"Japan In-depth"[ジャパン・インデプス]

「誰がわかっているか」わからない問題

為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)

【まとめ】

本当に知っていることと、ただ知っていることの違いはわかりにくい。

インターネットにより、伝える力の影響が大きくなったから。

情報が溢れる中で「本当に知っている人は誰か」知っていることは価値がある。

 

最近タクシーに乗ると必ず運転手さんが、細かい道筋まで確認してくることがある。どうして確認するんですかと聞いたら、「いや最近はお客さんがグーグルマップで検索されて叱られたりするので先に聞くんですよ、ああ遠回りなのになと思いながらの時もありますよね」と。

走り方に関し、いろいろと議論していると、あれ、この人知識はあるんだけれども全体を理解しているわけじゃないぞという感覚を持つことがたまにある。個別の知識は正しいのだけれど、それを統合した部分にほころびがある。また話していることに実感がこもっていないので、質問を繰り返していくと、整合性がなくなる。

ところが詳しくない人、その業界がわからない人にとっては、誰が本当にわかっているかがわからない。さらにはわかっていない(私のような)人間ほど言い切るもんだから、余計に説得力だけはあってわからなくさせる。考えてもわからないので、みんなが納得するわかりやすい指標で判断すると、有名なあの人を、となってしまう。

誰でもそれなりに詳しくなれる時代において、本当に知っていることと、ただ知っていることの違いはわかりにくい。知っていること×伝える力=認知度、で考えると、インターネットにより、伝える力の影響が大きくなったからだと思う。業界であの人はすごいと言われる人と、世間から見てあの人はあの業界の第一人者だと言われることが一致しにくくなっている。そして一致していないことは、業界の外ではあまり知られていない。

情報が世に溢れる中で、本当に知っているというのはどういうことを自ら知っていること、また本当に知っている人は誰かを知っていることはとても価値があるように思う。相談する相手によって、最初にお願いする人によって、その後の展開が大きく変わる。最初に引く芋によって、ずるずる出てくる芋の方向が決まる。

最近は、色々学んで、自分でもそれなりに調べるけれども、それ以上に誰が本当のわかる人なのかを考えていることが多い。わかる人が誰かかわかるならお前はわかっているのかという矛盾は抱えながら。

(この記事は2017年9月7日に為末大HPに掲載されたものです)

トップ画像:イメージ図 出典 photo by 377053