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[小泉悠]<崩れ始めた印露関係>ウクライナ危機の裏でロシアの対南アジア戦略にシフトの兆し

小泉悠(未来工学研究所客員研究員)

執筆記事Blog

 

冷戦後、ロシアはインドをアジア地域における最重要パートナーとしてきた。ロシアの対外政策文書などにおいて、インドは必ず中国に続いてアジア諸国の2番目に記載されるという事実がロシアにとっての重要性を物語っている。

しかもインドはロシアにとって極めて「筋のよい」パートナーだ。たしかに中国はその巨大な経済力によってロシア最大の貿易相手国となったし、安全保障面でも中央アジアにおけるテロ対策や、対米姿勢(シリア問題やミサイル防衛問題等)など利害の一致する部分が多い。

その反面、中国はロシアが「勢力圏」と見なす中央アジアや北極圏への進出を強めている上、ロシア製兵器を勝手にコピーするなど、何かとトラブルが絶えない。その上、すでに政治力でも経済力でも大きく水を空けられたロシアとしては、まともに中国と付き合えば従属させられるという危機感が強く、それゆえに日米、東南アジア、インドといった中国とライバル関係にある国々とも関係を築いてきた。

特にインドの場合は国境を接していないため、直接的な仮想敵となる心配が少ない上、中国と違って違法コピーなどもしないので安心して最新兵器を供与できる相手だ。たとえば同じSu-30戦闘機でも、インド向けのMKI型のほうが中国向けのMKK型よりもはるかにハイグレードなことは有名な話である」(もっともMKI型はインドが金を出してロシアの「イルクート」社に生産させたもので、最初からインド専用機のような位置づけにある)。

最近では、前述のような理由で対中武器輸出が激減したため、インドは世界最大のロシア製兵器の顧客となっていたほか、「ブラモス」超音速対艦ミサイルやFGFA第5世代戦闘機開発計画など、単なる顧客から開発パートナーへと進化しつつある。

その一方、ロシアは南アジアのもう一つの大国、パキスタンに対しては武器輸出を厳しく制限してきた。パキスタンといえば中国の同盟国であり、インドにとっては印パ戦争以来の宿敵という関係にある。つまりロシアのパキスタンに対する態度はそのまま中印に対する態度ということになるわけだが、これまでのロシアは明らかにインド側の立場を慮っていた。

ロシア自身がパキスタンに武器を売らないのはもちろん、ウクライナがロシア製の125mm砲を搭載したT-80戦車をパキスタンに売ろうとした際には、砲の供給を停止して圧力をかけた他、中国がパキスタンと共同開発する戦闘機にロシア製のRD-93エンジンを搭載することにも軍などから強い反発の声が上がったことがある(ただし、武器輸出当局は輸出に積極的で、結局、輸出は認められた)。

ところが、このような構図がここ1、2年で大きく崩れつつあるようだ。印露間に微妙なすきま風が吹き始める一方、2014年に入ってからロシアがパキスタンへの接近を強めているためだ。これまでも印露間では兵器輸入や共同開発を巡ってトラブルがあったが、最近持ち上がっているのは前述のFGFA計画においてロシアからの技術開示や生産分担が少なすぎるとのインド側の不満である。これに対してロシアはブラジルにFGFAの共同開発を持ちかける等、あてこすりのような反応を見せている。

さらに2014年以降、ロシアはさらに大胆な動きを見せ始めた。4月にロシア太平洋艦隊の艦艇が初めてパキスタンのカラチに寄港し、合同海上演習(海賊対処訓練)を実施したのである。ロシアはインドとの間で合同演習「インドラ」(隔年実施)を行って来たが、パキスタンとの合同演習はこれが初めてである。

そして6月には、ロシアの国営軍需企業「ロステフ」のチェメゾフ総裁が、パキスタンに武装ヘリコプターを輸出するための交渉が進んでいることを明らかにした。ロシアはソ連時代以来、パキスタンに対して武器禁輸措置を課してきたが、これを撤廃するというのである。

今のところ、具体的に議題となっているのは武装ヘリコプター(Mi-35という説と、より新しいMi-28Nという説がある)のみだが、パキスタン人の軍事専門家ハリス・カーンによれば、かなり多様な兵器をロシアから購入する可能性は高いという(Defense News. 2014.6.4)。問題は、インドの反発を招くことは承知でロシアが何故、このような動きを見せているかだ。これには幾つかの要因が考えられよう。

第1は、既に述べたインドとの武器輸出ビジネス上のすれ違いである。パキスタンとの接近によってインドを牽制し、これからもロシアの顧客としてつなぎ止めようとする意図が考えられる。

第2に、アフガニスタン情勢との関連が指摘できる。ロシアは、今年9月にアフガニスタンから米軍が撤退した後、勢力を盛り返したタリバーンによって中央アジアが不安定化する可能性を安全保障上の脅威として真剣に懸念している。
ロシアはこのような状況を1990年代末から2000年代初頭にかけて経験したことがあり、その再来を恐れているのだ。こうした文脈の中で、アフガニスタン情勢のキャスティングボードを握るパキスタンとの戦略的関係の強化にロシアが動いている可能性がある。

第3はウクライナ情勢と対中関係である。ウクライナ危機後、欧米で孤立したロシアは対中接近を進めている。その過程で、対南アジア戦略の修正が必要になった可能性(ロシアが自ら修正したのか中国に要求されたのかは定かではないが)が考えられる。

以上の要因はあくまでも現時点で考えられる可能性であり、ほかの要因が存在したり、ここで挙げた全てが関与している可能性もある。また、始まったばかりの動きであるだけに、これがロシアの部分的な南アジア戦略の修正なのか、対印関係の見直しまで含む抜本的なものであるのかははっきりしない。今後の動向が注目される。

 

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【プロフィール】

小泉悠

1982年、千葉県生まれ。早稲田大学社会科学部、同大学院政治学研究科を修了。民間企業勤務を経て、外務省国際情報統括官組織専門分析員、ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所(IMEMO RAN)客員研究員。

現職は未来工学研究所客員研究員。

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