政策集団「高岡愛」嶋川さんトップ当選の意味「高岡発ニッポン再興」その68
出町譲(高岡市議会議員・作家)
【まとめ】
・富山県議会議員選挙で、元高岡市議嶋川武秀さんがトップ当選した。
・熊木義城市議と私と嶋川さん3人で、新たに“政策集団”の看板を掲げる。
・人口減に直面する高岡市を、県や国の情報で武装し、政策を実現する。
富山県議会議員選挙開票日の4月9日夜。私は、元高岡市議で、嶋川武秀さんの事務所に詰めていました。嶋川さんは、私と同じ会派「高岡愛」のメンバーでした。盟友の戦いだけに、私も、私の支援者も応援に力が入りました。事務所には、嶋川さん、そして私の支援者があふれかえっています。皆さんが見ているのは、地元のケーブルテレビ。映し出されたのは、テーブルに置かれた票の束です。候補者別になっています。嶋川陣営はどうか。ハラハラしてみていました。束が3列になった瞬間、私は思わずこぶしを上げました。「ダントツだ」。
案の定、嶋川さんがトップ当選しました。得票数は1万4818票。2位の山本徹(7598票)さんの2倍近く。得票率は22%です。皆さま、ありがとうございます。
なぜ、嶋川さんは任期途中で出馬したのか。そして、なぜ私が全面的に支援したのか。2人とも、「馴れ合い・しがらみ」の政治を本気で変えたいのです。危機感をもって政策を実現しなければ、高岡は埋没すると思ったからです。
高岡市では、急ピッチに人口が減少しております。毎年1500人ずつ減っています。人口が減れば、商品が売れなくなります。商店街がシャッター通りになっているのは、まさにこの人口減少が引き金となっています。
危機的状況なのです。こうした事態に歯止めをかけるためには、県や国の協力が不可欠です。実行力のある嶋川さんの県議就任は、古い政治を変え、「開かれた高岡」を実現するチャンスなのです。
なお「高岡愛」は、高岡市議会の会派としては、熊木義城市議と私の2人になります。ただ、新たに“政策集団”としての看板を掲げようと思っています。それは、嶋川武秀さん含めて3人です。「三銃士」として力を合わせて頑張りますので、よろしくお願いします。
私が嶋川さんと出会ったのは、1年半前です。嶋川さんはお笑い芸人でもあります。出会った直後から意気投合。熊木義城市議と一緒に、新しい会派「高岡愛」をつくりました。訴えていたのは、「政局より政策」です。
当時、高岡市議会は自民党内の会派が離合集散する動きがありました。いわば政局です。我々、高岡愛は、そうした政局に距離を置き、政策を重視すべきだと考えたのです。政策こそが市民生活に直結しているからです。
我々は日々勉強し、頻繁に東京で研修を受けました。他の自治体に視察もしました。その結果、見えてきたのは、政府も、他の自治体も大きく変化していることでした。人口が急速に減少する中、前例踏襲ではない手法を打ち出しているのです。
「大きく変化する中、高岡市は埋没するのではないか」。それが共通した不安感でした。
一方、我々はこの1年半、議会活動を懸命にやりました。嶋川さんは不妊治療や結婚支援の政策を訴え、実現しました。一方、私は、空き校舎、コミュニティバスなど提案をしてきました。
どんなに提案しても、動かない政策も数多くありました。「できません。」という言葉を何度聞いたことか。密室政治も目の当たりにしました。空き校舎の利活用では、住民の意向を聞かず、庁内協議だけで、一方的に決めるやり方です。それに対して、表立った異論は聞かれません。「馴れ合い・しがらみ」の政治なのです。
やはり、高岡市を動かすには、国や県からの情報が必要なのです。その情報で武装しなければ、市当局に太刀打ちできません。
「高岡愛」では、今回当選させていただいた、政策集団の「高岡愛」の嶋川武秀県議と意見交換を密にして、一緒に、明るい高岡市の未来を築きます。
トップ写真:演説する嶋川武秀氏(筆者提供)
あわせて読みたい
この記事を書いた人
出町譲高岡市議会議員・作家
1964年富山県高岡市生まれ。
富山県立高岡高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。
90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員などを経て、2001年テレビ朝日入社。経済部で、内閣府や財界などを担当した。その後は、「報道ステーション」や「グッド!モーニング」など報道番組のデスクを務めた。
テレビ朝日に勤務しながら、11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(2011年、文藝春秋)はベストセラーに。
その後も、『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年、文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』(2013年、幻冬舎)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(2015年、幻冬舎)、『日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡』(2017年、幻冬舎)『現場発! ニッポン再興』(2019年、晶文社)などを出版した。
21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。
同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。
同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。