飾った。
日本代表の岡崎慎司が所属しているため、わが国でも大いに話題となったが、人口30万ほどの小さな街にあり、資金的に決して豊かとは言えないクラブが、名だたるビッグクラブを出し抜いたことに、世界中のサッカーファンが拍手を送ったのだ。
英国ではまた、リーグの順位を賭けるサッカー賭博が盛んだが、レスター優勝のオッズは5001倍。ブックメーカーと呼ばれる胴元が悲鳴を上げているそうだ。
「ネッシーの実在が確認される」
のオッズが500倍ほどと言うから(英国では、人の生き死に以外はなにを賭けの対象にしてもよい)、いかに想定外の事態だったが分かる。
「下克上」を痛快と受け取る心理は、決して日本人特有のものではない、と私は思う。
そもそも『真田丸』の主人公である真田信繁(幸村という名については、後述)は、下克上を成し遂げたヒーローではない。
徳川家康の天下取りの野望の前に立ちふさがったことは事実だが、関ヶ原の合戦に際しては父・真田昌幸ともども西軍に与し、つまりは敗軍の将となった。
しかもこの時、幸村の兄・信幸は東軍に与した。兄弟それぞれの婚姻関係(信幸の妻は家康の養女、信繁の妻は西軍の重鎮・大谷吉継の娘)もあったが、天下分け目の決戦に際して、どちらが勝っても真田家が生き残れるように、と考えていたのだ。
事実このおかげで、昌幸・信繁親子は刑死を免れ、高野山に幽閉の身となった。
昌幸は当初、幽閉生活はそう長くない、と考えていたらしい。家康の天下などそう簡単には確立せず、もう一波乱起きて自分の出番あれかし、と。
しかし、ご承知のようにそうはならず、昌幸は失意のうちに生涯を閉じる。
その後、大坂の陣において、信繁はまず勝ち目のない籠城策をとって敗死している。言ってみれば、負けっ放しの人生ではないか。そんな人物が、天下無双の名将として庶民のヒーローとなったのは、徳川の天下=幕藩体制が確立して、生まれながらの身分でおおむね人生が決まってしまう、という世の中になってきてからである。
福沢諭吉が、「封建制度は親の敵にてござそうろう」
と喝破したのは、だいぶ時代が下ってからの話だが、封建社会において「下流」と位置づけられた庶民の鬱屈は、かなり早い時期からたまっていたと見て間違いあるまい。
一方、徳川幕藩体制にあっては、一度は家康の命を危うくした(大坂夏の陣での本陣急襲)真田を英雄視するなど論外であった。
そこで、本名の信繁ではなく、幸村という、いわば架空のヒーローが活躍する「軍記物」が多数出回った、というわけだ。これなら「この物語はフィクションです」ということで見逃されたのだろうか。
とどのつまり、敗軍の将を英雄に祭り上げることで、勝者の顔も立てつつ「ガス抜き」ができたのでは、と私は考えている。
これは現在の日本社会にも通じる現象ではあるまいか、との問題を提起するのが、今次の連載のテーマである。
あわせて読みたい
この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。