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半世紀ぶり「反乱の年」となるか(上)~2019年を占う~【内政】

林信吾(作家・ジャーナリスト)

林信吾の「西方見聞録」

【まとめ】

・半世紀前、日本では学生運動として終わったが、仏のパリ五月革命はド・ゴール大統領を退陣させた。

 

・反体制運動が日本に波及するか否かは経済の動向次第。

 

・今の社会変化・政治的局面は半世紀前を彷彿とさせる。

 

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ちょうど半世紀前、1969年1月18日から翌19日にかけての「東大安田講堂攻防戦」をご記憶の方は、読者の中にどれだけおられるだろうか。かく言う私自身が、まだ小学生で、TV中継を見た記憶が、おぼろげにある程度なのだが。

写真)事件の起きた東大安田講堂事件

出典)Wiiii

 

背景について端的に述べると、戦後ベビーブーム世代=団塊世代が大学生になった当時の話で、旧態依然たる権威主義的な大学運営に対する反発が高まってきていた。

 

折から世界的にヴェトナム反戦運動が高揚していたこともあり、学生運動の高揚期と後に呼ばれるような世相があったのだ。具体的には、私学の多くでは授業料値上げ反対運動、東大では医学部の封建的な研修制度に反対する「インターン問題」が契機となり、多くの学生が(興味本位の者も相当混じっていたとは言え)集会やデモに参加するようになっていったのだ。

写真)1967年の米国におけるベトナム反戦運動

出典)US Army

 

そして、最初から暴力に訴えていたわけではなく、大学当局との団体交渉を試みたものの、突っぱねられたためストライキに入った、という経緯がある。このためまた、今となっては信じがたいことなのだが、大衆からも一定の支持が得られていた。

 

バリケードの中にいる学生に、お菓子を配って歩く「キャラメルママ」が登場したり、逮捕された活動家の保釈金など、街頭カンパでもって、総額では億単位にもなる現金が実際に集まった。後に判決が確定した者には払い戻され、これが1970年代前半の新左翼運動の重要な資金源となったほどである。

 

ただ、この時期の学生運動については、あくまでも学生運動として終わった、という総括がなされたことも指摘しておかねばならない。どういうことかと言うと、学生がいくら激しい反体制運動を繰り広げようが、労働者・大衆が後に続かない限りは、世の中を変えて行く力になどなり得なかったのだ。

 

実はこの前年、フランスでは「パリ五月革命」と呼ばれる騒ぎが起きていた。こちらも当初、デモなどを主導したのは大学生であったが、労働組合が呼応してゼネストにまで発展し、ついには当時のド・ゴール大統領を退陣に追い込んだ。

写真)ド・ゴール大統領

出典)Office of War Information, Overseas Picture Division

 

2018年の秋にも、フランスにおいては燃料費値上げなどに対して、多くの学生や市民が抗議デモに参加し、一部は暴動化した。マクロン政権は結局、値上げ案の棚上げに追い込まれたことは記憶に新しい。

写真)東フランス・ヴズールでの黄色いベスト運動の様子

出典)Obier

 

これについては、フランスのみならず、先進国の多くで見られる、格差社会への反発という要素を見逃してはならない。

 

パリ大学から政治学院、そしてエリート官僚養成機関である国立行政学院を経て、投資銀行に就職したエマニュエル・マクロン大統領が、環境保護の観点から「脱炭素社会」を目指してガソリンなどへの課税を強化しようとした政策が、なぜ理解を得られなかったか。

写真)エマニュエル・マクロン大統領

出典)EU2017EE Estonian Presidency

 

在仏ジャーナリストの広岡裕児氏も指摘しているが(『週刊文春』2018年12月27日号)、ガソリン代の支払いに頭を痛めている人に「環境に優しい電気自動車の有用性」を説くがごときは、「パンがなければお菓子を食べればいいのに」と言い放った、あの王妃マリー・アントワネットを連想させるのである。

 

私自身、かつて一部の動物保護団体が、「毛皮を着るなら裸の方がマシ」と称して、本当に服を脱いでデモ行進する映像を見た際、あんなものは原子力発電やらなにやらのおかげで、冬でも凍えずに済む都会人の思い上がりに過ぎない、と評したことがある。念のため述べておくが、私は昔も今も原発推進派ではなく、本当に環境保護を考えるなら、毛皮を排撃する前に訴えるべき事があるのではないか、という論旨であった。

 

フランスに話を戻すと、もともとこの国では、上流階級やエリートは「グラタン」と呼ばれていた。料理のグラタンのことで、オーブンで焼くと上に薄皮のように焦げ目がつく。

 

日本でも、お焦げのある米飯の方がおいしいと言われるが、フランスのグラタンにも同様の発想があるらしい。もっとも、皮肉屋揃いの国柄だから、本当に食べて滋養があるのは下の方だ、という意味が込められているのかも知れない。

 

今次のフランスでの反体制運動は「黄色いベスト運動」と呼ばれているが、たしかに映像を見ると、でも参加者の多くが蛍光色のビニール製ベストを着ている。日本でもよく見かけるが、外で働く人や自転車通学をする人が、交通安全のために着用するものだ。前にも述べたが、今や誰かがSNSで、これを着てデモをやろう、と呼びかけたら、たちまち万単位の賛同者が現れることも珍しくない。そう言う時代なのだ。

 

ここで問題なのは、半世紀前のように、こうした反体制運動が日本にも波及する可能性ありやなしや、ということだが、私は、経済の動向次第だと考えている。

 

日本でも前世紀の終わり頃から、格差の問題が取りざたされてきてはいるけれども、まだまだ英国の伝統的な階級社会や、フランスのようなひどい格差社会とは事情が異なる。

 

ただ、2019年には、消費税の値上げと雇用形態の大きな変化(世に言う働き方改革)という、経済のみならず社会構造に大きな変化をもたらしかねない案件が控えている。

 

景気が上向いている時ならばまだしも、米中の貿易摩擦などもあって、米国経済がそろそろスローダウンしてきているご時世に、消費税が引き上げられ、専門職の残業手当が削減されるというのは、中産階級の没落=貧困の拡大という結果を招きかねない。

 

そうなれば、当然、社会不安が拡大するが、そこで反政府感情が盛り上がったところで、今の野党には、その受け皿となって政権交代を目指す実力と気概があるだろうか。これもまた、既成の社会主義政党など当てにならない、として激な反体制運動が盛り上がった半世紀前を彷彿させるのである。

 

なおかつその先、具体的には2020年には、いよいよ憲法改正を発議する、と安倍政権は公言している。再び半世紀前の話をすると、1970年の日米安保条約自動延長という、大きな政治テーマが控えていたから、69年に反戦運動が盛り上がりを見せたという側面があった。

 

後半で、この問題をもう少し詳しく見るとしよう。

トップ写真:1960年、国会を取り囲んだデモ隊の様子 出典:朝日新聞社「アルバム戦後25年」