丸川珠代氏の結婚式で見た安倍さんの気遣い 「高岡発ニッポン再興」番外編②
出町譲(高岡市議会議員・作家)
【まとめ】
・丸川珠代氏の結婚式で、安倍さんは前総理とは思えない、腰の低い人、気遣いの人との印象を得た。
・「政治生命が絶たれた」と言われて5年、子どもにも名刺を渡すどぶ板選挙を経て、安倍さんは総理に復帰した。
・安倍さんの胆力、突き進む力には脱帽。政治家には決断と、その結果を引き受ける「覚悟」が必要。
私は安倍晋三さんとは、1度だけじっくり話す機会がありました。前回お伝えした、元テレビ朝日アナウンサーで参議院議員の丸川珠代さんが2008年6月に結婚式を開いた時です。
丸川さんと言えば、安倍さんが一本釣りしたため、「安倍チルドレン」として知られていました。しかし、テレビ朝日では、冷ややかに見る人が多くいました。テレビ報道の世界から自民党の参院選に出馬するのは、いかがなものかという批判です。このため、結婚式に出席するテレビ朝日関係者は少なかったのです。
ただ、私は、丸川さんとは盟友でした。テレビ朝日経済部で一緒に仕事をし、取材現場に連れて行っただけでなく、時には、官僚や財界人らとも懇談し、日本の未来について語り合いました。アメリカの投資ファンドの創設者などにも引き合わせたりもしました。丸川さんも向学心があり、独自ルートでさまざまな人と出会っていました。そんな中の一人が、安倍晋三さんだったのです。それが参院選出馬につながったのです。
写真)参院選に立候補した丸川珠代氏の応援にかけつけた安倍首相(2007年7月12日 東京)
出典)Photo by Koichi Kamoshida/Getty Images
安倍さんは2008年6月の結婚式では、そんな丸川さんのことを配慮してなのでしょうか。わざわざ我々のテーブルまで足を運ばれました。前総理とは思えない、腰の低い人だなという印象が強く残りました。気遣いの人でした。
安倍さんは丸川さんの結婚について、自分の娘のことのように喜んでいました。そして、自らの体調が良くなっていることなど、最近の日常生活についてもお話されていました。たわいもない話ですが、9か月前の辞任会見とはまったく違って明るい表情でした。
後で知ったのですが、安倍さんはまた退陣後、全生庵で月に1度、座禅を組んでいたのです。安倍さん自身「住職の平井正修さんのお話を伺っていると、なんとなく気持ちが落ち着いてくる」と話しています。平井住職は高岡に縁の深い人です。全生庵は、高岡の国泰寺派の末寺なのです。高岡に頻繁に来る平井さんによれば、退陣した直後は覇気がなかったが、徐々に回復したそうです。当時メディアでは、安倍さんの回復の一因は、座禅だと伝えられました。
写真)安倍元首相が座禅を組むためによく訪れた全生庵(東京・台東区)。筆者提供。
一方の永田町。丸川さんの結婚式が終わって3か月ほど経った2008年秋、解散・総選挙のムードが出ていました。安定政権とみられていた福田政権が9月1日に退陣したからです。
政治ジャーナリスト田﨑史郎さんによれば、安倍さんは09年1月、雪が降る日も戸別訪問をしました。罵声を浴びせられることもありました。お祭りに行って、子どもにまで名刺を渡したといいます。その数、2万枚。実に驚きです。名刺を子どもに渡すと、子どもは親に渡します。すると、親から「子どもが名刺をいただきまして」と言われるようになったと言います。まさにどぶ板選挙です。09年8月の衆院選では、安倍さんは圧勝し、再起への足掛かりをつかんだのです。
政治生命が絶たれたと言われてから5年。2012年に安倍さんは自民党総裁選挙で勝利。その後の総選挙では、自民党が勝利し、安倍さんは総理大臣に復帰しました。復帰後に長期政権を実現したのは、皆さんご存知の通りです。それからはとにかく、大きな政策を次々に打ち出しました。
写真)国際会議出席のためオランダを訪れた安倍首相(2014年3月23日 オランダ・ハーグ)
出典)Photo by Yves Logghe – Pool/Getty Images
日銀のお尻を叩いて、金融緩和を実施。アベノミクスは世界からも注目されました。さらに、特定秘密保護法も押し切りました。官邸主導の政治を実現し、「安倍一強」と言われ、霞が関の官僚から怖れられました。
私自身、ジャーナリストとしては、安倍政治に距離を保っていました。森友・加計問題などで、テレビのコメンテーターとして批判したこともあります。
しかし、政治家となって、半年たって痛感しているのは、安倍さんの胆力です。反対の声を怖れず、突き進む力には脱帽しています。
政治家は決断しなければなりません。そして決断した後、その結果がどうなろうと受け入れなければなりません。その覚悟が必要なのです。私自身、高岡で政治をやるにあたり、胆力をつけたいと思っています。
トップ写真:安倍元首相宅への弔問を終えた丸川珠代氏(2022年7月9日 東京)
出典:Photo by Takashi Aoyama/Getty Images
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この記事を書いた人
出町譲高岡市議会議員・作家
1964年富山県高岡市生まれ。
富山県立高岡高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。
90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員などを経て、2001年テレビ朝日入社。経済部で、内閣府や財界などを担当した。その後は、「報道ステーション」や「グッド!モーニング」など報道番組のデスクを務めた。
テレビ朝日に勤務しながら、11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(2011年、文藝春秋)はベストセラーに。
その後も、『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年、文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』(2013年、幻冬舎)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(2015年、幻冬舎)、『日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡』(2017年、幻冬舎)『現場発! ニッポン再興』(2019年、晶文社)などを出版した。
21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。
同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。
同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。