私のパフォーマンス理論 vol.48 -燃え尽き症候群-
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
【まとめ】
- 燃え尽きる状況は、大きく三つに分けられる。目標を達成してしまうこと、強い重圧を受けること、主体性が失われること
- 燃え尽きないようにするには自分を知ることに尽きる
- もし燃え尽きてしまった場合は、休む、距離を取る、何も目指さない
燃え尽き症候群というものがある。ある日、燃え尽きたようにやる気が出なくなってしまうものだ。私はメダルを獲得した後、それから強いプレッシャーに晒された時に近い経験をした。その時の経験から学んだのは、心にも体力があり限界があるということだ。
その経験を経てから、それまでは目標のためには自分を蔑ろにするところがあったが、かなり繊細に自分の心を扱うようになった。結局それで自分の心が壊れてしまえばそもそも目標に向かう動機がなくなってしまう。自分で自分の心を壊してしまわぬように、また他人に侵食されないように、常に自分の心を観察し、みずみずしさが失われないように気を使った。体の疲労は体感しやすいが、心の疲労は気を使って観察しないと理解しにくい。そして心の故障の方が複雑で回復に時間がかかる。
燃え尽きる状況は私の分析では、大きく三つに分けられる。目標を達成してしまうこと、強い重圧を受けること、主体性が失われること、だ。
人間は目標のために頑張るが、目標達成のためにあまりに犠牲を払いすぎると、達成した瞬間燃え尽きてしまうことがある。この燃え尽き型は目標達成が全てでありそのために日常を犠牲にするという感覚が強すぎるタイプが多い。視野を狭めて目標に対し執着すれば確かに達成する確率は高まるが、長期的にこの状態でい続けられるほど心が強い人はそうそういない。
もう一つは強い重圧を受けることだ。自分がやりたいと思うこと以上に、周囲の期待が高まると、人はプレッシャーを感じるようになる。高地にいくとなんとなく息苦しいという感覚になるがあれに似ている。夢中は義務に弱く、重圧は義務を生み出しやすい。重圧にさらされることで、目標がノルマのように感じられ計画通り進まなくなった時に強くストレスを感じ心が疲弊する。
主体性が失われて耐えきれず燃え尽きることもある。主には主導権が指導者にあるような環境でこの状態になりやすい。ある程度機械のようになれる選手はダメージを受けにくいが、自分で決定するということを重視する選手はこの状況に長くいると適応できず燃え尽きてしまうことがある。
燃え尽きてしまう状況にはいくつかがあるが、燃え尽きる人間には共通点がある。それは自分をよく知らないということだ。ベクトルが内ではなく外に向いていて、外のことには敏感だけれども自分の心には鈍感な傾向がある。また真面目で、責任感が強いタイプも多い。人間の心は気の持ちようでいくらでも強くなると思っていて、辛い環境におけば置くほど人の心は強くなると思っている。このようなタイプはある日いきなりぽきっと心が折れる。
だから、燃え尽きないようにするにはどうすればいいかは、まず自分を知ることに尽きる。自分を知るとは、自分はどのような場面で心が疲弊し、心の体力がどの程度かを知ること、そして常に自分の心を観察することだ。その上で良い環境を選択する。トレーニングはただやればいいというものではなく、心が生き生きとしている状態でやれば効果が高い。だから、自分の心を健全に保っておく必要がある。
もし燃え尽きてしまった場合、どう復活すればいいのか。とにかく、休む、距離を取る、何も目指さない、これに尽きる。そして現在であればカウンセリングに行くことだろう。決してその場で自分で問題を解決しようとしてはならない。燃え尽き症候群は行き着けば鬱状態に近い。いくら考えても論理的な答えが出てこないし、むしろ前提として悲観的すぎる状態にいるので考えが堂々巡りになる可能性が高い。
人間は、少なくとも最初の燃え尽きでは、自分が燃え尽きてことを自ら認識できていない。特に真面目な人間は自分の疲労よりも、周囲の環境や責任、目標を重視する傾向にあり、自分の体の声を無視してしまう。
陸上競技は、過去何名かの自死者を出してきた。有名なのは円谷選手だろう。私が推測するに彼は許されたかったのではないかと思う。選手が期待されていることは二つある。結果と、生き方だ。どちらも重圧は強いが、結果はある程度時の運だという認識が浸透しているから、だめでもまだ許される。頑張ったけどしょうがないねという言い訳が効く。辛いのは生き方の方だ。こちらは自分の意思でなんとでもできる。それは裏を返せば、頑張れないことに全く言い訳のしようがないということだ。だから選手は結果はともあれ一生懸命トレーニングしないといけないと思う。ところが、怪我や燃え尽き症候群などでこれができない時、真面目な選手は期待に応えられていないことに強いストレスを覚える。少なくとも走れませんといって立ち止まるよりも、前向きに倒れれば、死を選べば許してもらえると考えたのではないだろうか。
一歩引いてみるとおかしなロジックに思えるかもしれないが、強い重圧の最中にいる選手は時にこのような思考に嵌まり込んでいく。一方、このような状況から抜け出し日常に帰ってきた選手もいる。本人の性質もあるが、それ以外では伴走者の存在が大きいのではないかと思う。友人でも家族でも恋人でも、競技者という肩書きが外れた自分と一緒にいてくれる人間がいるだけで随分と選手は救われる。円谷選手は、家族と離れコーチと離れ結婚話が破断し、伴走者を得ることができなかった。
社会は辛い状況を耐え切った選手が成功談を書いていることが多いので、生存者バイアスがかかっている恐れがある。もちろん耐え切れる選手はそれでもいいが、もし耐えきれなかった場合のダメージは相当なものがある。私は、基本的に全ての選手は自分をよく観察し心を守れるようになるべきだと思っている。
「したい」という心が失われれば、何もかもが意味がなくなる。競技とは誰のものでもない自分のものなのだ。
トップ画像:Pixabay by Graehawk
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この記事を書いた人
為末大スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役
1978年5月3日、広島県生まれ。『侍ハードラー』の異名で知られ、未だに破られていない男子400mハードルの日本 記録保持者2005年ヘルシンキ世界選手権で初めて日本人が世界大会トラック種目 で2度メダルを獲得するという快挙を達成。オリンピックはシドニー、アテネ、北京の3 大会に出場。2010年、アスリートの社会的自立を支援する「一般社団法人アスリート・ソサエティ」 を設立。現在、代表理事を務めている。さらに、2011年、地元広島で自身のランニン グクラブ「CHASKI(チャスキ)」を立ち上げ、子どもたちに運動と学習能力をアップす る陸上教室も開催している。また、東日本大震災発生直後、自身の公式サイトを通じ て「TEAM JAPAN」を立ち上げ、競技の枠を超えた多くのアスリートに参加を呼びか けるなど、幅広く活動している。 今後は「スポーツを通じて社会に貢献したい」と次なる目標に向かってスタートを切る。