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「高岡愛誕生」未公開メモ② 結成の直前には「高岡発ニッポン再興」その34

出町譲(高岡市議会議員・作家)

【まとめ】

当選後、待ち受けていたのは会派の問題であり、「政局より、政策」というスタンスを貫きたいと考えた。

・自民系の3つの会派(自民党議員会、未来創政会、自民同志会)は再び合流する方向で検討していた。

・熊木議員、嶋川議員と意気投合し、新会派「高岡愛」を結成。

 

高岡市議に当選してから1年経ちました。3人の新人がつくった新会派「高岡愛」として活動させていただいています。支援をいただいている皆さまのお陰です。我々の会派3人は自民党の党籍を持っています。それなのになぜ、あえて新しい会派をつくったのか。当時のメモを初めて公開します。

去年10月31日投開票の高岡市議選の結果、自民党籍を持つ新人5人は当選し、22人に拡大しました。一方、あおりを食ったのは、共産党です。市議2人とも落選しました。

当選後、私に待ち受けていたのは、会派の問題でした。

私は何度も「どこの会派に入るのか」と質問を受けていました。

「“1人会派”で構わない」。そう答えていました。今さら、会派に入りたくないというのが本音でした。「政局より、政策」というスタンスを貫きたいと考えたのです。

3カ月前の7月の市長選の結果、自民党系の会派は、3つに分かれていたのです。最大会派の自民党議員会(10人、うち2人引退)と未来創政会(6人)、自民同志会(3人)。

未来創政会というのは、角田悠紀市長を推した会派です。最大会派の自民党議員会は、別の自民党推薦の候補者を推していました。

この自民系の3つの会派は再び合流する方向で検討していました。会派の結成届の期限は11月8日。

 会派の動きは水面下では風雲急でした。ただ、私は目の前のことに追われていました。11月1日には市役所で、当選証書を手にしました。ずらりと並ぶ当選者。先輩議員の姿を見ながら、いよいよ市議会議員になる。身の引き締まる思いでした。

一方、地元新聞社は連日、自民党の会派の合流話を報じていました。「自民会派が合流大筋合意」という見出しも踊りました。そんな状況を見て、ある支援者は「一匹狼では何もできないよ。自民党の会派に入ったほうがいい」と忠告してくれました。

それでも私は「一人会派でもいい」と主張していました。3カ月ほど前の市長選で対立していたのに、どうして合流するのか。市長選、市議選2つの選挙で、投票してくれた人にどう説明するのか。私は、市民不在のような気がして、違和感を覚えたのです。それに巨大な「与党」ができたら、行政のチェックはできなくなるのではないか。懸念しました。

もちろん、そうはいっても1人より、複数の方がいい。議会において数は力。長年、報道の現場にいて、政治をウォッチしてきたものとしては、会派の重要性もわかっています。密かに連携に期待していたのは、26歳の熊木議員です。

私と同じ小学校の校下で、熊木議員のおじさんは、私の幼馴染でした。小学校時代の同級生は、私を支援してくれる一方で、熊木議員の応援もしていました。家族の中で、票を分けてくれていたのです。「接点ができればいいのに」。ぼんやりと考えていました。

その時、熊木議員から連絡がありました。話をしたいというのです。渡りに船でした。

 その後、新たな局面となりました。

2人で会った後、嶋川議員も面談。3人は意気投合しました。長時間話し合って、新会派をつくることになりました。政治理念も近く、とんとん拍子に話が進んだのです。それが新会派「高岡愛」です。すべては極秘に進めました。 

11月7日、会派の設立届け締め切り前日です。私たちは胸にあるバッチをつけて、勝負の会見を開きました。

(つづく。

トップ写真:新会派「高岡愛」の会派届けを出す嶋川武秀、出町譲熊木義城 出典:筆者提供