「高岡愛誕生」未公開メモ① 嶋川さんに次ぐ2位当選 「高岡発ニッポン再興」その33
出町譲(高岡市議会議員・作家)
【まとめ】
・高岡市議選の投票結果は、8656票を得て、2位当選を果たした。
・地元の人は、「市長選と市議選は違う。出町は連合自治会の応援を得てないから、落選するかもしれない」と指摘していた。
・市議選は小学校の校下に根差しており、それぞれの地区では自分たちの地区の候補者に投票し、連合自治会の締め付けが強い。
高岡市議に当選してから1年経ちました。3人の新人がつくった新会派「高岡愛」として活動させていただいています。支援をいただいている皆さまのお陰です。我々の会派3人は自民党の党籍を持っています。それなのになぜ、あえて新しい会派をつくったのか。当時のメモを初めて公開します。
10月31日午後8時。投票が締め切られ、私はハラハラしていました。出馬を決めて2カ月余り。自分なりに一生懸命やってきたつもりですが、選挙はふたを開けてみないとわからない。家にいてもしようがない。夜遅く、支援者の理髪店で地元のケーブルテレビを見ていました。高岡市議会議員選挙の開票の模様を生中継していたのです。
立候補者29人の名前が出ているテーブルが映し出されていました。関係者が次々に、投票用紙の束を並べていました。その束は100票。一列に10の束があります。つまり1列が1000票。2列になれば、2000票。当確ラインです。
私は理髪店の経営者と一緒に、テレビにくぎ付けでした。開票場のテーブルに「出町譲」の名前も見えます。なんだか、私の票はあまり、増えない。ほかの多くの候補者と同じペースでした。驚いたのは、嶋川武秀さん(43歳)。物凄い勢いで票が増えていました。
嶋川さんにばかり、票が集まっていました。
「嶋川さんのトップ当選間違いないですね」。理髪店の経営者が言った瞬間、ケーブルテレビは、嶋川さんの事務所を映し出しました。当選確実が出たのです。午後10時40分ごろです。拍手と歓声の中、嶋川さんは、はきはきとコメントしていました。さすが漫才師。言葉は聞き取りやすく、話は上手いというのが実感でした。
ちょうどそのころから、私のテーブルの票が急ピッチで増えていきました。
どこかの地域の票が集まったのでしょうか。すると、私の携帯に、わが陣営の選挙本部から、連絡が入りました。
「当選確実だから、すぐに選挙事務所に来て」。午後11時15分ごろに、私は選挙事務所に姿を現しました。遅い時間帯にもかかわらず、多くの支援者が集まっていました。
投票結果は、8656票を得て、2位当選を果たしました。トップは嶋川武秀さんの1万1604票。嶋川さんは漫才師をやりながら、地元の報道番組のキャスターを務め、知名度抜群です。
告示日の総決起集会では落語家、三遊亭円楽さんも応援に駆け付けるなど、話題をさらった人物です。これまで過去最多は、2017年の4556票。嶋川さんにしても、私にしても大きく更新し、地元では話題が沸騰しました。「県議選並みの得票だった」という声も聞きました。
私がとった8656票。想定以上です。市長選に出て、2万票近く獲得したというものの、地元の人は、「市長選と市議選は違う。出町は連合自治会の応援を得てないから、落選するかもしれない」と指摘していました。
市議選は小学校の校下に根差しており、それぞれの地区では自分たちの地区の候補者に投票するからです。連合自治会の締め付けが強いというのです。結果的には、そうした見方が覆されたわけですが、決して自信があったわけではありません。それに、この選挙で、もう一人注目されたのは、26歳の新人、熊木義城さんです。自民党籍を持っていますが、Uターン組。元京都市市議会議員の秘書です。彼も連合自治会から推薦をもらっていない候補者でした。
トップ写真:高岡市議会選挙の速報を伝えるニュースを映すテレビ画面。
出典:筆者提供。
(②につづく)
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この記事を書いた人
出町譲高岡市議会議員・作家
1964年富山県高岡市生まれ。
富山県立高岡高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。
90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員などを経て、2001年テレビ朝日入社。経済部で、内閣府や財界などを担当した。その後は、「報道ステーション」や「グッド!モーニング」など報道番組のデスクを務めた。
テレビ朝日に勤務しながら、11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(2011年、文藝春秋)はベストセラーに。
その後も、『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年、文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』(2013年、幻冬舎)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(2015年、幻冬舎)、『日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡』(2017年、幻冬舎)『現場発! ニッポン再興』(2019年、晶文社)などを出版した。
21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。
同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。
同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。