"Japan In-depth"[ジャパン・インデプス]

緊迫米・イラン日本は仲裁を

嶌 信彦 (ジャーナリスト)

「嶌信彦の鳥・虫・歴史の目」

 

【まとめ】

・イラン経済は急激に悪化。米とイランが一触即発の状況に。

・米・イラン戦争なら日本への影響は計り知れず。両国は戦争を望まず。

・日本独自の仲裁案をたずさえて何度も交渉する努力が必要。

 

【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て表示されないことがあります。その場合はJapan In-depth https://japan-indepth.jp/?p=47012 のサイトでお読みください。】

 

 アメリカとイランの戦争が一触即発の状況になっていている。イランがアメリカの無人偵察機を中東・ホルムズ海峡付近で撃墜したことに対し、トランプ大統領は20日にイランの軍事関連施設3ヵ所への攻撃を一旦承認したという。ただ攻撃10分前にトランプ大統領が実行を中止するよう指示したとしている。

▲写真 トランプ米大統領(2019年7月17日 ワシントンD.C.)

出典:flickr; The White House

 

 アメリカ政権内ではポンペオ国務長官、ボルトン大統領補佐官、ハスペル中央情報局(CIA)長官ら強硬派は軍事攻撃に賛成だったが、国防総省高官らは限定的攻撃と考えていても大規模な戦争に拡大する懸念があり、中東の駐留米軍が危険にさらされるので慎重だったとされる。

■アメリカとイランの40年対立

 これに対しイラン側は、「無線で警告したが無人機がイラン領空に侵入し、国際法と国連憲章に違反した」と反論している。一方、国連は21日時点で「全ての当事国が最大限に自制して欲しい」と呼びかけただけで具体的な行動は起こしていない。

▲写真 イランに帰国したホメイニ師(1979年2月1日)

出典:Public domain

 

 アメリカとイランの関係は、1970年代以降、混乱を極めてきた。パーレビ国王時代は、アメリカ、イラン、サウジアラビアは、ワシントン、テヘラン、リヤド枢軸と呼ばれるほど緊密な関係にあり、中東の原油価格の支配権を握っていた。しかし1979年イランで宗教指導者ホメイニ師の主導により宗教原理主義者たちが実験を握って若者たちの革命防衛隊が登場するとパーレビ国王一家はエジプトに亡命。さらにアメリカ大使館にいた館員たちが革命防衛隊の人質となってしまう。途中、何人かは脱出に成功し米軍も救出作戦を試みたが、結局400日以上にわたって人質状態におかれた。この間、館員たちは暴行などにあったといわれ、病人も出している。

▲写真 在イランアメリカ大使館を襲撃する暴徒(1979年11月4日)

出典:Public domain

 アメリカによるイラン制裁が続いたが、その後イランと米・英・仏・独・中国・露がイランの核開発を制限する見返りに制裁を緩和する核合意が結ばれる。しかし、トランプ政権になるとアメリカは一方的に核合意から離脱しイランとの交渉が途絶え、核合意した国々との国際協調路線にもヒビが入っている。

■戦争を望まない米・イラン

   ただイランも経済制裁で経済は急激に悪化し、日量250万バレル輸出していた原油は半減し、5月にはさらに大幅な制限強化を打ち出したためイラン経済は困窮している。アメリカは制裁でイランを追い詰め現在の核合意よりさらに有利な合意を結びイランの力を縮小させたい狙いがあるようだ。しかし追い詰めすぎるとイランのタンカー攻撃やイスラエルへの攻撃にも発展し、アメリカ・イランの戦争へと発展する可能性もあるわけだ。

 ただ両国とも戦争にまで対立を大きくする気はないという。何せイランは中東の大国であり、イラク戦争時のように簡単に壊滅できる相手ではないし、もし戦争となれば原油価格は急上昇し、特にイランの石油への依存が大きい日本への影響は計り知れない

▲写真 時事通信社『時事通信 日刊時事解説板』第2235号(1953)より日章丸(2代目)。右上は新田辰夫船長(18 April 1953)

出典:Public domain

 

          ■日本は本気で仲介を

 

 

 日本は1950年代に石油施設の国有化で世界から孤立したイランから初めて石油を輸入した国で、その時のタンカーが「日章丸」だった。安倍首相の今回の訪問で日章丸にちなんだ“第二の日章丸”の幸運が実現することを期待されたが、イラン側は「日本がアメリカの使者として来るなら意味がない」としつつも仲介に立ったことには謝意を表したという。ここは日本独自の仲裁案をたずさえて何度も交渉する努力が必要なようだ。

 

トップ写真)日イラン首脳会談(2019年6月12日 テヘラン)

出典:外務省ホームページ