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「石原慎太郎さんとの私的な思い出6」続:身捨つるほどの祖国はありや21

COPENHAGEN, DENMARK - OCTOBER 02: Tokyo governor and the city's Olympic bid committee leader Shintaro Ishihara attends a press conference after the Tokyo 2016 presentation on October 2, 2009 at the Bella Centre in Copenhagen, Denmark. The 121st session of the International Olympic Committee (IOC) will vote on October 2 on whether Chicago, Tokyo, Rio de Janeiro or Madrid will host the 2016 Olympic Games. (Photo by Peter Macdiarmid/Getty Images)

牛島信(弁護士・小説家・元検事)

【まとめ】

・『「私」という男の生涯』(石原慎太郎著)を読んだ。

・「牛島さん、この世はね、所詮、男と女なんだよ」と一度ならず二度、三度と諭してくれた石原氏。

・石原氏は、最後に自分の過去をすべて抱きしめ、自分自身の死で最後の謎を解決し、遂に来世に旅立つ自分を実感することができたのだろうか。

 

「別れた女のことについて書くなんて、男のすることじゃないと思うよ。それってタブーだろ。第一、品がないじゃないか」

いつも石原慎太郎さんのことを「なんて格好いい人なんだろう。ダブルがとっても似合うよね」と、半ば崇拝するように言っている友人が、すこし興醒めしたように電話の向こうでつぶやいた。

『「私」という男の生涯』(石原慎太郎 幻冬舎 2022年刊)を読んだのである。

自らも、途方もない金持ちであった父親に中学入学の祝いとヨットを買ってもらい、湘南の或る場所に係留していたという経歴の持ち主である。

確かに私もそう思わないではなかった。

二人であれはないよね、と一致したのは、

過去に関係のあった女性が、「町で以前親しかった幼馴染と遭遇し求愛され、彼女は囲われ者でいるよりもその男との結婚をえらんでしまったのだった。」(8頁)と、石原さん自身が書いている女性との後日談である。

囲われ者というのも古めかしい表現だが、囲っていたのはもちろん石原さんである。

「別れてから二年ほどして人伝に二人だけで会いたいという連絡があり」(8頁)、石原さんはその女性と会ったのだという。

「夫が余所に女をつくって浮気を続けているのが分かったと泣きながら打ち明けてき、その憂さを晴らすためにもう一度私を抱いてくれと。」

それで石原さんは、「言われるままそれに従いはしたが、久し振りに抱いた相手の身体は薹が立ち、味気ないものでしかなかった。」(9頁)

友人は憤慨している。

「だって、その女性、たぶん未だ生きているんでしょう。あれはないよ。第一、石原さんは『私がリザーブしておいてホテルの部屋に彼女はやってきた』って書いてるじゃない。ホテルの部屋をとっていたってことは、初めから石原さんはそのつもりだったってことじゃないの。」

友人はどうにも我慢がならないらしい。

Yという「ホンコン生まれの女」と二人、東京駅にある喫茶店で話していたという石原さんには、苦笑を禁じえない。

ときおり喧嘩はしながらも親しくしていた女性だったという。男性との性関係も石原さんが初めてだったとある。(194頁)

それが、突然ホンコンに帰ると言いだした。

石原さんは、彼女に「『君はこの俺が好きだったのではないのか』と咎めて質す。すると彼女は、いきなり滂沱の涙を流して、『好きよ。この国のどんな男よりもあなたが好きよ。』」と答える。

「『それなら何故だい』

『あなたがこの国の男の誰よりもわがままで芯が強いからよ。あなたみたいな男は、この国にはいないのよ。』

『なら…』

『だから好きになってしまったのよ。でも、そんな自分が憎いのよ。このままだと私は絶対に幸せになれないと思うから離れていくことにしたの』」

その女性が妊娠していて自宅の棚の荷物の片づけの作業の折りに乗っていた脚立から落ちて流産した挿話が挟まれる。もちろん、私は、処女作の『灰色の教室』で美知子というヒロインが流産してしまう原因になった場面を思い出さずにはいられない。

美知子は二階から階段を踏み外して転げ落ち、そのうえ自分の仕事用の切地の固い包みの端で下腹をうって流産してしまうのだ。

その二つの似た話に、ふっと、このY女性のという流産の話は本当なのだろうかと感じてしまう。感じてしまってから、いやまさか、たぶん本当に違いない、ここで虚構を構える理由などありはしないと考え直す。

喫茶店では、「周りには客が立て込んでいて、私たちの様子を詮索して見直すほかの客たちに気付いて、私は彼女を促して席を立ち、別の店を探して連れ込んだ。」(190頁)それはそうだろう。石原慎太郎である。その石原慎太郎が魅力的な女性となにやらいわくありげに話し込んでいるのだ。おまけに女性は涙まで流している。

そのときの石原さんは、ヨットレースのスタートが間近に迫るなかでのやりとりでもあった。

「私にはまだ彼女への未練があった。なんとか今この女を自分のために引き留めたいと願っていた。しかし、その一方、間近に迫っているレースのスタートがあった。」

レースのスタートは2時。

「何時の飛行機だって?」

「六時のキャセイよ」(190頁)

それにしても、と私の苦笑は少し大き目になる。

世間に広く知られた石原慎太郎という男、老年を迎えつつある男が、うら若い女性と人混みの東京駅の喫茶店で別れ話をしている。まわりは、話がなんであれ石原慎太郎という存在に興味津々である。しかも、石原慎太郎のすぐ目の前には、背の高い、気性の激しい女性がすわって話し込んでいる。別れ話だとすぐに気取られてしまう。

だからと、店を替える。

そこには、青年の石原慎太郎がいる。

私の学生時代の経験でも、他の客のいる喫茶店の席で向かい合わせに座っている場で、目の前で涙を拭き声を忍んで泣く女性がいるとなると、その女性との話の中身よりも他人の好奇の視線が気になってくるものだ。まして石原慎太郎である。皆、ちらちらとしか目では追っていないふりをしてもダンボの耳になっている。

いったい、店を替わるとき、支払いは石原さんがしたのだろうか。例の、緊張したときの癖で目をパチパチと、レジの店員の前でしばたたかせながらだったのだろうか。私の苦笑が少し大きくならざるを得なかった所以である。

私は、その石原さんの自分への集中、自分のおかれた状況への没入を、なんとも凄いことだと思わずにはいられない。天上天下唯我独尊。

結局、その女性は席を立ち、石原さんはヨットレースに出る。

「立ち去る彼女を見送りながら手元の時計を眺め、なんとかスタートに間に合いそうなのを確かめほっとし、そんな自分をもう一度確かめるように目をつぶってみた。そして自分を慰めるように『しかたねえよな』、呟いていた。

若かったころからの数えることもできないほど同じようなことを重ねてきている。しかし、そのたびごとの、それぞれにある感慨の、それぞれに異なる瞬間。

結局、石原さんはレースに出るには出たが、「突然予期もしていなかった隠れ根にのし上げ、船全体が身震いするほどの衝撃があって激しく傾いた。」(192頁)

そのとき、「激しい衝突の瞬間、高い女の叫び声をはっきりと聞いたのだ。あれはだれの声だ。いや、あれは彼女の声に違いないと一人思った。そして何故か慌てて手元の時計を確かめた。時計の針は彼女の乗り込んだ飛行機が発っていった六時丁度を指していた。“なるほどな”と私は一人で思っていた。」

石原さんは、そうしたことがこの世にあると信じている人だった。

「私は人間の想念なるものの力、そのエネルギーを認めてはいる。…現に私の父は亡くなった時、父の結婚の媒酌をした、すでに高齢の婦人の家を訪れたそうな。彼女が父を家の離れの茶室に招くと父は帽子を脱いで縁先に座って挨拶し、彼女が茶を淹れに母屋に行き戻ってみたら、もうその姿が見えなかったらしい。彼女はその時父の急死を悟り私の家に電話し、東京に駆けつけ不在の母に代わって出た女中から父の急死を聞き取ったという。」(330頁)と書いてもいるのだ。

「だから幽霊なるものは優にあり得るとも思う。」とも。(331頁)

「牛島さん、この世はね、所詮、男と女なんだよ」と一度ならず二度、三度と諭してくれた石原さん。アルコールの入っているときもあった。

「そうですか。石原さんが言われるのだから、きっとそうなんでしょうね

でも、私は、自分の小説には、個人と組織というものの絡みをいつも意識しているのです。個人が集まると組織になる。組織になってしまうと個人にはあり得なかったことが起きてくる。良いことも悪いことも。個人は組織のために人生を決定され縛られてしまう。その個人には、男性と女性がいる。そう思っているのです。」

そう言った私に、石原さんははかばかしい答えをしなかった。

しかし、思いもかけず私の言った「それ」を思い知らされたのが、新銀行東京の試みだったのではないか。

「新銀行の破綻は大問題となり、これが潰れれば関係者一万人余の人生の破綻ともなり、立て直しのための追加出資四百億円を議会に了承させるために四苦八苦させられたものだった。都政に携わってから、あの時ほど懊悩させられたことはなかった。」(185頁)

そう書いている石原さんは、なんとも驚くべきことに、こう続ける。

「そんな時、私がある折に心中を語り、『こうなったら神仏に頼るしかありはしない』と漏らした言葉を捉えて、彼女が彼女なりに願をたてて事の安堵を祈願して、あなたのためにこれからふた月、毎日フルマラソンに近い四十キロを走って見せると言い出した。」

その女性とは、「東京都知事をしていた私は、東京の隠れた魅力を分かりやすく紹介するために、才人のテリー伊藤に頼んで」始めたテレビ番組の論文募集に応じた女性だったという。(176頁)

「趣味が異常な犯罪への興味」だというその女性については、また、石原さんのそうした、驚くべき作品との絡みで取り上げたいと思っている。

その女性は走り過ぎが原因で大腿骨部に損傷を来たした結果としての大手術をすることなる。それが、「術後の苦痛たるや大層なもので、見舞いに行った海の仲間たちが思わず目を逸らすほどのものだった。しかもその最中に彼女は他の仲間を部屋から外させ、私にセックスをせがんできたりした。それが苦痛にさいなまれている彼女のどれほどの救いになるのか分からぬまま、私はそれに応えてやりまでした。」(186頁)

いったい何ということか。都知事石原慎太郎の私的空間での隠された姿である。

ここを読んだ私は、『亀裂』の主人公で若い石原さんの分身である都築明なる男が、結核を病んでいた恋人と性行為に及ぶ場面を思い出していた。血を吐きながらも男に抱かれることを望んだ女性の話だ。

その、毎日四十キロを走ったあげく大手術をして「裸になればその若い肉体の一番目立つ左の臀部に近い腰に、肉を切り裂いた大きな傷跡が残っている」女性に、石原さんは、「この出来事の余韻として、私は、彼女に強い原罪感を抱かぬわけにはいかなくなった。」

彼女は彼女で、「ほかならぬ私のためにそれだけの犠牲を払ったために彼女の私への傾斜はますます激しいものとなってきて、ある時、私と二人して沖縄に駆け落ちして私の子どもを産むつもりだとまで言い出し、母親と妹にそう宣言して家を飛び出し、勝手に一人住まいを始めてしまったものだった。」

さすがの石原さんも困ってしまったことだろう。でも、彼女の一人住まいの家賃は誰が払ったのだろう。

「すでにこの齢になったこの私が今更それに合わせての人生などありようもなく、私としては四十五も齢の離れた彼女からの情熱をまともに受け止めようもなく、願うことは彼女がいつかしかるべき若い佳い男と出会い愛し合い、彼女が私への妄想から外れて新しい人生を踏み出していくことを先立つ者として彼女のために願い祈るしかない。」(187頁)

「若い佳い男と出会い愛し合い」とは、よくぞの表現である。そうした女性が以前実際にいて、その女性が結婚した後に頼まれて抱き、「薹が立った」と後に冷酷にも書いたのは石原さんではないか。

それにしても、その女45歳年下の女性は、今、どうしているのだろうか?

45歳年下ということは石原さんの亡くなったときに44歳だったことになる。

おや、すると新銀行東京の増資騒ぎがあったのは2008年のことだから、その時には31歳の女性だったということだ。石原さん76歳。後期高齢者である。

それにしても、石原慎太郎という人は、なんとも女性を引きつけ、自らも惚れ込み、文字どおり抜き差しならない、人間同士の深い業の極みにまで錐もみしながら突っ込んでいくことのできる人なのだと、つくづく感心してしまう。

その人にしての、「この世は男と女なんだよ」という教えだったのかと、いまさらながら思い返す。

そう言ったときの石原さんの言葉、声、表情は、むしろ淡々したものだった。当たり前の、宇宙の摂理を悟った者が、自分にとってはごく当たり前にことにすぎないことを、後から付いてくる無知な者に簡潔に説き聞かせるといった調子といったらよいだろうか。

もし、私が石原さんの今回の本、『「私」という男の生涯』に書かれたことについて知っていたら、少しはましな弟子になることができただろうか。それとも・・・

石原さんは、「来世なるものをどうにも信じることが出来はしない」と言う。(340頁)

しかし、そう言いながらも、「そうなのだ、虚無さえも実在するのだ。」として、「やはり私は人間の想念の力を疑いはしない。」と自分に言い聞かせもする。

「私は・・・人間にとって不可知なるものの力を信じてはいるが、その認識は死後の来世なるものの存在にはどうにも繋がらない。その折り合いがどうにもつかぬままにいる。その苛立ち、その不安を何かがいつか解消してくれるのを願ってはいるが、結局それは人間にとっての最後の未来、最後の謎である私自身の死でしか解決してくれぬことなのかもしれない。」

そう現在について述べながら、そのすぐその後には、「この長たらしい懐旧も所詮、私自身へのなんの癒しにもなりはしなかったような気がするが。」と書いてみせ、「私の人生はなんの恩寵あってか、愚行も含めてかなり恵まれたものだったと思われる。だから、あの賀屋さんが言っていた通り、死ぬのはやはりつまらない。」と結ぶ。この本の最後の一行である。(341頁)

え?石原さん、想念を信じているんじゃなかったんですか、来世が信じられないといっても不可知なるものの力を信じているんじゃなかったんですか、と尋ねたくなる。石原さん、この本の冒頭近くでは、「忘却は嫌だ。なにもかも覚えたまま、それを抱えきって死にたい。」(11頁)って書いていたじゃないですか、と呼びかけたくなる。

いつも私に「小説は情念だよ」と仰っていたのは石原さんだったじゃないですか、と問い返したくなる。

「目を見開いて天井を見つめくるしそうに荒い呼吸を繰り返してい」た石原さん(石原延啓 「父は最後まで『我』を貫いた」 月刊文藝春秋2022年4月号 103頁)は、最後に自分の過去をすべて抱きしめ、自分自身の死で最後の謎を解決し、遂に来世に旅立つ自分を実感することができたのだろうか。

わからない。

石原さんの意識は消滅した。「消滅した意識が何を死後に形象化することだろうか。しかし私は人間の想念の力を疑いはしない。」

石原さんは、今、こうしてパソコンのキーボードを叩いている私を見ている。そして、次の瞬間に私に電話をくれ、「ひさしぶり。お邪魔してもいいかな。あいかわらずだね。忙しいばかりだね。」と、あの特上の笑顔を電話器の向こうできっと見せてくれようとしている。ふっとそんな気がする。

ついでに。

以上のとおり、私は石原慎太郎さんのことを考えながら、最近読んだ別の本のことを思い出してもいた。

『鷗外 青春診療録控』(山崎光夫 中央公論新社 2021年刊)という。

鷗外の『カズイスチカ』という短編小説、東大の医学部を出て陸軍に出仕するまでの数か月間、父親の橘井堂という医院を手伝っていたときの思い出を綴ったその短編などを基にした作品だ。

そこに「生理的腫瘍」という話がでてくる。要するに妊娠のことである。子が無くて夫に別れてから、裁縫をして一人で暮らしている後家さんが患者である。腹腔内に水がたまったので水を取ってもらう話になったところが、どうも堅いから癌かもしれないといって他の医者は針を刺してくれなかったと言って、鷗外の父親の医院をおとずれたのである。

それが、なんことはない、妊娠していたに過ぎないという話なのだが、独り暮らしの女性なので、そんなことを誰も疑わなかったというのだ。

「まあ、套管針なんぞを立てられなくて為合せだった。」と若き鷗外が診断する。

「此女の家の門口に懸かっている『御仕立物』という御家流で書いた看板の下を潜って、若い小学教員が一人度々出入りしていたといふことが、後になって評判せられた。」と結ばれている。

これも男と女の話だな、と私は石原さんの『「私」という男の生涯』を読んだ後だけに、あらためで思うのである。

人気作家で参議院議員、次いで衆議院議員、都知事の男も男なら、小学教員も男ということである。

トップ写真:デンマークのコペンハーゲンにてオリンピック会場公開式に参加する石原氏。2009年10月2日。

出典:Photo by Peter Macdiarmid/Getty Images