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「高岡発ニッポン再興」その96 番外編 戦争を考える③ ポツダム宣言受け入れの条件は

出町譲(高岡市議会議員・作家)

【まとめ】

・最高戦争指導会議、「国体護持」の条件を巡り、議論紛糾。

・鈴木総理、軍事内閣が組閣される可能性があるので内閣総辞職」を拒否。

・阿南陸軍大臣、徹底抗戦を訴えたものの総辞職には同調せず。

 

それにしても、昭和20年8月9日というのは、日本のその後を左右する重大な一日でした。書記官長の迫水常久は9日午前11時から宮中で最高戦争指導会議を招集しました。会議のメンバーは6人だけです。

貫太郎は冒頭にこう言います。

「広島の原爆といいソ連の参戦といい、これ以上の戦争継続は不可能であると思います。ポツダム宣言を受諾し、戦争を終結させるほかはない。ついては各員の御意見をうけたまわりたい」。

重苦しい雰囲気で会議は始まりましたが、ポツダム宣言を受け入れる場合、どのような条件を添えるのか、まとまりません。会議の最中に、長崎に原爆が落とされました。

米内光政海軍大臣東郷茂徳外務大臣は「天皇の国体上の地位を変更しないことだけを条件として、ポツダム宣言を受け入れるべきだ」と主張した。これが一つの条件だけ主張するグループです。

一方、阿南惟幾陸軍大臣梅津美治郎参謀総長豊田副武軍令部総長は、この条件以外にも、3つの条件をつけるべきだと訴えました。その3条件とは①占領は小範囲で本土を含めないこと②海外にいる日本兵は降伏や武装解除の処置を取らず、自主的に徹底し、復員すること③武装解除と戦犯処置は日本人の手に任せるべきだというものです。都合4つの条件が国体を守るため不可欠だというのです。

最高戦争指導会議は議論が紛糾し、結論が出なかった。一旦休憩となりました。その後、閣議が2時半から開かれました。3時間議論しましたが、ポツダム宣言を受諾すべきかどうか、閣僚の間で意見はまとまらず、閣議はいったん休憩しました。午後6時半から再開し、10時まで開かれました。

阿南陸相は「死中に活を求める戦法に出れば、完敗を喫するようなことはなく、むしろ戦局を好転させ得る公算もあり得る」と力説したが、米内海軍大臣は、率直に挽回の見込みないと断言しました。ほかの閣僚もそれぞれ意見を表明したが、いずれも極めて悲観的結論でした。

貫太郎は閣議の間、各大臣の発言を黙って聞いていたが、一度だけ言葉を発しました。それは、太田耕造文部大臣が「対ソ連交渉が失敗したのと、閣内の意見がかくも不一致な以上、内閣は総辞職すべきでないでしょうか」と主張した時のことです。貫太郎は「内閣総辞職については全く考えていません」と言い切ったのです。

この太田発言は、重要な意味を帯びています。阿南が総辞職要求に同調していたなら、内閣が総辞職し、軍事内閣を組閣する可能性があったのです。そうなれば、ポツダム宣言受け入れというのは、水泡に帰す。本土決戦がいよいよ現実味を帯びるのです。

しかし、阿南は聞こえないふりをした。それは一種の“腹芸”でした。この閣議の最中にも、阿南は陸軍の部下から呼び出され、クーデター計画を突きつけられていたのです。それは、内閣を倒し、軍事政権を樹立。全国に戒厳令を敷こうというものです。

閣議では阿南は徹底抗戦を訴えたものの、総辞職については同調しなかった。この戦争を終わらせるのは貫太郎しかいないと思っていたのです。

それにしても、私は阿南という人物は歴史上、もっと評価されていいと思っています。陸軍大臣を務めながらも、陸軍のクーデターを抑え込む“腹芸”。軍人なのですが、すごい政治家だと実感します。

(97に続く)

トップ写真:イギリス首相ウィンストン・チャーチル、アメリカ大統領ハリー・S・トルーマン、ソ連指導者ヨシフ・スターリン、ドイツ・ポツダム(1945年8月2日1945年)出典:Photo by Imagno/Getty Images