出町譲(経済ジャーナリスト・作家)
【まとめ】
・パリ講和会議中、ウィルソン大統領はスペイン風邪に感染。
・米不在の会議は、ドイツに巨額の賠償を求めることで合意。
・スペイン風邪は社会の歴史をコントロール、第二次大戦を誘発した。
スペイン風邪は、第一次世界大戦の終結を早めたが、皮肉なことに、第二次世界大戦を引き起こす遠因となった。今回は、その背景を描きたい。
戦勝国が話し合うパリ講和会議で、巨額の賠償金がドイツに課せられることになった。それで、ドイツ国内で不満が高まり、ヒトラーの台頭につながった。これは多くの歴史家が一致する見方だ。その歴史に、実はスペイン風邪が深く関与していた。
ある重要人物が会議のさ中、感染したのだ。アメリカのウィルソン大統領だ。ウィルソン大統領といえば、理想主義を掲げ、二度と戦争が起きないように国際連盟の創設を提唱していた。アメリカだけでなく、ヨーロッパでも熱狂的な支持者を持っていた政治家だった。「哲学者でありながら世界中の国々の君主たちを束ねうる武器を持つ、比類なき人物」(イギリスの経済学者、メイナード・ケインズ)という声もあがった。現代でいえば、オバマ大統領のような存在とみる向きもある。
写真)ウィルソン大統領
出典)パブリックドメイン
ウィルソン大統領に異変が起きたのは、1919年4月3日。パリ講和会議が開かれていた最中だった。フランスのクレマンソー首相、イギリスのロイド・ジョージ首相ら少数が密室で会談していた。
『史上最悪のインフルエンザ』(みすず書房)によれば、この日の午後3時、ウィルソン大統領は突然、声がかすれた。午後6時になると、ウィルソン大統領は咳をし始め、息をするのもやっとの様子だった。やがてほとんど歩けなくなり、体温は39・4度になった。ひどい腹痛を伴う下痢にも襲われた。あまりに突然のことだったため、大統領に同行していた医師は毒をもられたと考えた。ウィルソン大統領はこの日一晩中、重篤な状態になった。生死をさまよい、4日半ベッドで過ごした。医師の診断結果は、スペイン風邪だった。
ウィルソン大統領はなんとか生還した。しかし、スペイン風邪の感染は、会議の結論に影を落とす。それまでの激しい対立構図が一変した。
対立構図とは何か。ウィルソン大統領はそもそも、ドイツに賠償金を求めない主張を繰り返していた。理想主義の政治家としては、ドイツに負担をかけすぎれば、世界の平和秩序に悪影響を及ぼすという考えだった。
一方、フランスのクレマンソー首相、イギリスのロイド・ジョージ首相はともにドイツへ強硬な姿勢だった。
とりわけクレマンソー首相は手厳しい。ドイツと国境を接し、甚大な被害を受けただけに、この際、叩き潰してやろう。そんな考えだった。ドイツに巨額の賠償を求めた。さらに、軍事力を制限することを主張した。二度とドイツが軍事大国にならないようにするためだ。
写真)クレマンソー首相
出典) Archives fédérales allemandes
当時はパリ講和会議出席といっても、アメリカからパリに行くには船旅だ。ウィルソン大統領は3月14日パリに到着し、その後、連日のように、クレマンソー首相、ロイド・ジョージ首相らと会談していた。
しかし、双方の対立はエスカレートするばかりだった。議論だけでなく、お互い罵倒しあうようになった。クレマンソー首相はウィルソン大統領のことを「ドイツの手先」と呼び、部屋を出ていく始末だった。
ウィルソン大統領はパリ講和会議を切り上げて帰国する構えも見せていた。そんな中、起きたのは、前述した4月3日の会議の異変。すなわちウィルソン大統領の感染だ。連日の会議で疲れていたからかもしれない。また、体調を崩していたクレマンソー首相から、うつったという見方もある。
この週には、パリでは、1週間で、52人がインフルエンザと肺炎で亡くなっている。平年を大幅に上回っている。スペイン風邪が流行していたとみられる。
ともあれその後、ウィルソン大統領は、会議を欠席。結局、フランス・イギリスの意見に押し切られた。ウィルソン大統領は病床ですっかり気力を失い、受け入れたのだ。4月8日午後に会議に再び出席したが、完全に「壊れた」状態だった。
「今のような、これまでと雰囲気がまったく異なる大統領は、いまだかつて見たことがない。ベッドに横たわっているときでさえ、彼は奇妙なことを口走っている」(ウィルソンの秘書官、ギルバート・クローズ『史上最悪のインフルエンザ』P243)。ウィルソン大統領の左目と顔の左半分はピクピクひきつり、下まぶたは垂れ下がったままだったという証言もある。
スペイン風邪にかかり、自分で判断できないような状態になった可能性がある。専門家によれば、症状が回復しても、脳にダメージを与え、1、2カ月間うつ状態が続き、物忘れや決断力の欠如などが起きることもある。
写真)ワシントンでのスペイン風邪治療の様子
出典)Photo by Harris & Ewing via Library of Congress
そして6月を迎えた。連合国とドイツの間で講和条約、ヴェルサイユ条約が結ばれた。ドイツに巨額の賠償を求めることになった。それは、フランスによるドイツへの報復を鮮明にする内容だった。
ウィルソン大統領は、あれだけ反対していたにもかかわらず、あっさり条約に調印した。自らの信条を曲げた格好だ。長期にわたるパリでの滞在に終止符を打った。「ジョージ・ワシントン号」に乗って帰国した。理想主義は完全に敗北したのだ。もはや政治家としての魂が抜けきったのか。スペイン風邪のウイルスは、世界最強の政治家の体に入り込み、内部から徹底的に破壊した。
その後の歴史は周知の通りだ。ドイツに巨額の賠償が課せられた。このため、ドイツでは、経済が深刻な危機に陥り、不満が高まった。それが、結局、ヒトラーの台頭につながる。スペイン風邪のウイルスは、第二次世界大戦を引き起こす土壌をつくったわけだ。
ここまで調べて私は、愕然とした。スペイン風邪ウイルスは感染して直接、人々を殺すだけでなく、間接的な「殺人鬼」でもある。人間社会の歴史をコントロールし、第二次世界大戦を誘発した。
恐るべし、ウイルス。100年ぶりのパンデミックとも言われる今回の新型コロナだが、スペイン風邪のような暴走を許してはいけない。あとあとまで、禍根を残すことになる。人類は、英知を結してこの「殺人鬼」のウイルスと戦わなければならない。
(つづく。人類と感染症1、2、3、4、5、6、7、8)
トップ写真)パリ講和会議。写真左からデビッド・ロイド・ジョージ(イギリス)、ヴィットーリオ・エマヌエーレ・オルランド(イタリア)、ジョルジュ・クレマンソー(フランス)、ウッドロウ・ウィルソン(アメリカ)
出典)パブリックドメイン