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窮地の安倍元総理と「文春砲」の総指揮官 「高岡発ニッポン再興」番外編①

CHIBA, JAPAN - JULY 07: Japan's Prime Minister and ruling Liberal Democratic Party (LDP) President Shinzo Abe (C) waves during an election campaign rally on July 7, 2019 in Chiba, Japan. Official campaigning for Japan's Upper House election kicked off on July 4 for the contest of 124 seats. (Photo by Tomohiro Ohsumi/Getty Images)

出町譲(高岡市議会議員・作家)

【まとめ】

・2007年参院選で惨敗。安倍首相は当初続投意欲を示すも、その2日後に突如辞任表明。「無責任」との批判の嵐が起こった。

・安倍氏は体調不良を説明したが、「安倍晋三の政治生命は終わった」の見方が支配的だった。

・安倍氏本人が病状の深刻さを語った独占手記を月刊誌が掲載。この手記がなければ、安倍氏は「政治史から消えていた」との見方も。

 

安倍晋三元総理が凶弾に倒れ、今も衝撃が続いています。不死鳥のような安倍さんだけに、今回も蘇ると思っていただけに、残念です。ご冥福をお祈りします。今回は、市議会議員というよりも、元報道マンとして安倍さんについて書かせていただきたい。

私は安倍さんとは接点はありませんでした。ただ、テレビ報道としては、安倍さん、いや安倍政治と長く向き合っていました。賛否両論ある中、ここ20年近くは、日本の政治は安倍さんに左右されていたと思います。

 

私は2007年8月に、報道ステーションのニュースデスクとなりました。視聴率の高い看板番組の責任者となり、緊張していたのを今も覚えています。それは、7月の参院選で自民党が惨敗したタイミングでした。

その参院選では、テレビ朝日の後輩、丸川珠代さんが安倍さんの要請で出馬しました。その結果、東京選挙区の自民党では現職の議員が落選し、丸川さんが当選しました。丸川さんについては後でまた触れますが、自民党はわずか37議席だったのです。今回の参院選では自民63議席です。数字だけ見ても、自民党にいかに逆風が吹いていたかわかるでしょう。富山選挙区の野上浩太郎さんも今回圧勝していますが、2007年には落選しています。

写真)参院選に立候補した丸川珠代氏の応援にかけつけた安倍首相(2007年7月12日 東京)

出典)Photo by Koichi Kamoshida/Getty Images

参院選直後の永田町は安倍責任論が噴出し、大荒れでした。公然と辞任を求める声が出てきました。政治不信が募っており、テレビ報道は、政局ニュース一色でした。

安倍さんは当初、続投の意欲を見せていました。所信表明演説でこう述べました。「ここまで厳しい民意が示されたのだから、退陣すべきとの意見もあることは十分承知している」とした上で、改革を継続するために「続投を決意した」と述べたのです。

しかし、それから2日後に突然、辞任表明しました。その翌日から入院です。報道ステーションを含めて日本のメディアはこぞって、安倍批判を展開しました。「政権を投げ出した」「無責任極まりない」という論調でした。全国で批判の嵐だったのです。

そして9月23日、病院の中で、突然の辞任を謝罪、体調が悪化したことを説明しました。安倍さんは、「自信や誇りは粉々に砕け散った」と振り返っています。

写真)辞任の記者会見に臨む安倍首相(2007年9月12日 首相官邸)

出典)Photo by Koichi Kamoshida/Getty Images

世間では、「安倍晋三の政治生命は終わった」という見方が支配的でした。次の総選挙では出馬しても、当選は困難という声が多くありました。安倍さん自身、政界引退を考えていたとも伝えられています。ひ弱な政治家というイメージが広まったのです。

メディアは、次の展開を追いかけました。ポスト安倍です。福田康夫元官房長官が麻生太郎氏を破って、自民党総裁に就任。福田内閣はスタート。時代は動いていたのです。若さや選挙の顔というよりも、経験と安定がキーワードとなったのです。メディアも安倍さんについては過去の人ととらえていました。

しかし、退陣後も安倍さんに関心を寄せていたマスコミ人がいました。月刊「文藝春秋」の新谷学さんです。その後、文春砲の総指揮官として一世を風靡しましたが、当時は、月刊誌の一編集者です。

新谷さんは、かねて親交のある、安倍さんに対し、自筆で手紙を書きました。辞任の説明が十分でないとして、手記を書くよう依頼したのです。その申し出を安倍さんは受けたのです。

そして年末に3度にわたるインタビューが行われ、2008年1月10日発売の「文藝春秋」は「わが告白 総理辞任の真相」という独占手記を掲載したのです。

突然の発病がいかに深刻だったかを安倍さん本人が素直に語っています。

政治ジャーナリストの田﨑史郎さんによれば、この手記が安倍さんの転機になったそうです。この手記がなければ、「『みっともない辞め方をした政治家』として烙印を押され、政治史から消えていっただろう」(「安倍官邸の正体」田﨑史郎 講談社現代新書)。それが田﨑さんの見立てです。

新谷さんは私にとっては大学時代からの盟友です。「親しき仲にもスキャンダル」というのが信条で、さまざまな政治家から怖れられています。第二次安倍政権のスキャンダルを報じることもありますが、独占手記は、安倍さんを救った形になります。

私は文藝春秋が発売されて半年後、ある現場で安倍さんとじっくり話す機会がありました。それについては次回お伝えします。

トップ写真:前回参院選で応援演説にかけつけた安倍首相

(2019年7月7日 千葉県)

出典:Photo by Tomohiro Ohsumi/Getty Images